特別レポートA

ジムニー東北ひとり旅
本州最北端目指して3,600km
(掲載の本文)
3日目(4月30日)   旅に予定変更はつきもの

セットされた目覚ましの携帯電話が朝4時に鳴った。

 前々日から走り続けた疲れか、起きようとするが目が開かないし吐き気がする。しかしせっかく旅に出てきて寝てたと言ったら笑われてしまうので、重い体を運転席に移し、朝陽の撮影場所探しをするため周囲を走る。岬の中でも少し高い位置に決めた・・・というより、東の空が赤くなり始めて大急ぎでカメラ2台をセット。
4時30分に下北半島辺りから日の出が見れたのは感動もんだ。

 その後、龍飛灯台に登るとそこには津軽海峡をはさんで北海道が見えた。津軽海峡に接する北海道は、言葉では表現できない美しさなのだ。

 今日は、龍飛岬より夕陽も撮影するつもりだったが、「日の出、日の入りコンパス」でみると、龍飛岬からの夕陽は北海道にかからず、ただの日本海に沈む夕陽となってしまう。次の案として半島の右に位置する尻屋崎より、下北半島の大間あたりに落ちる夕陽に決めた。

 8時に龍飛岬を出発して尻屋崎に到着したのは16時過ぎ。尻屋崎には寒立馬(かんだちめ)が放牧されていて、岬先端部の車道入口に自動タイマーが作動するゲートが閉まっていて入れない。思い描いていた夕陽の撮影ができないため、仕方なく予定を早めて次の目的地「恐山」に向けて移動だ。

 恐山に行く途中の薬研(やげん)温泉が無料の露天風呂を発見し、野宿は露天風呂「かっぱの湯」の駐車場とした。





龍飛岬の朝陽   朝陽は下北半島より登った
疲れて寝ているが、風で車が揺られ、風の音もビュービューとしていた。
また、朝方には気温も下がったのだろうか、とても寒かった。
毛布にからまりながら(大きな毛布なので2重にしていた)寝てはいたが・・・。

前々日から走り続けて本日の睡眠は5時間弱でしかなく、身体も頭も重い。
起床は4時、フラフラする身体にムチを打つように、「起きなければ・・・」と無理やり気持ちを振るい立たせた。
車を動かすが、どこから撮影すれば「龍飛岬らしい・・・」と、辺りを走りまわるが分からない。しかたなく、突先の高い位置を目指した。
まだ、4時20分なのに東の空が赤くなり始めている。
確か、広島では日の出は、6時前だったような気がする。こんなにも時間が違うのか?

4時43分に、太陽が頭を出した。
地図で見るとどうやら下北半島から登っているようだ。

やったぞ!
東北旅の目的でもあった、龍飛岬より朝陽が拝めたのだ。
朝陽は、いつもよく見ているが、やはりここが本州の最果ての地と思うと、心が踊るくらい感動ものだ。


龍と龍飛岬と北海道
(龍と竜飛岬と北海道)


龍飛崎灯台
龍飛崎は北緯41度15分。北海道の「白神岬」とは20kmの距離。
岬の先端は高さ115mの断崖になっている。
ここからは津軽海峡の北に北海道を、南には小泊権現崎を望むことができる。
また、昭和63年(1988年)に開通した青函トンネルの青森側の基地があったところ。現在では青函トンネル記念館としてトンネルに関する資料が展示されている。

観光で来ているのではなかったので、青函トンネルは見なかった。今後いつ来れるのかと思うとやはり見ておけば良かったのだろうか?(開館するもで待てるない)

そんなこと言っていたら、何日あっても広島には帰れないだろう。



津軽海峡の向こうは北海道が見える
その後、龍竜飛岬灯台に登るとそこには津軽海峡をはさんで北海道が見える。澄み切った空気の中、津軽海峡に接する北海道(松前町〜函館山)が見えていた。
言葉では表現できない美しさなのだ。
画像は龍飛港から北海道が見えている。


石川さゆり「津軽海峡冬景色」の石碑
龍飛岬 石川さゆりが唄う、「津軽海峡冬景色」が聞ける。
“ごらんあれが 龍飛岬 北のはずれと・・・”北海道をバックに石碑が建っている。
その石の中に赤いボタン。押した瞬間、石に組み込まれたスピーカーからステレオで曲が流れる。
石碑の前で聞くとこの歌の歌詞が心に伝わる。
なぜかセツナイ気持ちになるのは私だけであろうか?
人が大勢いるとボタンを押す勇気がいるが、北海道が見えているなら思い切って押してみてください。
「津軽海峡冬景色」が絶対に好きになることは保証しますヨ。





龍飛岬 日本唯一の階段国道R339号
国道階段の看板




全長388.2m 362段 標高差70m。階段が国道となっているのは全国でもここだけ。車両の通れない階段でつながっているから不思議。

弘前市から津軽半島の西海岸沿いを通って三厩村の役場間をつなぐ国道339号線で、もともと村道だったものが県道、国道へと昇格したものだが、これはお役所の役人が国道指定の際に現地を確認せず、地図を見ただけで国道に指定した結果という話である。


この階段国道は、ぜひとも見てみたい所であった。
日本に一つしかないと聞くと・・・!
歩いてみるとこの国道も観光だけではなく、集会場や小さな畑があり地元の人達の生活道路でもあった。下の方は階段がジグザグの交差している。また、下の入口は民家の横を通り上がる。
また、言い方を変えると、本州最北端にある北海道が見える長い階段とも言えるだろう。

どちらから行っても、同じ階段を往復しないと戻れない。
ちょっとだけ、時間と気持ちにゆとりがないと無理かな?




JA11−龍飛崎にて
(拡大で見れます)



より強く本州から北海道を見た気持ちなれるのは「日本海シーサイドライン」を走ることをお薦め!

日本海シーサイドライン
道の横にはあちらこちら雪が残っていて、多いところでは2mちかくある。吹く風は強いのだが、冷たいという感じはしない。観光客の着ている服は、半そで姿もいれば長袖もいるくらい。
風の岬としても有名で風力発電の風車が近くの丘に数多く立っている。
恒常的に強風の吹く津軽半島北端の龍飛地方に、直径28mの風力発電用の風車が林立している。
「ウインドパーク展示館」で詳しい仕組みがわかります。

昨日、夜に走って龍飛岬に着いたため、周りの景色はまったく見てなかった。
龍飛岬を紹介する本などでは、必ずここからの景色を見せている。わざにもう一度往復する甲斐はある。

龍飛岬より津軽海峡を挟んで、北海道を見る景色は雄大としかいいようがない。
私の住む広島県人としては、中国地方から四国を見るのとちょっと訳が違う。瀬戸内には、どこから見ても海に浮かぶ島々を手前にしてしか見れない四国は、他国とは思えない。
しかし、ここから見る北海道は、他国に見えてしかたない。


ただ残念なことに・・・。
地球の環境破壊からすると自然の風を利用して風車で電気を起こしているのは納得いくのだが、自然の風景を残すことを考えると、少しなんとかならないものかと思ってしまう。

この雄大な景色に立つ風力発電の風車は・・・似合わないと思う。





昼食場所 陸奥湾 砂浜海岸
野辺町から国道279号線でむつ市に繋がる「むつはまなすライン」。
天気は良くても、津軽半島と下北半島の全景は見ることができないほど、陸奥湾は広い。
朝に龍飛岬を出てひたすら陸奥湾沿いを南下。青森市を通って、むつ市に向かう途中に、あまりにも腹がすいたので昼食とした。ガスコンロを出してフライパンで焼肉をして食べた。おなかも一杯になると眠気に誘われて心地良い風を受けながら昼寝をした。

今晩の野宿はどこにしようかな〜あ。と考えているいるうちに瞼が閉じた。


この後のスケジュールは起きてから・・・。



尻屋崎
昼飯を食べて少し仮眠をしたのちに16時20分に尻屋崎に着いた。
尻屋崎より下北半島の大間あたりに落ちる夕陽を狙って来たのだが、とんでもない状況だった。
見ての通りゲートが下りていて車では入れない。ここは、放牧の馬(かんだちめ)が上位らしく、人間は二の次のようだ。
なかなか素晴らしいことではないだろうか?
だいたい観光地ともなると、動物や植物などはホッテ人間さまの行動が許されているのが大勢である。
何も、勉強(調べて)していなかった私が悪いのだ。ましてや、ここで夕陽を撮影するなんて、一度入ったら朝まで出れない?そうなれば朝陽も撮影できただろうに・・・。

尻屋崎で撮影して、そのまま野宿(車泊)をしようと、さきほど計画したばかりなのに計画は余儀なく変更することになた。

さ〜あ、何処へ行けばいいだろうか?

今回の旅では、ここ尻屋崎は訪れたが見れないことになったが、結果的には、後日もう一度立ち寄ることになった。
そこで、灯台とかんだちめを紹介しよう。





17時頃 尻屋崎より少し南下したところ 悔しいが一応夕陽?
何処へ行こうか?
何処で寝ようか?

県道6号線の東通村の岩屋あたりの海岸線で車を停めて悩んだ・・・・?
見ての通り、ここで(落ちる夕陽は大間あたりなのだ)綺麗な夕陽が見えるならこのまま待つのだが、悔しいことに厚い雲が覆っている。

一気に大間まで行くのは芸が無い。
ましてや、私は海岸線を走る場合は、海に近い左側を走ると決めている。同じ走っていても少しでも近くに海が見えるからである。だから、大間を目指すのはもう一度、陸奥湾に出なくてはいけまい。

そんなつまらないことを考えならが、ここは下北半島だと思い直して、見ておかなければ行かない場所といえば、「恐山」だろう。絶対に行こうと思っていたとこではないが、地図を見るとその周りに温泉を発見した。
そうか、朝4時頃からウロウロして汗だくにもなっているので、ここらで汗を流したいということに決めた。

薬研温泉(やげんおんせん)にかっぱの湯があると地図に載っている。
ここに決定!
さっそくカーナビにセットすると、薬研温泉まで約40kmほど。

国道279号線の大畑あたりで、すごい眠気に誘われてしまって、広い駐車場に車を停めて、ハンドルに頭をのせたまま寝てしまった。エンジンもかかったままで、約20分ほど仮眠してしまった。
かなり疲れがあったようだ。龍飛岬を出て3回目の仮眠だった。
でも、これは、今回の旅では、絶対条件で、「眠くなったら、場所かまわず寝る・・・」と決めていた。
これって、目が覚めると、すごく頭もハッキリ、目もパッチリするのですよ。
寝る時間なんて関係なく、目を閉じることです。
これが、私の安全運転の秘訣です。






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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

(2005年7月3日 本文修正)



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1102002/01/03よりカウト628