特別レポートD

ジムニー東北ひとり旅
本州最北端目指して3,600km
(掲載の本文)
6日目(5月3日)   興奮の混浴


 朝4時過ぎに目をさまし、さっそく朝風呂へ。明るくなって温泉の全景を見ると温泉は脱衣場も無い林道脇にある自然のジャグジー露天風呂だ。

 湯に浸かっていたら滋賀県ナンバーの車が前を通った。若い女性ひとりが降りて来たと思ったら、いきなり後ろ側で服を脱いで「入ってもいいですか?」って!「ハッハ〜、よければ、どうぞ」。その姿は水着ではなく、バスタオルを身体に巻いているだけ。目のやりように困った。
「おひとりで旅ですか?」「どれくらいの休暇ですか?」「何処へ行かれます?」彼女から「写真を撮ってもらえないですか?」など・・・小さな湯ぶねの対面に座られドキドキしていた。結局は、肩まで浸かってのぼせた私が先に出ること。残念! 最後は彼女に頼まれていたお湯に浸かっている姿を撮影して別れた。私の温泉歴12年目であるが見知らぬ女性(若い)との二人っきりの混浴は初めてだった。

ここでまた、宮城県から来た大泉さん&小和田さんのカップルと出会い、色々とお話を伺ってしまた・・・。

オット!話をしていたらもう10時を過ぎた。

本日の目的地は、男鹿半島。目指すは入道崎から沈む夕陽だ。

 入道崎には15時頃に着いた。灯台を被写体にしたいのだが海が写らない。手前に男鹿半島らしい荒々しい岩肌を入れて撮るしかないだろう。岩と岩の間に波打つ浜を見つけた。ここでも綺麗な夕陽を拝ませて頂いた。





奥々八九郎温泉に集まる者は、なぜか私と気が合うのはなぜ?
朝4時すぎに目が覚めたが朝陽の撮影には狭い渓流で無理と判断。

さっそく朝風呂と決めタオルを持っていく。
明るくなって温泉の全景を見ると温泉は脱衣場もない林道脇にある野湯。ダート林道の脇にある自然のジャグジー露天風呂だった。

マガジンの中ではここで滋賀県ナンバーの女性が登場するが、本当はその前の話があるのだ。
一番風呂と思いきや、湯ぶねには若い男女カップル(25歳くらい)の方が先客でおられた。
男性は浸かっていて、女性は足だけをお湯に浸けていたので、「入ってもいいですかと?」了解を得て入浴。
とにかく、狭い湯ぶねに入る分けだから、女性はこちらが見えなくはなく、目線を気にしながらの入浴となった。
お二人の邪魔をしたかなとも思いいつつも、話は相手からしてこられた。

ちょど湯ぶねから出るようで、デジカメで撮影されていた。私もデジカメ(小型)を持っていたので、その彼女に撮影をお願いしたら、私にポーズを迫ってくるのです。手を揚げてとか、最後には立ち上がってとか?
下にある画像で私が湯ぶねに浸かっているものは彼女が撮影したものです。(見せられる画像だけ掲載)
おそらく、全身を見られていたであろう・・・。
タオルも外にあるでしょう。
出腹も・・・。

しかし、愉快な方々であった。


(自然ジャグジーなのだ)

(真中から周りに4ケ所ほどに湯を流している)

(子どもの手なら入りそうは穴からお湯が出ている)

(林道の道脇に露天風呂がある)

(小坂町から奥は八九郎温泉までのダート林道)
下奥々八九郎温泉 野湯 秋田県鹿角郡

東北に行くのでいい温泉はないですかと、去年取材させて頂いた広島在住のいすゞロデオに乗るAWLクラブの福原さんに聞いていた。すると野湯で八九郎温泉なるものがあると。赤色した湯ぶねの真中から周囲に4個の湯ぶねがあり真中から分散されて流れている。真中の湯ぶねは2〜3人がやっとだが自然に噴出する自然の泡は天然ジャグジーだ。地面から白い泡がボコボコ音を立てて噴射している。地面からお湯と泡が同時に力強く吹き出る温泉を見たのは初めてだ。お湯の噴出口に手を入れてみると子どもの手なら入りそうな穴が開いている。この温泉は、私のベスト3に入る温泉として記録しておこう。

帰ってあとで調べてみると、源泉温度は44度、泉質は「ヒドロ炭酸泉」、八九郎さんという方が名付けたようで、八九郎・奥八九郎・奥々八九郎の3ケ所があり、その他にも小さな源泉みたいなものがあるそうだ。
私が入ったのは奥々八九郎だった。
この温泉をよく知っている方は、夏場はアブに要注意だという。かなり手ごわい相手らしい。



湯ぶねには若い女性とふたりっきり

と・・・そんなことがあったすぐ後のことなのです。

湯に浸かっていたら滋賀県ナンバーの車が前を通った。
その運転手(女性ひとりで若い)が来た。いきなり後ろ側で服を脱いで「入ってもいいですか?」「ハッハ〜、よければ、どうぞ!」。その姿は水着ではなく、バスタオルを身体に巻いているだけ。
目のやりように困った。「おひとりで旅ですか?」「どれくらいの休暇ですか?」「何処へ行かれます?」
彼女から「写真を撮ってもらえないですか?」など。

小さな湯ぶねの対面に座られてドキドキしていた。
先ほど、かなり笑いながら愉快に30分過ごしたすぐ後のことで、すっかりノボセテいたのです。
そこに若い女性が私の前に、足を伸ばせば当たりそうな位置におられるのですから。
さすがに、女性はバスタオルを身につけているが、私のタオルは湯ぶねの外。

彼女が正面に座ってしまい、だんだんと深く肩まで浸かってのぼせた私が先に出ることになった。
 悔しい! 残念!。
また、いつもなら、お茶とか水をペットボトルを手元においているのに、今回に限りなにも飲み物はない。
倒れる寸前とでもいうおうか・・・。

最後は、彼女に頼まれていた、彼女自身がお湯に浸かっている姿を撮影して別れた。
私の温泉歴12年目であるが見知らぬ女性との混浴は始めてだった。
今思えば、セルフタイマーを使って、同じ湯ぶねの中でいっしょに撮影させてもらえばよかった。
今後、こんなことがあるとは思えない。
とても残念でしかない。

いったん、車に戻り、軽く朝食を済ませて、もう一度風呂に入ったのである。
そこにアベックの方が風呂に来られて、ふたりに話が聞きたくてご一緒させてもらった。
宮城県の自宅から400kmも離れているのにどうして来たのか、大泉さん&小和田さんに聞いた。
彼女は水着で入浴で、さきほどのことを思うと、ごく自然な格好だと納得できる。



大泉 剛 26歳 小和田麻里さん 宮城県石巻市在住

(宿はこの車)

(仲良く混浴している姿)
ホンダスッテップワゴン ステーションワゴン フルタイム四駆 平成8年購入 2000cc
1泊2日でキャンプ。石巻市より下道(国道)を400kmを走ってきたそうだ。ふたりの関係を聞くと交際している間柄。大泉さんが数年前に1度来たことのあり小和田さんにも野湯の温泉にいっしょに浸かろうと連れてきたそうだ。以前はスズキジムニーSJ30の幌車に乗って林道やスノッボーなど行っていたという四駆好きな方だった。彼は24歳の時に単車で日本一周をした経験があり旅好きな者同士、話しが尽きなかった。
友人に連れられて温泉に行ってから闇付きになり、今回のデートがここ奥八九郎温泉となったそうだ。彼女は、初めての露天風呂で「私も温泉が好きになりそう」と言って笑っていた。



当初の計画なら、十和田湖のカメラ撮影後に、どこかの温泉に浸かって身体を休めて、青森の東北自動車道を南下して帰宅する日程だった。
しかし、少しスケジュールが前倒しになっていたので、別の場所に寄る事にした。
まず、候補として、八郎潟干拓地の中を走る、男鹿半島に行く、能登半島に行く、などの候補地を挙げてみた。

たちまち、行けるのは、八郎潟と男鹿半島の夕陽撮影。
その後のことは、カメラ撮影が終了した時点で考えることにした。




(八郎潟干拓地の中)

真っ直ぐな道に驚いた・・・八郎潟干拓地
地図でも見ても道が真っ直ぐに見え、碁盤の目のようになっているのがわかる。
走ってみると、私がいままでに経験したことのないような真っ直ぐな道だった。どこか途中には写真のように桜が道の両側に植えてあった。
ゆっくりしたいのだが、男鹿半島が気になってしかたなかった。走っておいて良かった。見ずに知らなかったら損をしていただろう。




男鹿半島 入道崎

(入道崎に立つ入道崎灯台)

(夕陽撮影の場所探しの為に岬をかなり歩いた)

(入道崎から東に寒風山が見える)
男鹿半島は、龍飛岬に行く途中に左手に見ながら通過した所。
まさか、ここに立ち寄ることができるとは思わなかった。

男鹿半島の入道崎は、予想以上に美しい風景だった。
ま〜あ、天気も良かったせいだろう。
夕陽が綺麗だという看板もどこかで見たが、陽が沈むときにはかなりの観客がいた。





男鹿半島 入道崎に沈む夕陽

(夕陽を見るため多くの見物人がいた)

(撮影ポイントはここに決めて三脚を立てた)

(こんなドラマもあった)
入道崎では、天気もよく綺麗な夕陽が見れそうだと思い岬をあちらこちらを散策した。
できれば、入道崎灯台を入れて海に沈む夕陽と・・・、それは適わないと判断。
岬を歩き、岩肌を入れる位置を探した。そこに1時間前には三脚を立てた。
しかし、そののちに、車から降りたカップルが椅子を下げて岬の突先に陣取った。
すかさず、後ろに回り見てみると、アベックをシルエットにするとドラマッチックな光景が・・・。
でも、ここは男鹿半島の入道崎、先にポイントを決めた(画像の左)位置が、それらしいのである。
どちらを撮影するか、距離にして2つのポイントは100m弱。
そこで、決断をした。
アベックの被写体に200mmのレンズを付け縦位置で太陽が入ったものを撮影後に、100メートル離れたもう一つのポイントへ走る。上の右の画像はデジカメだあるが、ちゃんとポジフィルムでも押さえています。
もちろん、太陽が入ったものを。

しいて言えば、後もう少し水平線まで太陽が落ちてくれると嬉しかったのだが。





撮影は19時過ぎまで行い、車に戻り、これからのスケジュールを決めることにした。
旅の残す日にちは、あと2日となっている。
このまま家に帰るのは、ちょっともったいない。

地図を見ていると、石川県の能登半島が目に止まった。
しかし、かなり大きな半島で、どう見積もっても、1日では周りきれそうにない。
でも、帰り道であり、富山県の富山あたりでもう一度決断することに決めた。

元気が残っているか?
日程的に、無理はないだろうか?
そんな不安を抱きながら南下することにした。

まだ、ここは秋田県の男鹿半島で、通過する県は山形県、新潟県、富山県とあるのだ。
それも、新潟までは下道の国道を走らなければならない。





電脳化ジムニー&車泊できるジムニー 紹介
なぜパソコンが2台?
向かって右のノートパソコンはGPS専用のもので、PCカードで使用している。地図はゼンリンを使う。何と言っても、地図の拡大縮小が自由自在で、自分の居る位置から見える方向のもを見つけるのに便利。
向かって左は、デジカメ(一眼カメラ)で撮影した画像をPCと外付けHDDに保存するために使う。また携帯電話と接続して、インターネットに接続し、天気予報や地域の情報をゲットしたり、メールをチェックする。走行時にはカバンに収納していつもは使わない。
PCが載っている台は、ベットになり後部から助手席まで1650Cmが確保できている。
いつもは、助手席はそのまま倒してもベッド使用となるが、今回は長旅なので荷物が多いので助手席は外してある。
そこには、カメラ機材で一杯になっている。
だから、私の旅の足となるジムニーは一人乗りである。


今回初登場のサイドテント

(林道脇にジムニーを停めてそこにサイドテント)

(テントのポール部分には重石のBOXと水)

(小さなテーブルなら3〜4人は囲める)

(吸盤の取り付け位置は片方4ケで両方で8ケ所ある)
サイドテントの話
今回初公開。前幅170−後幅250 奥幅250 重量2.5Kg
テントの端を車の屋根などに吸盤で固定できるテント。取り付けの位置は車の左右、後部でもOK。今回は林道の道に車を停めたので、後部に取り付けてみた。
組み立てはひとりで7〜8分で簡単にできる。骨組のアルミ合金のパイプを2本がテントの外部に通るように縫ってあって通すと、半円形の形ができる。私が買ったタイプはテントのサイドをふさぐようになっていない。別にこのテントで寝ようとは思わない。食事(自炊)をするときにテーブルを出してそこで火をおこしたいのである。また、夜露よけにもしたい。
使用してみてこれは思った以上に使えそうだ。
タープ式と違って紐やロープを引っ張る所を探さなく場所を選ばない。
車側の取り付けは吸盤が2個付いていて、強力にくっつく。私の場合、別に2個を買い足して4つを使用している。
風でテントを持ち上げられて飛んでいくのを防ぐためだ。

とにかく、すぐにタタメテ、小さく収納できて狭い荷台でも邪魔にならない。
屋根があると、ゆっくり食事ができそうで重宝ものだった。



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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

(2005年7月3日 本文修正)


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1102002/01/03よりカウト628