特別レポートB

ジムニー東北ひとり旅
本州最北端目指して3,600km
(掲載の本文)
4日目(5月1日)   地獄の体力テスト?

 薬研温泉から40分で恐山に。徒歩で撮影する時の荷物は、カメラ2台、レンズが4本、中型の三脚と少しの機材(重さ10kg弱)。極楽浄土を思わせる幻想的な地形と硫黄臭が立ち込める「恐山」。火山性の独特の地形を撮影しながら1周(1時間40分)した。機材の重みで肩は痛いし歩いて足は棒で喉はカラカラ。これが1度目の体力テストだった。

 恐山からむつ市(国道388号線)を大間町に向けて移動。途中には2度目の体力テストが。またも極楽浄土を思わせる幻想的な奇形岩で有名な「仏ケ浦」。1時間半の散策は予想通りの苦しい歩きになった。

 疲れ果てた身体で本州の最果ての地、大間を目指した。ドンヨリとした天気の大間町に着いたのは15時。最北端に立つ気分を想像して楽しみに来た!・・・がそこにある風景は車と人でイッパイ。最北端を示す石碑の前などは行列状態だ。ガックリ。

 楽しみにしていた夕陽撮影だが空には雲が覆いかぶさり太陽が覗く気配がない。ただ、今でも夕陽撮影していると状況変化が起きることがあり、少しの異変に期待した。撮影場所を下手漁港の堰堤に決めて待つこと1時間。すると一瞬、太陽が覗いた! 奇跡的な出来事に無茶苦茶喜んだ。

 大間町には本州最北端の温泉がある。もちろん入浴して施設の駐車場を借りて本日の寝床とした。




奥薬研温泉(おくやげんおんせん) 「かっぱの湯」  青森県下北郡
野宿したのは、奥薬研温泉「かっぱの湯」の駐車場。
ここに来るまでに、大きな温泉施設の駐車場は5月の連休とあって満杯だった。
しかし、ここの大きな駐車場には10台ほどの車が止まっていただけで、それも大方はここに車泊するようだ。

画像の右の奥の白いキャンピング車の位置から露天風呂にいける。土手の坂を少し下ると温泉がある。

今回の旅は、旅先の温泉地は調べていなかったのだが、「かっぱの湯」はかなり有名であったみたいだった。地図で見つけた温泉が偶然にも大当たり。

奥薬研温泉 「かっぱの湯」




朝5時に起きて露天風呂に行ってみると見ての通り先客がおられた。24時間いつでも入れるとあって誰が一番風呂かと考えても無理かな?
ここに賽銭箱があっても、みんながお金を入れるかもしれないだろう。私なら500円でも安いと感じた。

奥薬研温泉には、川の上流から順番に「夫婦かっぱの湯」「かっぱの湯」「隠れかっぱの湯(河原の湯)」の3ケ所があった。(家に帰ってから調べて解ったこと)

入浴したのは「かっぱの湯」で湯辺りは最高にいい。源泉の温度もちょうど良い。川の上流にあたる部分から源泉の少し熱めのお湯が流れて入っていた。ぬるぬるした無色透明のお湯で1時間でも入っておれそう。時間帯も良かったのか、数人が浸かっていただけだ。お風呂は混浴で夜には夫婦ずれで女性も入っていた。

夜は寝る前に1度入浴。
次の朝に5時に1回入浴。考えることは皆同じで、誰もいない湯ぶねに浸かりたいと・・・。

こんな露天風呂が無料で入れるなんて、中国地方では考えられない。これだけのお湯があったら、周りは観光化され有名な温泉地として名高いだろう。




隠れかっぱの湯(河原の湯)

ここは、隠れかっぱの湯と言うほど、車ではよ〜く見ながら走っていないと通り過ぎてしまう。たまたま、道路に車が停まっていたので何かと思い車から降りてみると、「あっ、ここにもあったのか?」
もちろん、ここの温泉の名前が解ったのは、家に帰ってから調べてのことである。
どうやら、この画像で見えない部分にもまだあるらしい。

ちなみに、「夫婦かっぱの湯」は、「かっぱの湯」の近くの施設に付属されていて時間制限があったので、着いた日と本日の朝には入浴は出来なかった。





恐山に向かう途中

薬研温泉から恐山に向かう森林の中。やはりここにも残雪があり、道の脇に水芭蕉が咲いていた。
沼か湿原かの一面に咲いた。辺りを見渡したがなぜかここにしかなかった。
水芭蕉の群生地であったのだろうか?






恐山(おそれざん)  恐山菩提寺

(山門)

(地蔵山へ向かう途中から振り向いた)
下北半島の中央にそびえ、高野山、比叡山と共に日本三大霊山に数えられる霊峰である。
境内には地獄や賽の河原などが点在しており、亜硫酸ガスの臭気がたちこめる荒涼とした風景が広がっている。

今から約1200年前、滋覚大師・円仁が唐の国で修業していた際、霊夢に聖僧が現れて「汝、国に帰り、東方行程三十余日の所に至れば霊山あり。地蔵尊一体を刻しその地に仏道をひろめよ」とお告げを受けた。大師は直ちに帰国。霊山を探求して諸国を行脚してこの地に至り、山川大地まさに霊山と定めたところがここ恐山である。

総門から山門、本尊安置地蔵殿が連なり、境内には不動明王、千手観音像、延命地蔵尊などの像が建ち並んでいる。
亡くなった人の魂を降ろしてくれることで有名なイタコは通常本堂内に待機しており、3000円で口寄せを行ってくれる。また、7月20〜24日に行われる大祭典では多くのいたこが店を開く。

入場料=500円、開山期間=5月1日〜10月31日、入場時間=6:00〜18:00。

(無間地獄あたり?)

(地の池地獄)

(賽の河原)

(極楽浜を見る)

(太鼓橋)

(左が古滝の湯・右が冷抜の湯)女湯らしい

境内には薬師の湯、花染の湯、古滝の湯、冷抜の湯という温泉があり、参拝者は自由に入浴することが出来る。
山門からは見えない位置に「花染の湯」があるそうだ。


(薬師の湯)

(薬師の湯の湯ぶね)
下北半島と言えば、「恐山」を見ないわけにいかないだろう。(途中でそう思ったのだ)

朝陽や夕陽とは違う意味で、観光として見ておきたかった。
テレビにもよく出てくる有名地でテレビで見た印象どおりであるだろうか?
ウ〜ン思ったよりも狭かったかな? 
でも周りの地形からすと、この部分だけが別世界にも見えたのは間違いない。

ここの温泉は、入山料¥500円を払うと入浴できる。
男湯を覗くと男性の方が「貴方ここまで来て写真を撮らずに入らないともったいないよ」と言われたが、私も「ちょっと前に、かっぱの湯に入ったばかりでノボセソウです」と答えると、「あそこのお湯はいいですよね〜え」と・・・。なんで、始めてあった人と温泉の話をするのだろうと不思議だった。
確かに、入りたい気持ちもあったが、硫黄の臭いが立ち込めとてもきつそうなお湯そうだった。手を漬けたら少しヌルメの湯かなと思いきや、手前の蛇口をひねると熱めの湯がでるとか。


恐山は画像としても残しておきたかったので、カメラ2台とレンズを3本と中型の三脚と持ち歩くことにした。
結構、端から端までくまなく歩いたら、1時間30分かかってしまった。
入る前に飲み物を忘れて、出る頃には喉がカラカラになってしまった。

そうそう、今日が5月1日で開山日とは知らずに行った。
それを知ったのは、2日あとのことだった。
行き当たりばったりというか、運がいいというか?

入山券を見るとN0 A.001729番だった。
朝6時で入ったのが8時なので、2時間で1,729名が入ったことになる。確かに、駐車場には観光バスも来ていたし、かなり多くの車が停まっていた。




仏ケ浦(ほとけがうら)

(右の人影で岩の大きなを比較)

(岩が大きく見えたが22ミリレンズでは・・・)

(今回私が見た本州最北端の大きな桜の木)

私が見た最北の地の桜? 「仏ヶ浦の桜」
ここが最北の桜とは言えないが、少なくとも今回私が見た本州の最も北にあろう綺麗な桜。
津軽海峡の奇岩に寄り添うように桜は、風雪にも耐えやっと暖かい春を向かえ花を付けていた。頑張れと声援をかけてやりたい。

(仏ヶ浦展望台より)
国の天然記念物の岩「仏ケ浦」
海峡の風雨と荒波に削られた岩が、まるで仏さまの姿のように立ち並ぶ景勝地。
岩は仏の名にちなんで付けられている。
五百羅漢、如来の首、観音岩と呼ばれている。

国道から岩場まで遊歩道が設けられているが、かなりキツイ坂道(階段)。駐車場から階段を海辺まで下る。登ってくる人を見ると、Tシャツ一枚で大汗をかいてヘトヘト状態。
恐山で持ち歩くのを忘れていた飲料水(お茶のペットボトル)を忘れないようにカメラバックにしのばせ根性を叩きなおして出発。
奇岩や怪岩がある階段を降りていく間にも手はペットボトル(軟弱者)にあった。

ここは、写真で見るより本物の方が迫力があった。それぞれの岩に名前が付いているようだが勉強不足でまったく解らない。本当に現物の岩はデッカイ!。
大きな岩の間や周りを歩いて散策ができるのだが、その大きさは迫力がある。
どうやって、どれくらいの時間でこんな形になったのかと思うと、気が変になるので考えることはやめた。
ここからの夕陽は綺麗だろうな〜あ。
大きな岩を手前に置いて津軽半島に沈むのを想像してしまった。でも・・・大間が待っている。

ここの駐車場から、この岩場までは、心して歩かないとエライ目にあうだろう。
ペットボトルの持参は絶対必要でしょう。




本州最北端の地 大間崎

(本州最北端の碑)
旅の1番の目的地は大間町

大間町に着いたのは15時。
本州の東西南北のうち最南端(和歌山県:潮岬)・本州最西端(山口県:毘沙ノ鼻)は制覇している。
ここ最北端で3つ目に立つことができる(別に最??を趣味にはしていない)。あと最東端(岩手県:?ケ崎)が残るのみ。

ここ大間は、もっと広く大々的な駐車場もあるのかと思いきや、車で先端の碑がある前まで行ける。
道に面して、観光物産店、お土産や、民宿などが立ち並んでいる。
石碑を前に、車をいれて写真撮影をするのが、後から後へ観光客を載せた車や単車が来る。

車を停めるスペースは、その道より少し中に入った所にあるのだが、歩くのが面倒なのか、みな考えるのは同じ。


(マグロ一本釣りの像)

(クキド瀬戸・弁天島大間埼灯台)

青森県大間町にある北緯41度32分38秒、東経140度55分00秒に位置する本州の最北端。
下北半島の突端にあり、現在は公園が整備され、本州最北端の碑やマグロ一本釣りの像がある。公園の前にはレストランやおみやげ屋が軒を並べており、本州最北端証明書もここで購入できる。(100円)

以前は本州最北端の碑がある小さな公園だったが、2000年頃(詳細知らない)に現在のように整備された。
沖合600mの弁天島にストライプ模様の大間埼灯台が建っている。

平成12年(2000年)に放映されたNHK連続テレビ小説「私の青空」の舞台になった場所で、各所にそのロケ地が残っている。

最北端に立つ気分を想像して楽しみに来た!・・・がそこにある風景は車と人で一杯で最北端を示す石碑の前などは行列状態。
カメラをぶら下げて一人で立っていようならば、次々とシャッターを押してと、後ろに並ばれてしまう。
この写真も、撮影を頼まれた方にすかさずカメラを渡してお願いしたもの。

本州最北端は、風が強くかなり寒かった。この後ろには北海道があるはずだが姿は見れなかった。写真を見るかぎり人は居ないようだが、かなりの観光客がいた。

しかし、本州最北端に立てた気持ちは感無量!
我ながら、無謀な旅に出たことで嫌悪感をもっていたが、大間にいることで喜びが勝ったようだった。

旅に出て良かったな〜あ?





本州最北端のガゾリンスタンド

マガジンの掲載された本のガソリンスタンドの説明では、「ただ、燃料がなくなっただけ・・・」とかあるが、そうではない、ガソリンを入れる場所をわざにここにしたのである。確かにガソリンが少なかったこともあるが、このガソリンスタンドの看板が、本州最北端のガソリンスタンドとあったのでここにしたのが本当。
ちなみにここで24.5リットルを給油した。
本州最北のガソリンスタンド

大間町に来た証し? ただ燃料が少なかっただけです。 でもガソリンを入れる時に店の人に確認を取りました。「ここは、本当に本州最北端のガソリンスタンドですか?」、そしたら「ハイ、間違いなく本州最北端です」と力強く返答があった。なぜか、ここ大間町が、本州最北端の地だと実感できた。



大間の  下手浜漁港

(下手浜漁港)

夕陽の撮影場所を車を置いて歩いて探していたら、ここの漁港を見つけた。この画像の向きは東向きであるが、この対岸の東から大間向きに夕陽の撮影も考えたが、大間崎が見えなくなるのである。
どうしても、大間(本州最北端)に沈む太陽が見たかったのである。
かなり悩んだ選択でもあった。
ここの2〜3日おれるならいいのだが・・・。




大間 沈む夕陽

(17時20分に少し太陽が出そう・・・)

(17時49分)

(これが最後の夕陽 17時51分)

楽しみにしていた夕陽撮影だが空には雲が覆いかぶさり太陽がのぞく気配がない。
ただ今までにも夕陽撮影していると状況変化が起きることがあり少しの異変に期待した。

撮影場所を下手浜漁港の堰堤から決めて待つこと1時間。

すると一瞬、太陽が顔を出した。奇跡的な出来事に無茶苦茶喜んだ。それでも一番水平線に近づくのはいつか?
しかし18時に再び雲に入ったのが最後だった。



(18時7分には太陽は雲の中)
下手浜漁港の堰堤からの大間崎の夕陽 撮影風景

本州最北端の地の夕陽が位置的には防波堤から可能のようだが、その高さは2mもありその上の面積に三脚は絶対に無理。見ての通り車の右が防波堤で大間崎が見えない。

ここで自慢! 我がジムニーは撮影用の車なのだ。
愛車のジムニーは撮影用のキャリアで上に載れるように改造(3ミリ厚のアルミ板を貼って人が乗れる)もしてある。

撮影場所をここに決めて待つこと1時間。
風がすごく強く寒い。帽子も被り服は3枚着てその上に防寒着を着るがそれでも寒い。

車のキャリアの前の近寄ってくるカモメと遊びながら待っていると、雲と雲の隙間に太陽が覗いた。
本当に、ドンヨリした空に太陽など出るはずないと半信半疑だった。
なんと、奇跡的な現象だった。

大間の石碑と海面が紅く染まり始めた。しかし、十数分足らずで雲にかくれ雨が降り始めた。

何を信じて1時間まったのか、自分でも解らなかったが、なぜか太陽が出そうな気が少ししたのは事実。
ましてや、夕陽撮影の最大の目的、本州最北端の太陽を見たいという思いが通じたのだろうか。




本州最北端の温泉 大間温泉 大間町海峡保養センター 大風呂  青森県下北郡

本州最北端の温泉と聞きただそれだけで入りたかった。

公営の施設で宿泊やレストランも完備されている。温泉は浴室とは言えず浴場という大きな建物。
メインの岩風呂、源泉風呂、水風呂、滝風呂、そして子供用のプールみたいな浴槽が並んでいる。ナトリウム・カルシウム(食塩泉)。源泉は塩辛さと金気臭があり、46度という高温で供されている。

外から見ても大きな建物であるが、中に入って風呂をみるとこれまた大浴場という感じ。とてもゆっくり入れて値段も370円と格安。シャンプーやボディーソープもあり嬉しい限りだ。


今晩の宿としてここの駐車場の端で野宿させてもらった。
雨も降ったりやんだりで、夜食はコンビニ弁当を食べ、少しビールを飲んで21時には就寝した。





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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

(2005年7月3日 本文修正)


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