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ジムニー東北ひとり旅
本州最北端目指して3,600km
旅への思い

今パソコンの前に座っているのは、東北ひとり旅に出かけるちょうど1週間前。

外国に旅立つわけでもないのに少々大げさに聞こえるだろう。
しかし、この旅に出かけるには、それ相当の悩みや決断があるのは事実。

ひとり旅に出たいと思いたったのは2004年12月。
エリアレポーターの取材で「一緒に走りませんか?」で登場した人たちの話には必ず出ててくる言葉が、「やりたいことはする(人に迷惑をかけない範囲で)」、「その内にするのではなく思った時にする」、「夢を持ち実行させる」と言う。
また、写真撮影をする人と話をすると、「少しでも年齢が若いうちに無理して遠くに出ること」、「歳をとると体が思うように動かない」と言う。



悩みと決断

ひとり旅をしたいのは山々だが、問題点も起きるのは仕方のないこと。
世間一般では、家族・家庭を持つ者としては大きな壁がある。
「自分ひとりが遊ぶための金銭的な余裕が無い」、「家のことを何もせずホッテ出る」、「家を1週間もあける」、「仕事もしない(私の場合普段土曜日は仕事・日曜日もたまに休みがある程度)」・・・何を考えているのだと言われてもしょうがない。
いや、この計画を口にした時から、ずっと言われ続けるのだ。
なんせ、2〜3日出るのとちょと様子が違う、1週間も家をあけるのだから・・・。

そこで、天秤にかける訳だ。

自分の夢−現実の生活。

どちらかに、思いを傾けるしかないのだ!
どちらかの受皿に、思いを載せていくしかないのだ!

いろ〜んな事を、よ〜く考えた結果。
自分の心の中で、戦った結果、「少し長い旅をしたい!」という結論に達した。



旅へ出るための努力

そこには、涙ならぬ奮闘がまっている。

何気なく、2004年の12月中旬に東北の旅本を買って机の上に置いておく。
家のパソコンの前に座ると、東北をネットで検索してプリントアウトして家族の目に触れるようする。
そして家族には、正月の全員揃ったところで「今年の5月のGWには遠くに出ると」宣言した。
仕事先には2月下旬に話をして、友人や知人には4月になって話をする。
これでやっと、「ひとり旅に出る」ことが許された。
いや、許されたのではなく、諦められたのであろう。

あえて、行き先やスケジュールなどは誰にも相談しない。
どうせ、友人や知人に、「ひとりで軽自動車で東北まで写真を撮りに行く」と言っても、「エ〜うそ?」「飛行機か電車でいったら・・」とか「宿は野宿(車泊)?」などと馬鹿にした言い草だろう。

あとの準備は、車の装備の準備(特に、バッティリーを2個積む、ETCや簡易レーダーを付ける)を施した。
一番の難題は、旅の軍資金(自分のお小遣い?)を半年かけて少しづつ貯めるのである。



旅への準備はOK

そして、2週間前に、JA11の整備点検やオイル交換なども車屋さんでしてもらった。
そして、1週間前にやっと最終のルートも決定した。

目的は、
第1に、本州で足を踏み入れたことのない場所に行く。
第2に、朝陽と夕陽をカメラ撮影をする。
第3に、3600kmを耐えることができるか?
車も身体も・・・。



旅立ちの日

今日は、旅に出る当日であり、あと数時間で出発だ。

今の心境は少々複雑なものがある。
高校時代に1週間とか2週間とか、20日間の旅に出た時以来の長旅なのだ。
仕事を始めてからは、1週間という長い日程で旅をすることは、不可能だと諦めていた。
仕事や家族のことや色々考えると、無茶な計画であり無謀なことと解釈していた。

この場に及んでも一番の悩みが、私ひとりで自由気ままに楽しんでいいのだろうか?
悪いことをするようにコッソリと出掛けるという気持ちだ。

最後には自分に言い聞かせるように、「無事に旅を終えられればいいか!」の結論に達した。

家と仕事先には、日本地図に旅のルートを描いた日程表を渡した。

では、「自由気ままなひとり旅」で、出かけることにしよう。




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((( 紹介する画像はデジカメ撮影です・ポジではありませんのでお許しください )))

全走行地図
  写真をクリックするとリンクします


東北全日程走行記録
2005・5 ジムニー東北ひとり旅 3600Km
月 日 曜日 LINK 場  所  ・  内  容 距離 G S
1日目 04月28日 19:00 家を出る
20:00 食材・飲み物の買物
20:18 山陽自動車道 福山東
22:28 中国自動車道 西宮  休憩  215
22:45 ガソリン給油@  兵庫県西宮市 23.0
2日目 04月29日 1:02 北陸自動車道 福井県 南条  休憩 421
1:26 ガソリン給油A  福井県南条SA 22.2
3:15 3:30 富山 PA トイレ休憩 592
4:36 富山県 上越SA  休憩 693
6:19 ガソリン給油B  富山県上越市 29.0
7:20 7:35 栄PA 休憩  10分前より雨が降る 794
8:20 山形自動車道 中条 下りる
9:16 国道7号線 村上市 道の駅まほろば 
9:39 休憩 トイレ パン2個
10:50 国道7号線 鶴岡バイパス 972
ガソリン給油C   山形県鶴岡市 28.1
13:07 日本海東北自動車道−秋田自動車道 PA 1160
13:57 太平山PA むすび パン 仮眠
14:20 15:56 ガソリン給油D 青森県西津軽郡  1230 27.5
入れていて正解。 夜が危なかった。 撮影場所探し。
16:20 黄金崎 不死ふ老の露天風呂
19:10 夕陽撮影終了して出発 
19:30 19:45 買出し マックスバリュー
22:00 津軽半島 龍飛岬着 1370
23:00 軽く食事して就寝(軽食)
3日目 04月30日 4:03 起床 撮影場所探す
4:30 龍飛崎  朝陽撮影
龍飛崎  階段国道
朝食 自炊 写真 
7:50 出発 龍飛崎 JA11撮影
9:10 9:20 義経寺駐車場で仮眠
青森市内通過
12:50 ガソリン給油E  青森県上北郡  1537 29.2
13:00 むつはまなすライン 砂浜海岸海水浴場
14:55 昼食 自炊 仮眠50分ほど
16:35 17:04 尻屋崎 ゲート閉まっている  日程組み直し 1613
17:10 東通村あたりからの夕陽
18:20 車泊場所到着 薬研温泉 かっぱの湯 1654
20:45 風呂 食事(コンビニ弁当) 就寝
4日目 05月01日 4:15 起床 出る準備とスケジュール見直し
5:55 5時前にかっぱの湯へ行く 朝食 自炊
河原の湯
7:18 休憩所でトイレ休憩
8:00 恐山 つく 8:10入山
9:40 むつ−国道338号線 仏ケ浦へ向けて
11:50 流汗台 休憩 むすび 菓子 標高500m 1747
12:23 仏ヶ浦 駐車場 階段で降りる 1767
13:54 駐車場を出発
15:00 大間町 大間崎に着く
15:10 ガソリン給油F 本州最北端のガソリンスタンド大間 1807 24.5
観光と歩いて撮影場所探し
18:15 撮影終了
19:40 大間崎海峡保養センターの大間温泉
21:30 寝支度・夜食(コンビニ弁当) 就寝
5日目 05月02日 4:47 起床 朝1時〜3時 雨
5:14 なにはともあれ出発
6:18 尻屋崎 ゆとりの駅 駐車場 1873
8:45 尻屋灯台 撮影
横須賀市 白鳥裕通さん
尻屋崎 寒立馬(かんだちめ)
9:00 ルートGPSセット 1886
11:30 十和田市に入る  2000Kmを突破 2000
11:40 三木野公園 桜の撮影
12:10 12:40 道の駅 ブタマン ルート考え中
1:03 奥入瀬にて数箇所撮影
14:07 十和田湖  撮影場所探し 
15:30 滝ノ沢峠  1周をこころみるが落石で不通 2058
ガソリン給油G  青森県十和田湖 27.5
18:40 夕陽撮影     終了
20:40 小坂川 奥八九郎温泉 2181
23:40 食事(酒飲む) 風呂  就寝
6日目 05月03日 4:30 起床
4:50 奥八九郎温泉  滋賀県女性
朝食
温泉 宮城県 大泉剛&小和田麻里
10:20 男鹿半島を目指す
11:56 12:46 道の駅 大太鼓の里 立ち食いソバ 仮眠 2242
八郎潟干拓地を走る
15:30 ガソリン給油H   秋田県男鹿市 2334 23.0
16:00 男鹿半島 入道崎着
18:40 夕陽撮影終了
19:08 越前岬を目指す
23:50 国道7号線 山形県と新潟県堺 道の駅 あつみ
食事(軽食) 仮眠
ちょっとジムニー紹介 サイドテント披露
7日目 05月04日 0:22 国道7号線 村上市 道の駅まほろば 日程組み直し 
1:30 ガソリン給油I   新潟県新発田市 2635 28.2
2:16 2:50 北陸自動車道 PA休憩 仮眠
3:38 5:13 北陸自動車道 PA休憩 仮眠 2762
6:23 ガソリン給油J  新潟県上越市 名立谷浜SA 26.0
8:55 福井県 加賀IN −R305 3050
9:38 9:55 雄島着 東尋坊(車が多い)は通過 3075
10:26 ガソリン給油K 福井県福井市 3090 26.7
11:00 12:30 国道305号線 海岸で海を見ながら昼食 自炊
13:00 16:30 越前岬 着 撮影場所探し 仮眠 夕陽撮影
18:40 夕陽撮影終了 呼鳥門付近
19:00 越前岬より 家に向け出発 3142
21:36 22:00 国道27号線 舞鶴 夜食コンビニ弁当 3270
ガソリン給油L 京都府舞鶴? 17.0
舞鶴若狭自動車道−中国自動車道
23:48 ガソリン給油M 兵庫県加西市 3400 15.6
8日目 05月05日 12:10 1:15 PAにて仮眠
2:24 中国自動車道 東城インター 3574
3:36 家着  3626
4:30 寝る
7:30 起きる 昼間でに車掃除終了
あと帰ってからガソリン給油N 23.0
3626 370.5


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黄金崎 不老ふ死温泉 露天風呂 日本海シーサイドライン 龍飛岬 大間崎 本州最北端の石碑 大間崎 本州最北端のガソリンスタンド 大間崎に沈む夕陽 尻屋崎 灯台付近 奥入瀬 男鹿半島 入道崎の夕陽 男鹿半島 入道崎 龍飛岬の朝陽  津軽半島龍飛崎 大間海峡保養センター 大間温泉 尻屋崎灯台 十和田湖 福井県 雄島 福井県 越前岬の夕陽 奥々八九郎温泉 自然ジャグジー露天風呂 大泉さんカップル 奥々八九郎温泉 薬研温泉 かっぱの湯 尻屋崎 寒立馬(かんだちめ) 東通村 大間あたりに沈む夕陽? 恐山 菩提寺 仏ヶ浦 従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。
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1102002/01/03よりカウト628