特別レポートE

ジムニー東北ひとり旅
本州最北端目指して3,600km
(掲載の本文)
7日〜8日目(5月4日〜5日)   そして現実へ


ついに私の旅も終盤。

東北からわが家のある広島へ向かわなくては。
途中、福井県の東尋坊で夕陽撮影して、その後も仮眠を取りつつ走り続け、家に着いたのは5月5日の朝4時だった。

全行程3620キロ。なんとか無事に「自由な旅」が終わった。
初めて見る景色、本州の最果ての地に見る夕陽。
無謀とも言えるジムニーの連続運転だったが、ほどよく疲れて心地良い走りだった。
寝むたくなると車を停めて目を閉じる。
その行動が私の旅そのものである。

 楽しい旅が終わり、家に帰ると現実が待っている。
 さ〜あ、このギャップを埋めるのが大変だ。





秋田県〜福井県に700Km南下  〜さらに家路500Km
昨日(3日)19時に男鹿半島を出発した。
北陸自動車道の新潟(中条)入口手前の、「道の駅、まほろば」に午前1時(4日)過ぎに到着。
順調と言えばそうだが、このまま走り続けても富山は6時頃・・・。
簡単に言うが、身体は疲れているのは当たり前のこと。
ここで大休止するか?
走り続けるか?

ここで寝ることにした。
ただし運転席で横たわって(リクライニングできない)目をつむる。
そのまま、何時間も寝てもかまわないと思いながら・・・。
でも、結局、1時間たらすで起きてしまった。

そうなると、走ろう!

家には5日の夜ないし、6日の朝方までに帰ればいい。
まだ、4日の午前1時過ぎ。
4日に能登半島の突先で夕陽撮影して、そのまま走って帰れば5日の夜には家に着く計算。
よく考えてみると、奥々八九郎温泉(十和田湖ふきん)を朝出て、仮眠はしたものの、まだ睡眠という長い眠りについてない。ましてや、このまま能登半島を走るとなると、これは寝不足で危険が伴うことになる。

どこかで、一度ゆっくり寝なくては!
そんな気持ちが、能登半島を走ることを辞めさせたのである。
でも、このまま、ただ帰路として走るのはもったいない!

地図を見ていると、福井県に東尋坊と越前岬が目についた。
ここだ!
帰路の途中であり、これからゆっくり走っても午前9時〜10時には着くだろう。

という訳で、やっと本日の日程(夕陽撮影まで)が決まった。

結局、北陸自動車道の石川県・加賀インターで降りて、午前10時頃に福井県・東尋坊の手前の雄島に着いた。
駐車場に車を停めて、雄島にかかる赤い橋を渡った。
やはり、計画にない場所であり勉強不足で、ここが何が有名なのかわからずじまいだった。
ようは、車に乗りっぱなしで身体を動かそうと思っただけであった。
ほどよい、汗をかき、直ぐ近くの東尋坊へと車を走らせた




雄島

(十和田湖ふきん)

(十和田湖ふきん)

(十和田湖ふきん)
雄島から見える東尋坊。
ここから見るかぎり、展望台がある一部が観光地なのだろうか?

ところが、東尋坊に車を停めようとしたが、観光客の車が多く駐車場も一杯状態。
空いていると思いきや、有料駐車場とある。
車のハンドルはいつのまにか左に切られ、東尋坊は横を素通りしただけ。

まっ、いいか!
どうせ、こんなに人が居るようだったら、カメラを三脚に構えて撮るのは考えものだし、先ほど見た限り狭いという意識があった。

腹がすいた!

思い直してみると、男鹿半島から一晩〜朝までむすびとパンくらいしか食べていない。
ここは、ゆっくりしよう。
景色のいいところを探し、ガスコンロを出して、クーラーボックスの食材で何か食べよう。

そこで、昼寝もしよう。





昼食 自炊でお腹一杯!

(水平線を見ながら食す)
東尋坊から越前岬に向かう途中の海岸で昼食。
どうせ食べるなら、少しでも景色のいい所で食べたい。クーラーBOXを開けてみると食材がかなり残っている。
では、片っ端から焼こう・・・。
次の画像は、今回の食事で食べたもの。
ちょっと、多いのではないの?
でも、美味しかった。

(冷凍のエビピラフ)

(何とか入りのウィンナー)

(ボイル用のハンバーグだが焼いて食べる)

(もちろん生卵も持参・ハムエッグだよ)

(インスタントラーメン)

(何処かで買ったキリタンポ)
自炊の話

私は決して、料理人でもなければ食材や献立にも凝っていない。
旅をしていて、思うときに食事がしたいだけである。
今回のようなカメラ撮影を目的とする場合には絶対的。
時間がバラバラで何処で食べるかも決まっていない。
ちなみに今回の旅で、外食は道の駅で立ち食いそば(¥400円)を一度食べただけ。

ただ少しの拘りを言うなら、火を通して温め・焼いて食べることはする。
よく食べるものとして、和風てりやきハンバーグ・少し高級なウィンナー・ロース豚焼き・牛肉・鶏肉・ハム・ソーセージ・卵・豆腐・エビ・あさり・焼き飯・ラーメン・カップ麺・くだものゼリー・野菜ジュース・ヨーグルトなど。今回も出かける日に、高速道路に乗る前にストアーに寄って33品目を購入。クーラーBOXに入るように小さい梱包サイズを買うのである。あとは、旅の途中に買い足したりする。

最近では、コンビニが何処でもあり、米食として弁当が食べれるのが嬉しい。それと、氷を途中で補給できるので魚介類もOKなのだ。ちなみに、今回は6回ほど自炊をした。また、時には地元の美味しいものを見つけると買って食べることもある。(今回はきりたんぽのみ)時間に左右されず景色の良い所で暖かいものを食べれるのは最高。水も15リットル持参している。


これらの自炊道具は、なんと30年もの。一番古いのはラーメンを作っているコッフェルとスプーンやフォークなどついているセットものは高校1年の時に購入したもの。30年を過ぎている。
フライパンは20数年ものです。最近、キャンプすると綺麗な道具をテーブルの上に並べられ、それもどこかの有名ブランドとお決まり?

確かに、私が道具を揃えてたのが、高校生時代でお金もなく、これでも精一派のものでした。
コッフェルなどは、焚き火の中で米を炊いていた時代もあり周りは真っ黒。中もこげて茶色になっている。
愛着があるというか?
このサイズが最適というか!
いまでも十分使えます。

(食事道具はひとつのプラBOXに収納)
食事道具は椅子の左のプラBOXに全部納まっている。BOXには包丁からまな板、調味料(塩、塩コショウ、しょう湯、ソース、油、スパイスなど)が入っていて最低の料理はOK。アルミホイルやサランラップなどもあるよ。
この中に、ミニコンロ、ガスコンロも・・・収納。
だから、いつでもどこでも自炊が可能なのだ。

(2004年道後山)
(寒〜い、冬でもやりますよ)
コンロとしては、左で見るガスコンロを長く使用していました。ところが、去年「峠と旅」を取材させていただいた蓑上氏とキャンプ中に、カセット式のミニコンロを使っているのを見て、私もその後に購入した。今回の旅でも使用しているが、少し高いが小型で高パワー式を買った。

とても便利がいい。直ぐにセットでき、火力調整も自由自在。なんと言ってもどこでも手に入るガスボンベ。
これって、田舎のお店に行っても手に入るのですよ。

ただ欠点は、寒い冬場は火力が小さくなり、風にも弱い。冬場は左にあるガスコンロは絶対必要です。
鍋焼きうどんなんてカセットコンロでは無理でした。熱くならなかった。
風対策は、今回のようにアルミの板(家庭のガスコンロで使うもの)を半分に折って三方をふさぐとバチグーなのだ。





越前岬 呼鳥門(こちょうもん)あたり で夕陽撮影

(左の隅に呼鳥門)

(呼鳥門)
食事を11時頃〜撮影まで16時まで、ゆっくり食事をしたり寝たりできた。
そうは言っても、撮影場所を探すため、呼鳥門あたりまで行ったが、この石碑より向こうは立ち入り禁止区域。
この岩の下から、広角で日本海に沈む夕陽を思ったが無理なようだ。

どうしようかと思って振り向いた後ろの山。
あそこか・・・。(ここって、家に帰ってしたのだが、ビューポイントと記された場所だった)
また、緑色の斜面は、水仙が咲き誇る所としても有名だったようだ。
ガードレールが邪魔なので、ここでもジムニーの屋根の上のキャリアからの撮影となった。




(日本海に沈む夕陽)

(グッドタイミング、連絡船が通る?)
撮影場所にカメラをセットできたのは、夕陽が赤くなる30分前のこと。
天気は、よさそうだ。
ただ、面白そうな雲がない。
赤くなり始めると、動くことは無理で、最後までそこで撮影をするのが原則。よほどのことがないと撮影ポイントは変えられない。あまり動くとその間に太陽は沈んでしまうのである。

夕陽はとても綺麗なのだが、少し何かがたりない。
そうしていると、右から敦賀と北海道を結ぶ新日本海フェリーが見えてきた。
ここでは、画像は紹介できないが、ポジで400ミリと600ミリで撮影できた。

偶然としか言えない。
このフェリーと太陽が沈む時間がある程度一致したのである。
確かに、水平線ギリギリに太陽があるわけではないが・・・、でも旅を思わせるカットが撮れたのは嬉しい。




構えるカメラ
撮影中に何が起こるかわからないので、車から近い時は、何種類ものレンズを用意しておく。
撮影は14ミリで、その他に16−28ミリ、28−70ミリ、70−200ミリとテレコン×2倍、×3倍と用意している。ちなみに付いているレンズが200ミリ F1.8の優れもの。

越前岬灯台
ここの灯台は思わぬ小さかった。
右にはイカを取る漁火が写っている。
この後、この船があちらこちらで見れた。





越前岬で最終の美 帰路につく
5月4日の夕方 19時である。
確かに、旅のスケジュールは5日の夜までに帰宅する予定だった。
ここで、あと1回の朝陽撮影はできる計算。
琵琶湖あたりか、若狭湾あたりで・・・。

でも・・・でも、そんなに自由気まますぎていいのだろうか? いまさら反省してもしょうがないのだが。
少し、家族や仕事先のことを思い出してしまたのが事実。

一応、敦賀までは車を走らそうと決めて南下し始めた。
ラジオを聞いていると、あちらこちらで高速道路も混んでいるようだ。また、明日朝方からも混むだろうと言っている。すでに、米原あたりでは十数キロ、吹田、神戸あたりでも、通過に2時間かかるそうだ。
これは、撮影どころではない、夜中から朝方までに兵庫県から岡山県のどこかのサービスエリアに居るように走ろうと決めた。

今回の旅は、前倒しのスケジュールで進行していたのである。
半日から1日も早いペースを保っていた。
これが、案外と気持ち的に余裕ができたのである。

旅は無事に終了して、始めて良い旅ができたという。
ここは、撮影はやめて、できる限り南下しよと決めた。

結局、そのまま一気に家まで走った。

家に着いたのは5日の午前4時前。





無事に「自由な旅」全走行距離3620kmの旅が終わった。

初めて見る景色、竜飛岬より津軽海峡の向こうに北海道、本州の最果ての地に見る夕陽。

無謀とも言えるジムニーの連続運転だったが、ほどよく疲れ、私には自由きままに心地良い走りだった。
寝ぶたくなると車を停めて目を閉じる。
その行動が私の旅そのものである。

東北は想像以上に良かった。
遠かったことが別の国に来ているような気がした。
旅に出る前には40歳も後半で体力に自信が無かった。
しかし、気力と体力にまだ大丈夫と健康状態を再認識できた。
こんな旅は病み付きになりそうだ。

次は何処へ行こうか?

楽しい旅が終わり、家に帰ると現実が待っている。

さ〜あ、このギャップを埋めるのが大変であろう。





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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

(2005年7月3日 本文修正)


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1102002/01/03よりカウト628