特別レポートB

東北〜関東の太平洋沿岸を下る
ジムニーひとり旅 3,600km
(掲載の文章)

4日目 <5月3日(水)>


この旅最大の目的地へ
本州最東端の朝日を撮影

旅び4日目は、今回の旅の最大の目的である、本州最東端のトドヶ崎で朝日を撮影。
天候と時間調整のため、前日から重茂半島に入る。もし天候が雨なら2〜3日泊するつもりだったが、前日の夜空は満天の星。寝る前に駐車場で撮影機材の準備をしていると、夫婦連れのジムニーJA11が私の横に停車した。同じくトドヶ崎を目指すため、テントを張っていた彼らと、すかさずお話をした。

21時には就寝し、午前1時50分に起床。灯台まで、街灯もなく真っ暗な細い山道を、海中電灯であたりを照らしながら80分歩く。時折り暗闇の中でガサガサと音がしたり、低い位置では波が岸壁に砕ける音や、風が木々を擦る音などにおびえながら、重い機材を担いでひたすら歩いた。

午前4時27分、日の出。この地が本州の最東端で、少なくとも私が本州で一番早い太陽を見ていると思うと、ワクワクしてきた。ついつい「ヤッター!俺が一番・・・」と言いながらシャッターを切っていた。
これで、今回の旅の目的は半分以上を果たしたことになった。



今回の最大の目的はトドケ崎から昇る朝日撮影

目覚めたのは午前1時50分。
昨夜食べた食事がまだ胃の中に残っているようで目覚めた直後は吐き気をもよおす。
ビールも飲んんでいたので頭が痛く歩くとフラフラした。
駐車場には車が数台停まっていて車狛している人やテントで寝ている方もおられるので静かに準備する。

撮影機材などは寝る前に準備していたので出発は10分後の午前2時。

とにかく、今回の撮影旅の最大の目的を果たすため、なにがなんでも歩くしかない。
駐車場から灯台まで、歩いて90分と資料にはある。
しかし撮影機材を背負い80分で本州最東端の灯台につくことができた。
少し周りを散策して撮影場所を探して風を避けるため岩の影に隠れながらパンをほうばった。



午前3時55分 撮影開始
本日の朝日は私が本州で一番だ

撮影場所に三脚を立てて東の空が明るくなるのを見ていた。何が嬉しいか? 本州の一番東に居ることがとても嬉しく感動していた。つまり東ということは朝日が一番早く見れるということだろう。
少なくとも、私の人生のうちで、本州では誰も早く日の出に遭遇するわけだ。
「俺が一番・・・」何度も言いながらその時間をまった。


午前4時27分 当たりがすっり明るくなってきた
灯台がネジレテいるのはカメラのレンズのせいです。

その時が来た。
午前4時31分水平線とその上部にある雲の間に太陽がでた。
丸い太陽とは言えないが完全に太陽が水平線より出たのが確認できた。その後雲に隠れた。

そして4時37分にはその雲を越えて太陽が覗いた。

本当にラッキーとしか言えない。
1度の撮影で、こううまく天候に恵まれて、日の出が見れるなんて・・・幸運としか言えない。

ここが撮影の本命だったので、天候次第では帰路の日程時間だけ残して2〜3日は居ようと決めたいた。



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4時51分には、かなり高い位置に太陽が昇る

本当にラッキーとしかいえない。

つねづね思っていることは−。
朝日と夕日を撮るということは、天気がよくなければ丸い太陽をみることができない。海や山や雲がそれなりの色が付かないと綺麗とはいいがたい。
また、遠く離れた地での撮影だけに一生のうちで、その撮影場所には1度きりかもしれない。
そんなこと考えていると、日本全国に撮影ポイントを落とすなんて無謀であるだろうと思っている。



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5時6分に記念撮影なのだ
 
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だから、このトドケ崎での撮影ができたことは、かなり幸運としかいえないだろう。
自分の運の良さにただ驚くだけである。

しかし、10年で100ケ所とか自分では人に言っているが・・・それは難しく無理なのかもしれない。

これで、残りのルートが面白くなってきたのは事実。
もっともいい状態での計画がたてれそうだ。
太平洋側を南下しながら撮影ができる機会が増えたことになった。

駐車場に帰ってきました

午前7時過ぎです。

撮影から駐車場へ戻って来ました。
この疲れた格好はお笑いだ。
午前2時前に起床して、灯台まで往復の後ですから。
笑い顔ではあるが、体はヘトヘトなのです。歳のせいか足が思うように上がらなくなってました。
カメラ機材と荷物で重量15kgは重かった。
●奥出夫婦に取材●  トドケ崎の駐車場にて

車で旅していてジムニーJA11とあってお互い一言でお友達になれた。
福島県いわき市在住、奥出崇志さん(28才)・有紀美さん(28才)。
ジムニーはJA11で2型で旦那さんの通勤と遊びに使う。
年に何度かのキャンプもする。この夜も手際よいテント張りで手馴れた様子だった。
それもそのはず旦那さんは単車で日本一周もされた経験者。

お二人は、ほんの10日前に目出たくご結婚をされて」新婚旅行で最果ての地(一般人が観光できる)日本の最西端「与那国島の西崎」、日本の最南端「波照間島」を制覇して来たそうです。
その勢いとでもいうか?・・・今回の旅のテーマは「東北の最果ての地めぐり」とかで、夫婦で東北を一周して本州最東端と本州最北端(大間崎)を制覇するとのこと。
6泊7日で、1400km以上をテント生活をしながら走る。
いいでよね。お二人で仲良く旅とは・・・私はひとりぼっちの旅。

次の撮影地は松島の夕日だ

奥出さんの取材と朝食を済ませて駐車場を出たのは午前9時40分。

トドケ崎の駐車場を出て20分もすると睡魔に襲われ、すかさず道ばたの広いところへ車を入れ1分もしないうちに爆睡。
30分ほどで起きることができ、起きたあとは頭と目はすっきりした。
目指すは松島湾で距離にして200kmほど。
夕日撮影まで6時間以上あるし余裕かと思いきや、国道を走るがなぜか時間がかかる。
目指す松島は、少し小高い展望台と資料にはあった。
ネットで下調べをして駐車場から20分ほどと記憶している。

午後4時30分に駐車場に着いてビックリ。
近くの畑で作業をしているおばあさんに山頂を聞いたら、指差す方向は予想以上に遠くの位置。
大急ぎでカメラ機材を担ぎ山道を歩いた。

山頂までは20分弱くらい上り坂を歩く。
朝もトドケ崎で歩き、今度は夕日で山登り。
汗だくだくで、もう体の限界で、頂上でしばらく座りこんだ。


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●東松島の夕日●

松島湾の東側の宮戸島のほぼ中央にある高峰(105m)のが大高森の山頂より夕日を撮影した。

松島湾に浮かぶ260余りの島々を一望できる名所が四大観(多聞山:偉観、扇山:幽観、富山:麗観、大高森:壮観)と眺めの印象を表す名称で呼ばれている。

展望台から見える景色は、沈む夕日が海面を紅く焼け点在する島々にもシルエットとなり素晴らしい絶景をみることができた。

刻々と太陽が沈みかけると、海と島と空の色が変化するのをみて、さきほどの苦しかったことは吹き飛んだ。
朝日にも負けず劣らず、感動的な夕日だった。

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展望台で最後まで残っていたのは私だけ。
カメラマンも10人ほどいたが、日没と同時に下山したようだ。

一人残り、完全に暗くなるまでいるつもりだったが、あるはずの懐中電灯を車に忘れたようで、山を降りるのにすごく不安がつのり下りることにした。
もちろん街灯もない。道は山肌がでて滑りやすい。
携帯電話のカメラの照明で足元を照らしながらおりた。

駐車場に降りたのは午後7時20分。

さ〜あ、ここから何処へ向いて走るか?
トドケ崎の撮影した後の日程と決めたルートはないのである。
撮影旅の候補2番目が松島だった。

この後は、おおまかに房総半島を走り東海道を下るというぐらいのルート設定だった。
トドケ崎で何泊かすると、ただ自宅を目指して帰るだけということも考えていたくらいだ。

ここから新たな何パターン(天候で変更)かのルート設定をしなければならない。
自宅まではザット1000〜1400Kmはあるだろ。
全国地図を見ると、ここはまだ東北で、仙台の少し上といったあたり。
あまりゆっくりしていると広島県は遠い。

ラジオで天気予報を聞いたりしてもしばらくは全国的に晴天らしい。
明日の朝日を目指すとして、イッキに房総半島の千葉県は無理だろう。

体が疲れていることも考慮すると、頑張って200km南下の福島県の「塩屋崎灯台」あたりが限界と予測。

ルート設定に約1時間かかり、松島の駐車場を出たのは午後8時30分。



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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

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