特別レポート@

東北〜関東の太平洋沿岸を下る
ジムニーひとり旅 3,600km

(掲載の文章)

1日目 <4月30日(日)>  〜  2日目 <5月1日(月)>

自宅からイッキに1316km
19時間後には田沢湖で温泉に


福山の自宅を昼に出て、山陽自動車道〜中国自動車道〜名神自動車道〜北陸自動車道〜磐越自動車道〜東北自動車道とたどり、盛岡市を抜けて田沢湖に到着したのは翌朝7時。

ガソリン給油を6回、仮眠を3回足らずでイッキに北上した。疲れていないと言ったら嘘になる。
田沢湖の周囲は東北地方でも温泉の宝庫とあって、中でも有名な乳頭温泉郷へ行くことにした。

下調べしていた「秘境の秘湯の宿」「木造でひなびた温泉」「お湯は掛け流し」「露天風呂」というフレーズに惹かれ「孫六温泉」を選んだ。
妙乃湯温泉、大釜温泉を素通りしてダート道の通行禁止の看板のある駐車場に到着すると、そこから2km弱は徒歩。
残雪の渓谷の心地良い風を受けながら、自然の中を歩く。

孫六温泉は秘湯にふさわしい温泉。
内湯(石の湯)、唐子の湯、露天風呂と3つの湯に浸かりながら、思えば遠くへ来たものだ、としみじみ旅をしている感覚に酔いしれた。


今の夢を実現するためには体力勝負!

旅のデーターを見た人からは、「無謀な旅をしているな」「これじゃ〜しんどいだけでしょ」とか言われそうだ。

言い訳ではないが、私にしてみれば、数少ない休日を目一杯使わないと、ただの計画・夢でしかなくなるのである。

「朝日・夕日の撮影旅」としては、これだけ走らないと、行きたい所・見たい所まで辿りつけない。
とにかく、ゆっくりとのんびりと走る時間はないのだ。
目的地までは、体力の続く限り走るのみ。

現実は、仕事・家族のある者としては、仕事を辞めてまでは好きなことはできない。
また、そんなにしてまで自分の夢を果たそうとは思わない。
今、できることを精一杯やる!
計画を実行に移すのみ!
旅の最初の朝日は高速道路で遭遇

家を出てから自動車道をひたすら走る。
計画では、新潟から磐越自動車道を走り、途中で猪苗代湖に寄る予定だった。そこで、朝日を撮影したいと予定にはしていたが、磐越自動車道では、雨が降り、雷までが鳴り、猪苗代湖付近では、朝日撮影どころではなかった。
予定の初っ端から計画変更か〜あ。
ここは、イッキに東北自動車道で盛岡−田沢湖へと行こうと。
うまく行けば田沢湖で朝日撮影が出来るかもしれない。

そんなに甘くはない。
家を出て、約13時間で1,000kmを走っているのだから。
福島県から宮城県あたりで眠気が襲ってくる。

当然のこと!

田沢湖まで200kmを6時間かけて、そのうち仮眠は約2時間も・・・取るはめになった。

なので、朝日は盛岡市の手前の東北自動車道のPAで見ることになった。

ここから、毎日同じ太陽を追うことになる。・・・当たり前か!


田沢湖を一周してみる

湖の最大深度は423.4mで日本第1位。
湖面標高は249mなので最深部の湖底は海面下170m以上のところにある。
田沢湖を一周することにして周回していると“御座石神社”があり、湖を望むように大きな赤い鳥居が建っている。

後から知ったのが、この境内には竜の姿をした辰子像があり、不老長寿の御利益があるとのこと。
辰子像は湖面の中にあるもだと思っていた。

境内には入らず、鳥居の周囲を散策しただけだった。
ちょっと勉強不足だったようだ。
残念。
御座石

秋田佐竹二代藩主、義隆公が慶安年間(1647〜1651)にこの岩場に床枕を据えて田沢湖の景色を眺めたことから付いた名で、御座所の石(岩場)という意味。
ここは延命水という泉が湧いていると言われているが、延名水は涸れて確認出来ない。
辰子像とその伝説

辰子像は薄絹を身にまとって金色に輝く像で、田沢湖のシンボル的存在。
像の後ろには秋田駒ヶ岳が見え湖畔の絶景ポイントとして観光客で賑わう。

田沢湖の辰子像には数種類の伝説があり、辰子像を見た私は、いずれも人間から龍に姿を変えられた八郎潟の主(八郎)と田沢湖の主(辰子)が恋仲となり田沢湖で暮らすようになり、八郎潟は浅くなり主の増えた田沢湖は逆に深くなったいう説を信じる。

乳頭温泉郷(にゅうとうおんせんきょう)

個性的な一軒宿が集まる温泉郷。
玉川支流の千達川の最上部に点在する7つの宿からなる乳頭温泉郷。
全国でも温泉ファンが憧れる秘湯で知られている。
東北を代表する秘湯だ。
ガイドブックを見ても、「ここへは行きたい」と思わされる湯の色。
とにかく、行ってみよう。
   鶴の湯への道にはブナの原生林は雪が残る。ここって、冬には雪がすごく積もるだろうな。
   でも、テレビで見たぞ!
   冬なのに、お客さんがいっぱい泊まっているのを・・・。

鶴の湯

古くからの温泉宿として1688年ごろの記録があり、鶴の湯の由来は傷ついた鶴が湯で傷を癒すのを見て名を付けたと言われている。
時代劇のセットに来たような気すらする茅葺き屋根の本陣。温泉の顔でもある建物を見ただけで圧巻。

全国の温泉ファンが一度は入浴したい温泉が、鶴の湯の半径50m以内に泉質の異なる4つの源泉が沸いている。
源泉名は“白湯” “黒湯” “中の湯” “滝の湯” で同じ敷地内で、効能・泉質共に異なる4つの温泉が湧くのは珍しい。
などと詳しいことを書いているが、ガイドブックを見ての知恵なのだ。

今年の2月に雪崩の事故にあって4月20日より営業を再開したと聞いてお風呂に入れると思い訪ねた。
本当に入浴したかったのだが、日帰り入浴は10時からで、それまでは待てないので、入口で記念写真を撮って、しぶしぶ立ち去った。
ぜひとも、再訪して4つの湯に浸かりたい。



ここまで来たのだから絶対に温泉にはいるぞ

でも、ここで諦める訳にはいかない。
私の友達に温泉好きな者が多く、ぜったいに言われるに違いない。
「そこまで行って、何処にも入浴しなかったの?」 「あ〜、もったいない!」 と言われる。

私も、そこまでひねくれていない・・・つもり。

秘かに、決めていた温泉があった。
下調べしていた「秘境の秘湯の宿」「木造でひなびた温泉」「お湯は掛け流し」「露天風呂」というフレーズに惹かれた「孫六温泉」なのだ。

(大釜温泉)おおがまおんせん

(妙乃湯温泉)たえのゆおんせん
鶴の湯から県道194号線に戻り上流に走ると、妙乃湯温泉、大釜温泉の前を通る。
大釜温泉の裏手に林道らしき道があり、「孫六温泉」と看板があった。
そこの先には、通行止めの看板があり、2〜3台が停まれるスペースがあったので駐車した。

どうやら、この道の先にあるらしい。
歩くしかないだろう。

後から解ったのだが、妙乃湯温泉の手前を右折すると黒湯温泉に行けて、そこの駐車場からは、歩いて3分足らずで孫六温泉に行けるそうだ。





(手前が唐子の湯で右の小屋が内湯)

孫六温泉

“清流と深山にいだかれた人情宿” “みちのく秘湯乳頭温泉郷” と看板の通りだ。
秘湯と言えばその通りだがあまり手が加えてない温泉。
お客さまへの配慮も少なく、良く言えば自由的な温泉。

裸で風呂から風呂への移動には何人もの女性とすれ違った。
後から知ったのだが孫六温泉も4つある源泉で単純硫黄泉・ラジウム鉱泉などでそれぞれ泉質が違ったよう。

古くから「山の薬湯」として知られている。

(唐子の湯)

“唐子の湯”の小屋は、入口がひとつで、風呂が男女別々になっている。
風呂の中では板を挟んで、女性風呂がある。
どうやら、風呂の湯の下側で繋がっているようだった。

隣からも、湯を掛け流す音がしていた。
そして、「熱い・あつい・アツイ」の声が聞こえていた。

確かに、、唐子の湯(男湯)はとても熱っかた。
こうなったら、絶対に入ってやるぞ!
何度も湯ぶねの湯を体に掛けて慣らしてゆっくりと浸かった。
それは肩まで浸かるのが十秒ほどがやっとで、体は赤くなっていた。


(内湯)石の湯
唐子の湯を飛び出し、タオルを巻き、近くの“内湯”へ駆けこんだ。
その途中でも、女性の方がウロウロ。
ま〜いいか、どうせ私を知る人はいなし。

この湯は、先ほどと違い、少しぬるま湯。
少し浸かるが、どうも外には露天風呂があるようだ。

やはり、外の景色を見ながら入る方がいいに決まっている。
露天風呂は、2つあった。
その名は、どう付いているのかは、定かではない。

どちらも、ぬるま湯で、長湯ができそうだ。

孫六温泉には、歩きも入れて1時間30分も居た。

(露天風呂 @)

(露天風呂 A)
実に良い。

ここまで来た甲斐があるというのものだ。

旅の実感に酔いしれた。

露天風呂から、渓谷に残る雪や渓流の水の流れを聞いていると、心が洗われる感じがした。

それと同時に、「遠くへ来たものだ、旅をしているぞ」と感無量だった。


昼食は自炊でゆっくと

温泉にも浸かり、田沢湖に戻りフラフラしたいると、時間は12時前。
田沢湖道の南側の田子ノ木キャンプ場に、腰を下ろすことにした。
ここで、昼食と昼寝と決めた。



田子ノ木キャンプ場なのだが、その施設たるもの・・・時期が違うのかな?
でも、自炊に関しては、たとえ水がなかろうが、まったく関係ない。
画像では、湖が入っていないが、車の前方には田沢湖があるのです。

自炊となると、次の画像をみてわかるだろう。
短時間で用意できて、欲しい物をチョイスしながら食べれるのは実に素晴らしい。
我ながら、アッパレー!

その後、デジカメの画像の保存を済ませて、昼寝の時間。

自炊についての詳細は、
ここからどうぞ!

(風がある場合はう後ろのドアを風よけに使う)
(風か強い場合はヒンジにガムテープを巻きつける)

(今回のメニューです)
(チャーハン・スモークハム・ウインナー・牛肉・エビ)

田沢湖の夕日撮影

16時頃から、太陽を見ながら撮影ポイントを探し始める。田沢湖の東側の観光物産店などが並ぶ所。
駐車場に停めて湖際を歩く。
この時期は、水が少ないのか、かなり浜が続いている。
水が多いときは、この位置は当然歩けず水面下になる。
季節的に渇水時期なのでしょうか?
それは、まったくわからい。

しかし、天気が良さそうとはいえない。
水面を真っ赤に焼けるような雰囲気はないようだ。

どんよりとした、暗いイメージの空。

(拡大)
しかし、ここは田沢湖。

わざに遠くから来たお客を見放すわけがない。

日没に近づくと、空には、幻想的な雲が出てくる。

辰子の伝説の龍のことを思い出す。
龍の格好こそしていないが、まるで突然現われた雲には驚いた。
「なんじゃ・この雲の形は・・・」と独り言。

そうしていると、今度は、太陽を真っ二つに別ける雲。

続きざまに、見せられる光景に、ゾク! とさせられる。

シャッターを切っている自分の背後に霊感(冷感)を感じる?
ゾクゾクするのである。

何度も後ろを振り向くが・・・誰もいない。


寒い。
周囲の山には残雪が、吹き付ける風は冷たい。

そうか、ただ、寒いだけか!

・・・と、納得しておこう。

(拡大)

田沢湖で夕日を撮影して19時に出た。
計画では、R341号を玉川温泉〜八幡平〜R282号へ抜けるつもりだった。
このルートだと、今回の旅は4000kmを超えていただろう。

その後は、東北自動車道〜八戸自動車道〜八戸市と行くだったが、田沢湖を出たとたんに、この看板を2枚も見た。
今回はチェーンは持っていない。
たとえ、4駆といえ夜に寒いところで立ち往生はいやだ。

ここで、大幅なルート変更となった。
しかし、この変更は大正解で、あまりにも距離がありすぎたのだ。

また、八幡平には来よう・・・と。
あきらめた。


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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

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1102002/01/03よりカウト632