特別レポートC

ジムニー東北ひとり旅
本州最北端目指して3,600km
(掲載の本文)
5日目(5月2日)   出会いも旅の魅力

 前々日のゲートが閉まって入れなかった尻屋崎の尻屋灯台が気になって再び向かうと、カヤックを積んだ白いパジェロが。思わず話しかけてみると、横浜からカヤックを楽しみにやって来られたという。カヤックや旅のことを話して、再開を約束して私は次なる目的地十和田湖を目指した。

 下北半島の太平洋側を南下して十和田市に入ると、街中の桜は満開だ。国道102号線を奥入瀬に向けひた走る。奥入瀬渓流を登り切ると、コバルトブルーに輝く神秘の十和田湖が姿を現す。ここいらで本日の宿泊地を探そうと思い辺りを見回すと、駐車場にはキャンピングカーはおろか、県外の車や単車が一切いない。なぜだか気持ち悪く、湖畔での野宿はやめにした。

 十和田湖から西に位置するところの林道脇に野湯「奥八九郎温泉」があっるという情報をキャッチ。カーナビをセットして目指すは野湯のある小坂町。60kmもあり、到着したのは21時。もちろん入浴して寝ることにした。





大間から尻屋崎を目指す

(起床後 5時14分国道279号線 朝陽?)

(国道279号線 むつはまなすライン)
寝ている間に何度も雨は降っていた。
もちろん目覚ましを4時にセットして目をさましたが朝陽を撮る状態ではないと判断してそのまま少し寝ることにした。

朝5時に起床すると、いぜんと厚い雲が空を覆っていて、朝陽撮影は無理と判断。
昨晩に予定を立っていた、朝陽が駄目なら、すぐにそのまま前々日に見れなかった「尻屋崎」を目指すことにした。
朝、道がすいているだろうから、1時間たらずで行ける計算。
さっそく、5時過ぎに出発。

途中国道279号線「はまなすライン」の風間浦村付近で、朝陽と遭遇。
ただ、もうかなり登っていて綺麗とは言えない。
残念だが、この方向には尻屋崎があるはずだった。




尻屋崎 

尻屋崎
灯台は明治9年にイギリス人により起工、東北で最も古い洋式灯台の一つ。200万カンデラの光量は全国でも最大級と言われている。
尻屋崎で焼いたレンガを使って建てた灯台で、東北地方では一番目に出来た灯台でレンガ造りの灯台では日本一の高さ。とにかく北西の風は突風で立って話しをするのにも大変だった。他の観光客さも車から出ようとしないのだ。
5時に起きて露天風呂に行ってみると見ての通り先客がおらながお金を入れるかもしれないだろう。




旅人と話をする
白鳥裕道 61歳 神奈川県横須賀在住。
パジェロGDI V6 3500 平成11年購入 走行距離は103,000Km。
11日間の休暇で岩手県陸中海岸でグループの方とカヌーで散策して来たそうだ。
カヌーで海から陸地を見るとまったく違う景色が見ると感激すると言う。
ひとりで車泊をしながら旅をする。下北半島など観光やカヌー乗りもしながら東北を南下して田沢湖で最後というスケジュール。車の中には後部座席半分にコンパネでベットが作られていた。

今後は、瀬戸内海をカヌーで散策したいとのこと。
ぜひとも、広島を通られる時はご連絡をと再開を約束して別れた。

尻屋崎の灯台付近に近寄ると風が凄いのなんの。
立ち話をするのも難しいくらい。
それが、半島を少し回ってみると、ウソのように風が無い。
天気が良かったのだが、ここからは津軽海峡を雲が包んで北海道は見れなかった。




尻屋崎の寒立馬(かんだちめ)


由来では「野放し馬」を「寒立馬」と呼ばれるようになったと言う。「かんだち」と言うのはマタギ(狩人)の間で、カモシカが厳寒の中身じろぎもせずにたたずむ姿をそう呼んでいた。
「野放し馬」の厳寒の風雪の中、じっとたたずむ姿から「寒立馬」の言葉が詠まれたとか。
放牧している牛や馬が外へ行かないようにゲートがある。車が一時停止すると自動で開く。
もし、開かない時は故障だ、などとは思わずに時間を確認してくださいとある。
4月1日〜30日は8:00〜16:00まで
5月1日〜11月30日は7:00〜17:00まで
上記時間以外はゲートは閉まっていると掲載されているHPのページを見た。
前日に入れなかったがとても悔しくて、もう一度再訪を決意したのである。
なんか、この先端も見ておかなければ、帰ってからすごく悔やむだろうと思ったのである。

やはり、見て、納得した。

飛岬とも大間崎とも違う景色だった。

※今回は行ってみるとこの時間帯は違っていた。
4月30日は8時40分〜15時45分と看板はあった。
5月1日からはゲートは午前7時には入れた。
ま〜あ、行ってみて入れたらラッキーだろう。




十和田市の公園の桜 満開だった!

桜は満開
新潟の方では、桜の花びらは散っているようだったが、秋田県と青森県ではつぼみや満開だった。青森県の十和田市にある小さな公園だがジムニーを停めて記念撮影。広島では4月10日に満開だったので約1ケ月遅れの時間差があることになる。東北では、遠くの山の残雪に澄み渡る青空にピンク色の桜が見れる。


桜と言えば、青森市内だ。
ラジオでも中継をしていた。何処何処の桜は珍しくとか、今年の桜はとても綺麗だとか言っている。私は十和田市を走っているので、いまさら青森には行けない。
また、十和田市でも桜並木がある中央公園に向かう道はすごく混んでいる。あえてGPSたよりにその道を避けて通ったくらいだ。渋滞がすごいのである。
それでも、街には桜の木があちらこちらにあり、なんでもない公園に車を停めて花見とした。
公園で保育園児が弁当を食べている光景は、全国どこでも同じであった。






奥入瀬渓流

(渓流には新緑は無かった?)


十和田湖の子ノロから流れ出る唯一の川が奥入瀬川で、焼山(やけやま)から子ノ口(ねのくち)までの約14kmにおよぶ渓流を特に奥入瀬渓流と呼んでいる。奥に進むほど瀬が多くなることから「奥入瀬」と名づけられたと言われる。十和田湖が奥入瀬渓流に流れ込む流量を自然に調節するため、大きな洪水が起こらず独特の渓流美が維持されている。
明治41年にこの地を訪れた土佐の文人・大町桂月が奥入瀬渓流の美しさに感動し、「住めば日の本 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬三里半」と詠んで世に紹介し有名となった。

渓流に沿って車道と遊歩道が整備されており、遊歩道を歩くと約5時間の行程となるが、もっとも人気のあるところは石ケ戸(いしげど)〜子ノ口の約8.9km・3時間のコースである。途中には石ケ戸(大きな一枚岩と大きなカツラの大木からできた岩戸で女盗賊の話が残っている)、阿修羅の流れ(穏やかな渓流から激しい流れに変わる)、一目四滝(白糸の滝、不老の滝、玉簾の滝、双白髪の滝)、銚子大滝(奥入瀬渓流最大の滝)などがある。


奥入瀬渓流
千変万化の水の流れが生む躍動感あふれる景観を見ることができる。途中で何度か車を停めて歩いてみるが、今年は暖かくなるのが遅いせいで木々の新緑は見れない。日本一の渓流美とあって観光バスや自家用車でゴッタガエシテいた。少しのスペースで車を停められるのはジムニーのサイズで助かった。


雲井の滝:森林に囲まれた断崖から三段になって落下するこの滝は、高さ20m。水量も豊で渓流沿いにある滝の中でも見ごたえのある滝の一つである。





十和田湖

(瞰湖台 展望台 中山半島)
青森県と秋田県の県境に位置するカルデラ湖。面積=59.8km2、標高=400m、周囲=44km、最深部=327mで大きさでは日本第12位、深さでは日本第3位の大きさを誇る。

湖の周囲は整備された道路が通っており、その国道沿いに多くの展望台が作られている。大きな展望台だけでも発荷峠(はっかとうげ)展望台、瞰湖台(かんこだい)、御鼻部山(おはなべやま)展望台、滝ノ沢展望台があり、おの
おの違った十和田湖の景観を見せている。

湖畔からのびる中山半島には昭和28年(1953年)に行われた国立公園指定15周年を記念して立てられた高村光太郎の最後の作・乙女の像がある。またこの近くには大同2年(807年)に坂上田村麻呂によって建立されたと言われる日本武尊を祭った十和田神社がある。





十和田湖 夕陽撮影

(夕陽を狙うカメラ)

(湖に見えるのが御倉半島)
十和田湖の夕陽を撮影するために、湖を一周しようとしたが、北側部分で通行止めになっていてできなかった。
しかたなく、半分以上戻り引き返すことになった。
十和田湖は思った以上に大きかった。

なんとかして十和田湖らしい場所を探そうとしたが、ここぞという所が無かった。水面ぎりぎりから撮影を狙ったのが不覚だった。いっそのこと、瞰湖台(かんこだい)の展望台から撮影したほうがよかったのかも知れない。

カメラを構えてしまうと、なかなか動けないのである。
ここも、道端より木や枝が唯一無い部分だった。
観光客の車やバスが通りかなりの交通量だけに、ウロウロできないのも事実。

ま〜あ、十和田湖から沈む夕陽が見れただけでも、有難いと思った。





十和田湖で夕陽撮影を済ませて、湖の周囲の道路脇で車泊しようと思ったのだが、広いトイレがある駐車場に行ってみるが、単車や車などでテントを張る姿がまったくない。
さきほどのカメラ撮影していた時に、かなりの交通量で、旅をしている単車もかなりいたはずなのに、夕暮れとともにめっきり姿をみなくなった。
なぜ、こんなに綺麗な景色の周りでキャンプをしないだろう〜か。
少し、駐車場で待っていたが、誰も停まろうとしないのである。

私には霊感があるとは言わないが、かなり気持ち悪くなってきた。
旅なれた私が、そこではどうしても寝る勇気がなかった。
本来なら、そこで寝て、次の朝に日の出を撮るというパターンが考えられるのだが・・・。

とにかく、十和田湖で寝ることは諦めることにした。

そこで、十和田湖の西に位置する小坂町に、地図にも無い露天風呂があると聞いていた(旅に出る前に東北旅行をされていた広島のAWLクラブの方に聞いていた)ので、GPSにセットした。
真っ暗闇の県道2号(十和田大館樹海ライン)を南下した。

温泉は、八九郎温泉というのが地図になく聞いた内容を手がかりに行った。
「小坂町より小坂川沿いを走り橋があると右に渡り、○○施設があり、その横を走る。そしたらダート林道があるからそれを川ヅタイに行けばよい。」とのことだった。
現地に近づいたら、地元の方に聞けばいいだろうとおもいきや、国道262号線には人影はまったくなかった。

しかし、温泉には無事着いた。
そこに、地元の方が風呂から出て帰るところに遭遇したら、東北弁で「・・・・・・・・・・、何処から来た」と聞かれた。最初から話は理解できず話はまったく解らなかった。最後に何処から来ただけは、ハッキリ聞き取れた。
どうやら、暗闇の中をよく見つけて、間違えずに来たな。途中では何箇所か分かれ道があり、・・・ここから先は雪があって行けないとか・・・。これは話を想像した内容で本当は何をしゃべっていたのか理解はまったくできてない。

あと、風呂に入って、軽く食事をして寝た。
ここも、携帯電話が繋がらない。
現代社会と音信不通となったようだ。

まったくもう〜、昨日の薬研温泉も繋がらなかったのである。




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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

(2005年7月3日 修正)


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1102002/01/03よりカウト628