※写真展は終了してます※
 写 真 展   第2回  2008年9月21日〜10月13日 定休日 水曜日
    タイトル    平安からの時空
    写真展会場 福山市新市町 備後吉備津神社 斎館
    展示時間   10時〜18時
●200903020● 写真展・・・その後・・・

写真展が終わって、年も変わり普通の生活に戻りました。

しかし、下段の記事で写真展の話が終わるのも少し淋しいので、あえてもう一度だけ記憶に残すためにも書くことにしました。
少し、長くなりますが・・・・。

2009年になった3月でも、「あの時の写真展はと・・・よかった」と時々言われます。
自分の中では、完全に終わったと終止符を打っているつもり・・・。

この写真は写真展が終わった2008年10月13日の打上げの時の画像です。
カメラマンが何人もいたのに打上も終わりになった頃にやっと三脚とカメラが出てきて撮った1枚である。
打上では、あと抹茶の会の女性が15名ほど同席だったのに、途中で帰られて写ってません。
総勢30名という大所帯で美女軍団もいないという淋しさ・・・。
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本当に残念である記念写真となってしまった。

また、写真展の時にプラズマ42インチTVにパワーポイントで自主制作した「吉備津神社の四季(約40分もの)」を放映した。
その時のプロログに使った雅楽の曲を録音させていただいた “吉備津神社 雅楽部” の方を紹介します。
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大変ご無理なお願いをしました。
ミキサーとパソコンを使って本格的にデジタル録音させていただきました。

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こちらは11月の市立大祭の時に演奏された時のものです。


さて次は、写真展中に掲載された新聞記事です。
本紙もあれば、地元ミニコミ誌もあり、何度も取り上げていただきました。
まだ、ビジネス情報誌とか他にも掲載せたましたがここでは新聞記事を日付順に紹介します。
9月21日記事
 9月21日
9月21日記事
 9月21日
9月22日記事
 9月22日
9月23日記事
 9月23日

9月23日記事
 9月23日
9月23日記事
 9月23日
9月23日記事
9月26日
9月26日記事
 9月26日

9月27日記事
 9月27日
10月2日記事
 10月2日
10月7日記事
 10月7日
10月8日記事
10月8日
10月11日記事
10月11日
新聞社の質問には同じように答えたつもりですが、少しづつ記事の内容が違います。
写真展中にこれだけ取材されると、いつ誰に取材されたのか? 解らなくなりました。
これに、RCCラジオ・FMラジオ・ケーブルTVなどもあったのですから・・・。
ほんとうに、凄いとしかいいようがないですね。

この記事も、千二百祭の写真と今回の写真展の写真と同様に吉備津神社の
宝物殿の中に入れてもらうことが決まってスキャンしたものです。


さて、写真展も終わり、その後に残っている作業と言えば、写真展成功の報告を吉備津神社にすることです。
写真展の開始時に吉備津神社で“写真展成功・千客万来”を御祈祷しました。
無事に終わったのですから、ちゃんと報告祭をしなければいけません。

そこで、“写真展大成功”の報告と吉備津神社への“展示写真の奉納”を致しました。
続いて、写真展の期間中に購入して下さった“販売写真”に開運祈願をしました。
   (奉納写真と販売写真)

購入者の方の“開運祈願”として御祈祷した写真に“鎮座千二百年記念”と神社直筆のお札を神社のご好意により貼りました。
購入者の方からは、とても喜ばれました。




吉備津神社も2002年から何度もカメラを持って通っていたが、毎日のように通ってみて、同じものが違うように見え始めた。
私は、光ばかりみて“影”を見つけるようにしていた。
それが、いつからとなく、“影” を見るようになっていた。
そのことによって、写真を撮る気持ちが “楽” になりました。
よ〜し撮るぞと意気がっていた時がウソのように、撮影に対する気持ちが自然体で構えるようになり、自分で加減ができるようになった。

また、撮影している時に、“たまたま・・・” とか “偶然・・・” とか “一瞬・・・” とかの偶然性の一致を大切なことに気がついた。
撮影技術も必要だが、それ以上に偶然性を見出すことに気を使うことにしたことで、カメラ撮影の面白さを知った。
歩いて5分の近場の撮影ならではの結果だっただろう。


誰かが言った、
「撮影するトコロを見つけるのではなく、ここを撮りなさいと“光”“影”ガ導いてくれる。振り向いてみな、面白いものがあうるよ」 という感覚。
その感覚が、少しだけ解ったような気がした。
この感覚は、ある種の “神業”に近いものを得た気がする。

また、撮影を続けているうちに、なにものかわからぬ力で神社に引きつけられるものを感じた。
「今、来なさい」 とか 「明日、来なさい」 とか 「面白いものを魅せてあげるよ」 とかを言われるか如く足を向けている自分を感じた。

こんな気持ちをハッキリさせた出来事がおきました。
それは、写真展が始まる1週間前に、写真家:瀬尾明男氏が1枚の紙を持ってきた。
私の “写真展「平安からの時空」によせて” というものでB5判に書かれたもの。
瀬尾氏から、よければ写真展の会場で配る“しおり”の中に入れたらどう〜というもんで、読んで見て身震いがした。
エッ・・・、なんで私の気持ちが解るの?
吉備津神社を撮影してみて感じかたそのものが文章となって形になっているのに驚いた。
また、今回の写真展を引受けたのには、「自分が生きていた証」を残せると思っていたことにもふれてあった。
自分の口から他人にはなかなか言えない言葉であったので、自分の心に収めたいたのに・・・驚いた。


とにかく、私の中で “備後一宮 吉備津神社の「平安からの時空」” は、2008年10月下旬にやっと終わりました。
写真を撮ること事態は好きでやっていることですから楽しいばかりですが、写真展に向けての計画や準備が大変でした。
長く、きつい1年間でした。

でも、それ以上に得るものは多かったのは事実。
いろんな意味で未知の世界を覗いたようでもあり、いろんな方とお話ができたりしました。

私の写真展の為に、ボランティアで支えて下さった方への感謝や、写真を見に来て下さった方々には・・・ほんとうに「ありがとうございました」としか返す言葉はありません。皆様のご好意のたまものです。
これだけの写真展は、私ひとりではできてなかったでしょう。


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写真展も終わり千二百祭も盛大にとりおこなわれました。
結局、写真展だけという訳にに行かず吉備津神社側からの依頼で、千二百祭の行事を5日間(一万数千枚)、
写真仲間の6日人の有志で撮影した。

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<千二百年祭 本殿へ参進 と 特別招待者>
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<剣道大会>
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<柔道大会>
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<空手大会>
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<特設会場 演芸大会>
撮影した画像を1500枚ほど厳選してDVD2枚で吉備津神社に奉納させていただきました。
また、そのDVDから抜粋した200枚をA4判に印刷してファイルに入れて奉納しました。


これで、私の中では千二百年祭とは完全に頭から切り離すことを許された・・・ことにした。


しかし、おまけが付いています。
千二百年祭に寄付された方に配られた、吉備津神社の写真集と四季の風景の映像DVD。
写真集では、全ページが八十数ページのうち見開きで7枚の写真と1枚が1ページの合計8枚の15ページに載せていただきました。
DVDでは、表紙や映像中の季節の変わりや途中の写真画像を使ってもらいました。
また、DVDの中には、写真展以外の画像の40枚を8分ほどで紹介もしていただいてます。
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<写真集> <DVD表紙> <DVD>
※どれも、非売品で販売はしていません


あと、写真展の時に作ったポストカード5種類を紹介しましょう。
吉備津神社に5種類(1種類600枚)の全部で3,000枚を奉納。
写真展の時に会場で抹茶を飲まれた方に全種類の約700枚を無料でサービス。
写真展中に会場内で全種類で約700枚の販売となりました。

それでは、5種類を紹介します。(ポストカードには題名と説明文を印刷してます)
正中の光 「正中の光」

春と秋の二度。本殿中央の御鏡に反射する「正中(せいちゅう)」の朝日。
桜と末社 「桜と末社」

史跡一宮には多くの末社があり、春には桜の山として映える。
市立の公孫樹 「市立の公孫樹」

境内に立つ公孫樹(いちょう)は、人と物が交わる「市」を見守る。
天然記念物(日本老樹銘木 第415号)
清らかな本殿 「清らかな本殿」

慶安元年(1748)に初代福山藩主水野勝成公により再建。
桃山風社殿造りの本殿は国指定重要文化財。
平安からの時空 「平安からの時空」

昔から変わらぬ神域と日々発展する街には、平安の昔から変わることのない空間がある。


まだまだ、紹介したものはあるのですが、これぐらいにしておきます。

写真展は終わりましたが、再社するたびに新しことに遭遇してます。

今年も、いつとなく気が向いたら勝手に足が吉備津神社に運んでいる、今現在です。

一生涯、通うだろう。


●200801020● 写真展・・・大成功で終了・来客総数1707人

写真展が無事に終了して1週間が経ちました。

10月13日の写真展終了の夕方に会場内一部を片付けてから、関係者一同で“写真展成功・打ち上げ会”を行いました。

写真展後援の備後一宮 吉備津神社・協賛のPhotoCLUB写心・写真家仲間・抹茶あびきの会のスタッフ総勢25人で無事に終了したことと、大成功に終わったことを祝ったのである。
私から、「長い期間御苦労さまでした。これもみなさんのおかげです。ほんとうにありがとうございました。 ・・・信じれません! 大成功で終了できたことに驚いています。 涙が出そう・・・・。 ほんとうにありがとうございました!」
みなさんを前に、あまりの嬉しさに言葉がつまる・・・。
打ち上げ会は午後6時から午後11時過ぎまで、ワイワイガヤガヤと盛り上がったのです。

本人はもとより写真展の関係者ですら、ここまで大成功で終わることは予測してなかった。
なにもかも、うまく行き過ぎたと思ったのは私だけではなかった。

−写真展の後半経過−
来場者1000人突破の10月6日を少しさかのぼります。
▼9月26日 エフエムふくやま 電話で生放送
番組名:GO!GO!Bびんご〜 「備後ズームイン」 で7時50分から約7分間の電話生放送でした。
会場から携帯電話で放送局でオンエアー。
顔も見えないので、結構楽しくできました。

▼9月26日 CATVのニュース用を録画

地元のケーブルテレビのニュース番組の録画をしました。放送期間は10月9・1011・12日だったかな?
写真展の紹介を3分ほど放映していただきました。
カメラを向けられると緊張して取り直しが何度もありました。

▼10月2日 RCCラジオカー
  
RCCラジオカーが広島市からやって来た。数年前までは福山市にもあったのだが、現在は広島から週に1度備後地方からオンエアーしているそうです。もちろん生放送で約4分間放送でした。
オンエアーの事前の打ち合わせで、私が言うはずの事を、スミモトさんが先に言ったので、かなり困りましたヨ。
自分でも何をしゃべったのか覚えてません。

▼10月5日 来場者 1,000人突破記念
前段の記事にあるとおり、写真展開始から1週間で1000人を越えた。
凄い記録となった。

▼10月11日 来場者 1,200人突破記念

来場1000人記念より普段の5日間で1200人目の来場者を迎えた。
11日の午前11時前に、1200人目のカウントをした。
神社は、今年、鎮座千二百年祭をアピールするため、どうしても1200人目を祝い記念式をするように頼まれていた。
2列目の左が、追林宮司さんとその隣の女性が1200人目です
あとは会場におられた方にいっしょに記念撮影をしました。

▼10月13日 最終日
11日(土)・12日(日)・13日(休日)と3日間の連休で最後をくくることにしていた。
写真展を2週間も続けていて来場者数にも限りがあるのかと思っていたが、連日ともに順調な来客数をカウントしていた。
それだけに、終盤の1週間から最後の連休には息切れがして、来客が失速して激減するのかと少し不安があった。

ところが、失速どころか・・・尻あがりに数が増えるのである。
11日の1200人突破を皮切りに、写真展に来られる人でスタッフも大忙しになった。
抹茶席でのお客さんも順調に入られて、お菓子も追加注文が続いていた。

私は、会場内で説明に専念していたため外のことはまったく解らない状況。
1200人目の来場者を公表したので、今回は最終来場者数をお伝えします。

写真展の会期(21日間)での総来場者数は1,707人だった。
それも、写真展が終了したと同時にカウントした人が・・・こう言った。
なんと、本日の来場者数は193名だったと。
これって、「いっきゅうさん」ということです。
偶然というか?
備後一宮 吉備津神社は、地元では「いっきゅうさん」と言われています。
私たちも子供の頃から、いっきゅうさんへ遊びに行くとか普段の呼び名です。
最後まで、目に見えぬ力が私を助けて下さったのでしょう。

もちろんスッタフは数に入ってません。
この来場者数には誰もが驚いた。
私も、今後もし写真展をしても、この数は越えることはないだろう。

何が良かったのか?

何が起こったのか?

・・・わからない???・・・

入口をアップ
写真展が終了した14日に会場の掃除をした後の会場入り口です。
1700人も出入りしたので、入口付近の芝生がなくりました・・・。
また、お茶席に行くところも・・・。

いや〜、凄かった。
私の人生の中で大きな祭典が終わった感じだ。
地元での写真展は、「私が嫌われていたらどうしようと・・・」思う気持ちがあり、始まる前にはかなりビビッテいたのは事実です。
しかし、終わってみて、地元の方がリピーターとして来られた顔を見て安心しました。

私に対して、手伝って下さる方が居るというだけでとても幸せなことです。
また、写真展に見に来て下さる方も大勢おられたことにも感謝です。

自分の人生感が変わりました。
スタッフの協力に“ありがとうございました”と深々と頭が下がるだけです。
一人では、ここまでの写真展はできなかっただろう。
みなさん、優しく、楽しく過ごせた3週間に、感謝感激です。

私だけが特別な体験をさせてもらったようで夢を見ているようでもありました。
どこかで、つまづくだろう。
いつか大きな失態をしですかすだろう。
何かわからね不安が込み上げてくるときもあった。

しかし、あの“正中の光”を撮影してからというもの、大きな力に引き寄せられるような感じで物事が進んでいったのである。
それも、“写真展大成功”という結果にまっしぐらのように突き進んだように思える。

新しい発見も多くみつけることができました。
自分の写真を多くの方に見ていただき、私もできる限り説明をさせてもらいました。
みなさまからの色々なお言葉や感想にもとても励まされました。

写真展が成功したから言えるのでしょうが、“写真展をやって良かった”。
この体験をできるか、できないかとでは今後の人生に大きな差ができたのは間違いないだろう。

また、撮影に対する気持ちや感覚は、いままでのことをつづけていけばいいのだと再確認できました。
自分の感性をもっと磨けばいいのだと!

撮影に対しては“我が道を行く”でいいだろう。

“たまたま”とか“偶然”とか“一瞬”を大切にしようと考えた。

ただそれだけでいいと確信したのだ。

写真展が終わり、スタッフやお花やお祝を頂いた方々にも挨拶がやっと終わりました。
あとは、私の写真を飾って下さる方の準備に入ります。

写真展が完全に終了するまでには、あと少しかかりそうです。

また、その後の事はお楽しみに!


●200801006● 写真展・・・来場者1000人突破
なかなか、毎日のHPページアップが難しい。
家に帰ってから、その日の見直しやら、次の日の準備でなかなかHPページのアップまで回らないないのが現状。
昨日、10月5日(日)に写真展の3分の2が終わった。

開始から2週間目に、夢のような記録に達成したのだ。

写真展、ご来場1,000人目をカウントした。

5日の朝は、天気予報とおり、朝から雨で1日中降り続いた。
朝の10時にはもちろん雨で、気持ちは重く、半分以上はあきらめモードだった。
ところが、10時30分を過ぎたころから、イッキに30分で40名以上の方がドット押し寄せて会場の中はまたたくまに熱気で熱くなった。
このまま1,000人を軽く超えるかなと思っていたら、ピタット来客が止まった。
1時間以上で、2〜3人ほどしか来られない状況・・・おかげで昼ごはんがゆっくり食べれた。

この時点で、秒読みに入っていた。
10人が切れ、あと6人・・・あと2人・・・。
会場で外を気にしながら説明をしていたのだが、入口のスタッフから次の御客さんが来られたの声に、すかさず会場の中から出ていきその方に決定したのである。

その方は、男女のカップルで、私の第1回目の写真展に来られた方で、今回案内状をだしていた方だった。
ラッキーにも、2人は2週間後に、結婚されることになっている婚約者だった。
そのことを会場内に伝えると、みなさんが一斉に手を叩き拍手喝采!
1,000人目の来場者と、結婚に祝福を送ったのである。
「いや〜、めでたい・・・本当にグッドタイミング」だった。

私が、1,000人記念に用意していた写真と、吉備津神社側からも記念品を贈り2人は喜んだのである。
一番の喜びは私自身であり、その4ケタの数は夢にも見ていなかった数に到達したことだ。

「感謝感激」と口にしたのは、私だったのだ。

これは、私をサポートして下さった方々のおかげで達成できたことです。
みなさんの応援があったからこそ、成し得たことです。
本当に、ありがとうございました。
欲をいう訳ではないが、まだ展示は1週間あるのです。
どこまで来場者が増えるか楽しみです。

しかし、気が軽くなってホットしているのは事実です。

<<<岡村博文写真展 平安からの時空 ご来場1000人記念>>>
贈呈式の後に、2人カップルと吉備津神社の禰宜さんと本人
 

●20080928● 写真展・・・開催から1週間
写真展が開催されて1週間が過ぎました。
写真展の期間で言えば3分1が済んだが、残りで言えば3分2が残っている。
凄いことがおきました。
来場者数が前回(第1回目)の個展3週間の記録が6日目で超えました。
前回の時にも、自分的には今後簡単には来場者数が破れないだろうと思うくらいの記録であったはずだった。


<写真展会場です>
それが、3分の1で軽々と越える来場者数となった。
今だから言えるが、始まる前日まで、不安だらけで夜も眠れないほどだった。
個展開始当日には、朝起きる前には、寝ていて吐き気がするほど緊張していました。こう見えても私は小心者ですから・・・?

下段にある「写真展・・・開催」では、来場者数が少し予想していたより少なくてあまりふれていなかったでしょう。
それが、3日目の休日に、いっきに爆発したくらいに増えた。
そして、6日目(土)で、第1回目の写真展の来場者数と並んだった。
勢いが衰えることなく、7日目には記録的な来場者数。

写真展は来場者数が多いからとか少ないとかいう問題でないのは承知の上であるが、写真を見てもらうという点から考えれば、良し悪しの目安になるのは当然のことだろう。

いったい、どうしたのでしょうか?
今回は、ボランティアで「抹茶あびきの会」が協賛してくださり、お茶券を前売りでも売られていたようで、それが影響しているのは間違いのないことでしょう。
それにしても、2度・3度と来られる人もチラホラと、別の人を連れてこられる姿もみました。

会場は、私の生れ育った地で行うことにしたが、もし近所の方に嫌われていたらどうしようという心配もかなりありましたが、それは少し考えすぎだったようでした。
近所の方が、ドット押し寄せてくださいました。
ほんとうに、「ありがとうございます」の言葉しかありません。

来場者数が4ケタになるのはもう時間の問題でしょう。
それは、すごいとでしょう。

マスコミでの広報もできる限り受けました。
中国新聞、朝日新聞、山陽新聞の本紙と地域版に掲載。
エフエム福山に4分間の電話出演。
CATVのニュースの取材。
また、インターネットで検索していたら、朝日新聞のHP上にも掲載されていました。
いやいや、中国新聞にも掲載されてました。
カメラのキタムラ府中店からも援護がありました。
いつのまにか、友達もブログに掲載しているようだ。
知らぬまに・・・驚き。

今後もRCCラジオカー出演決定と来るもの拒まずと、本気で広報活動をしてます。
やりますよ。
本気で!

●20080921● 写真展・・・開催
本日、写真展の始まりとなりました。
先週、台風13号が本州に近づいて来た時には、どうなるのかととても心配でした。
なんとか、直撃はさけられて安心しました。

会場準備は、開催前日20(土)の夜9時にできあがりました。前日の土曜日は午前中(11時ごろ)から汗びっしょりになりながらの作業。
昼からは、会場前に、写真展協賛の「抹茶あびきの会」のテント設営で・・・立派な外会場もできました。

昼間は天気は良かったのだが、準備を終えて家に帰ると天気予報では、21日の天気は午前70パーセント、午後50パセーントとみて不安になった。
最後の微調整の準備で寝れたのは次の日の午前3時過ぎ。
注文していたポストカード5種類が20日の夕方に届いたので写真展の開始日に間に合ってよかった。

朝起きて天気予報をみると、午前中は大雨洪水警報がでていた。
家を出る前には、アメダスでは東広島あたりに赤い雲が東に流れていた。どう見ても写真展オープンの午前10時ごろには、雨がピークのように見えた。

午前10時、やはりというか、雷が鳴りながら雨が降り始めた。
やはり、神域での写真展は、そうたやすく開催させてくれないようだ。
神の前に、神の後ろにも、昼夜とわずウロウロしていたのだから・・・。
いままで撮影中に何も起こらなかったのが不思議なくらいだった。

だから、昨日、本式で吉備津神社で「御祈とう」したのに。
写真展成功・千客万来を願って・・・・瀬尾氏と二人で。
確かに、天気のことはお願いしていなかったので、効き目がなかったのでしょう。

写真展開始と同時に雷ですから・・・。
雨の中、少しあきらめモードになったのは事実ですが、それでも10時になって直ぐにお客様がポツリポツリと・・・いや嬉しかったです。
その後、昼食が13時を過ぎるまで写真の説明で接客。
遠くは、東広島からこのページを見て夫婦連れで来てくださいました。
このページも確かに毎日カウントされているのは気付いていたのですが、見て来られたのにはおどろきました。
四駆仲間では、岡山からも夫婦でわざわざ来て下さいました。
いや〜、とっても嬉しかった。
涙がでるほど・・・そこまではないが?。

だから、本日も疲れているのですが、このページを見ている方がおられることを思いアップすることにしました。

あまりにも眠いので・・・ここらへんで。

さ〜あ、写真展の長丁場が始まりました。
あたりまえのことですが、頑張ります。

では、おやすみなさい。

23時55分


●20080916● 写真展まで・・・あと5日 
台風13号が心配だ。
台湾から中国に上陸して日本から遠ざかると思いきや、宮古島北北西にあり進路を東北東へとゆうくり本州に近づきつつある。
予報では19日までの進路しか見れないが、九州に近づいているのは間違いないだろう。
どうなるのでしょう〜
心配しても自然現象なのでどうにもならないので・・・待つだけだろう。

ところで、写真展のほうはというと!

9月7日(日)に、昼から2人で展示用のパネルを25枚ほど会場jへ移動した。
この日は、会場の掃除ができて片付けができればいいと思っていたが、もう一人の手伝いの方が、運べるだけ運ぼうと言ってくれたので移動が終わった。いまから思えば、この日の移動が予定通り1週間後だったら・・・残り1週間は夜なべをしなければならなかっただろう。

9月14日(日)と15日(休日)の2日間に、PhotoCLUB写心のメンバーが7〜8人と手伝って下さって写真を飾る(パネルにかける程度)までに出来上がった。
どうしても写真展の会場を、備後一宮 吉備津神社の境内でしたかった。
展示する写真が吉備津神社だけに拘っている。
その会場準備が、予想以上に手ごわかった。
普通の民家で、展示スペースは和室(畳敷き)を使うのだから・・・・そのうち画像でお見せします。
ほんとうに、会場作りは大変だった。
15日の夕方に、なんとか準備ができた。
写真クラブのメンバーの助けがなかったら・・・、強気で「個展するぞ」と言っていたが、ここまで思う通りの準備ができず、時間切れでみっともない会場となり大恥をかいていたかも知れません。
本当に、メンバーの方にはお礼の言葉しかありません。
また、写真展の半分が終わったような安堵感があります。
「ホットした・・・」というか?

しかし、家に帰って、次は何をすると考えると。
「写真のタイトル」が出来上がってない。
あれもこれも少し手をつけて投げているのだ。
やれやれ、何からやろうか?

ひとつづつ終わらすしかないだろう。

*****ありがとうございました*****
PhotoCLub写心      日曜日はもちろん、夕方に仕事を終えて会場つくりを手伝ってくださってます
瀬尾明男(写真家)    写真展に関して全般に助言をくださってます
吉備津神社 雅楽部   8月31日に、会場で放映するスライドのプロローグに使う曲を録音させていただきました
抹茶あびきの会      9月15日に、外の草取と水周りの掃除をしてくださいました
吉備津神社        千二百年祭のポスターが完成しました(撮影した写真を使ってくださいました)


●20080823● 写真展まで1ヶ月を切った  
お盆は、墓参りと仏壇に手を合わせるだけで、家にずっといたのだ。

写真展までにやることが山のようにある。
毎晩、夜に食事を済ませてから3〜5時間と写真とパソコンの前に座る。
悪いことに、オリンピックが邪魔をして、集中力が落ち頭が手が思うようにはかどらなくて困っている。
明日24日で終わるからひと安心。

やっと、写真展の案内状が完成して印刷待ちの状態。
展示する写真も、あと5分1ほど決まってない。もちろん選ぶ写真は沢山あるのだがなかなか選ぶとなると大変なのだ。
写真展のポスターも6月から決めていたが、8月15日に吉備津神社でいろいろと話し合ったときに、吉備津神社の千二百年祭のポスターにと使われることになって、自分の写真展のポスターがなくなった。2〜3日もかけてやっとポスター写真を決定した。
写真展の期間中に、43インチのプラズマTVを使って、画像をスライドさせることを考えている。
これの画像選びやスライド(パワーポイント)作成でテンテコマイ。
スライドは始まるまででいいが・・・でも、四季で吉備津神社を流そうとしているので・・・。
今、やっと1年の画像がツナガッタ状態で、これから微調整に入る。
あとは、写真のタイトルを考え中。

この1週間は流れるように時間が過ぎていった。



●20080815● ホームページで個展開催を告知  
昨年、初めて写真展をして、まさかこんなに早く第2回目を開催するとは夢にも思っていなかった。

前回の写真展が無事に終わり、ホットしていたのだが、次なる撮影場所を検討していた。
もちろん、10年計画の、「全国の朝陽&夕陽の旅」は続行中だ。
2007年の8月には、九州(西〜北部)を1500km走って5ヶ所のポイントを地図に落とした。
2008年の5月の連休には、九州(約3分2周)を2500km走って7ヶ所のポイント。
現在、7年目で77ヶ所にポイントを落とした。
これからも続いて、10年で100ヶ所を追いかけることにしている。

カメラ撮影といえども、感性だけでは撮れない。
少なくとも、その感性を磨く必要があると思っている。
そんな時、東京から帰京した同級生でカメラマン(写真集を出している)に会うことができた。
彼は、最近では、カメラ雑誌の「アサヒカメラ」 2008年2月号の表紙を飾るほどの人。
その名は「瀬尾明男」。 
2月号の表紙と12ページのカラー版 「ルモイ ユキノフルマチヲ」の題名で掲載。

彼は、前回の写真展の時に開催の前日に会場の準備に手伝いに来てくれた。
その時は、彼のカメラ歴など知ろうはずがなかったが、いろいろとアドバイスをしてくれた。
そして、展示の写真を見て、これって売れるかも知れないと・・・予告した。(私自身、写真を売るとか売れるとか考えていなかった)
写真展が始まるまでに、写真を見て売れるかも知れないと言ったのは、ギャラリーのオーナーと彼の2人しかいなっかた。
瀬尾氏の存在感が私を大きく動かしたのは事実。
その後、何度か会ったり、酒を飲んだりしていろいろとカメラについて語ることができた。
地元にはいないタイプのカメラマンでその道のプロと確信したのである。
私は、彼をカメラ撮影の師匠と決めた。(私が瀬尾氏に弟子になると宣言したのだ)

そんな彼の影響で、「撮るものが無い」「撮りたいものが見つからない」の問いに、「後ろを振り向いてみな」「光が導いてくれる」「ここを撮れと光が影が教えてくれる」とあっさりと答える。
色がどうのこうの、トリミングがどうだの、まったく言わない。
それ以上に感じるものがあるだろうと・・・。
もっと、気楽にレンズを覗いたらという。
それを実際に解る感性を磨くのはどうしたいいの?
身近で、同じ場所を何度も見てみたらと簡単に返答!

そうか、私も単純に、一番近い撮影場所を決めればいいのだ。
そこが、自宅から車で5分。  仕事先の店から2分。
子供の頃から、遊びまわっていた「備後吉備津神社」。
毎日、神社の前を何度も通る。

そうして撮り始めたのが2008年10月だった。
しかし、私がカメラを趣味にしていた2002年から何度かレンズを向けていた。
ここは、すでに私のカメラの被写体から外されていた場所でもあった。

果たして、いつも見ているもの以外見えるものがあるのだろうか?
ほんとうに、ここを撮れと光や影が教えてくれるのだろうか?
その感性を磨くことができるのだろうか?

瀬尾氏は言う、「努力」「練習」は必要だと・・・。

何かに取りつかれたように、備後吉備津神社に通うようになってしまったのだ。

20数回を過ぎた頃に、神社の宮司さんから、撮った写真を見せて欲しいと頼まれた。
何度か見せている間に、「来年(2008年11月に神社の千二百年祭」をするとこを聞かされることになった。
もちろん、祭りがあることは看板とかで知っていたが、自分がその祭りに関わっていくとは思いもよらなかった。

その祭りに関して、パンフレット・記念誌・DVDでの写真・ポスターと関わることになっていくのだ。
でも、写真展をするのは2008年5月に決定したのある。


では、またしばらく、写真展のことを記事にしていこうと思う。

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