車中泊 カーネル vol.19 ★東北・三陸海岸を北上する★ ・・・その2・・・ Part14 旅人が見た震災後の東北地方 その2 <<< 2013年12月10日発売 >>> |
いま、見える景色のギャップに驚かされた。 何度となくルマを停め考えさせられ、幾度となく目尻に涙がたまった。 |
|
<<<P54とP55>>> 今回の東北旅のきっかけとなった、岩手県大槌町に着いた JR東日本・山田線の大槌駅(現在は休止中)から見回すと身震いがした。ある意味綺麗に整備されつつある姿ではあったが、家は取り壊されガレキと化した町は基礎を残して何も無い。駅のホームを歩いても聞こえるのは、コンクリートを壊す重機の音と、砂を巻きあげて寂しく吹く風だった。公道であった道を歩くと建ち並んでいた家々や生活していた人々の気配すら感じなく人が住んでいたとは想像できない。震災と津波の恐ろしさを知るというより、変わり果てた町の姿に唖然とするだけだ。防潮堤にも立ってみた。そこから海と町側を見ると防潮堤を超えた津波の高さと破壊力の猛威に驚かされるだけだった。 “語り部”のお話しで事実を知ることができた 大槌町役場へ行くと観光客を前に、震災について説明する男性(語り部)が手に震災当時の写真を数枚持って説明していた。私やほかの観光客の人たちも近寄り話を聞きかせてもらった。「大槌町の浸水範囲内の人口は約12,000人、死者・行方不明者は1割を超えた。地震直後に役場前に避難された方が、120人余り。防潮堤を津波が超えたのを見て役場の中へ逃げた。しかし、役場の屋上で生き残ったのは、たったの20名余り」。「津波が家々を壊し木造物は浮き上がり、人が屋根に居残った。海水が引き潮となった時に、その人たちが目の前を海へと流される光景。また家には火がつき・・・。親戚の人、知人が・・・。」聞いていて、涙が出た。語り部の方は、淡々とした口調で当時の状況を話され、「実は私の婚約者も、数時間前に会ったものも生き別れになった」。と話された。 記憶を風化させず、教訓を刻むこととは? 被災地で地震や津波の爪痕を残すことで保存を巡って賛否が分かれている。気仙沼の第18共徳丸が残る場所で、クルマから降り周囲を歩いている時に、船の近くに住居があったご夫婦が朝の散歩をされていたので少しお話ができた。 突然「あなたはこれ(船)を見てどう思いますか?」と聞かれた。「私はこの地に生まれ育ち生活をしてないので、言える立場ではありません」と答えた。たかが1日で1回みただけで何も言える訳けがない。続いて、「あなたは、船を残すか解体か・・どう思われます?」との問いに、「私は広島県出身で、少なくとも広島の原爆については小さいときから存在を教えられてきました。もし風化させない事実を後世に伝えるという気持ちでお話するなら、残して欲しいですね」。旅中のよそ者が安易な気持ちでいってはいけないと思いつつ、言葉にてしてしまった。 広島の原爆ドームは“負の世界遺産”ともいわれるが、世界が認めるほど核兵器の非人道性を訴えるために平和を祈る地として68年間も国際社会に強く訴え続ける力となっている。もし原爆ドームが無かったら、戦後生まれた私たちには記憶どこらか語り継がれてなく、話す機会さえないだろう。子どもの頃から、聞かされ見てきたことで、残酷と言われながら残された“語る物体”に広島と東北をスライドさせてみた。現実に、大地震や大津波を知らない者からすると、“第18共徳丸”は見ただけで、言葉はいらないくらい津波の恐ろしさを伝える力があると感じることができる。 奇跡の1本松は復興のシンボルとして必要だったのか? どうしても見てみたかったものに陸前高田市の振興のシンボル「奇跡の1本松」がある。枝の格好が違うということで再工事をするために足場が付いていた。とても複雑な気持ちでカメラを向けた。シンボルとしていわれるがスッキリと心に届かない。ここも朝日を絡めて撮影したが、朝日の“気”がまったく感じられなかった。募金で復元事業として1億5千万円もかけて「復興のシンボル」として必要だったのだろうか?まだしも「生きのびた松」なら納得がいくのだが?この松を見ていると復興という言葉の意味がわからなく理解に苦しんだ。元の松林に戻すためならわかるのだが。しかし観光客が訪れる場所となっているのも事実で地元の方はどう見ているのだろう? 東北への旅行は大歓迎なのです! カメラで撮影するなど旅で遊んでいるは、地元の方から偏見の目で見られることはなかった。私は、東北に遊びに行くなんて「非常識な考え方」の気持ちを少し抱いていた。それどころか地元の方からは「ぜひとも観光で来てください」「地元にお金を落としてください」「帰ったらみんなに東北へ遊びに来るように伝えてください」という言葉が戻ってきた。被災地の方は、悲しみを背負いながら強く生きている。東北にひとが集まり、自分たちが身近で使える「お金」がいちばん役に立つと言われてた。そのことで働く場所ができ、生活に活気がでるということだろう。 私が学生時代にお世話になった「田野畑村」にも寄ってみた。入組んだ湾も壊滅状態で無残な事になっていた。それでも三陸鉄道・田野畑駅には「津波到達地」の石碑が建ち多くの観光客いた。この姿を目の当たりにして“安心”したのはなぜなのだろうか? 人々が生きる力を見せているようにもみえた。 その後、宮古湾〜浄土ケ浜〜鵜の巣海岸〜北山崎と三陸海岸を走り青森県の八戸へ抜けた。 (ここは本文にありません) 一般的な旅は綺麗なものを見たり、美味しいものを食べたり、楽しい時間を過ごすことであろうが、今回の東北の旅は少し事情が違った。壊滅状態になった東北各地ではあるが、それも現在の東北の景色なのだ。 東北の景色は素朴で綺麗な景観も多くの旅人を飽きさせることもなく楽しめるところ。東日本大震災で被災し悲惨な出来事も実際に「見て・聞いて・感じた」ことを今の東北の現実として後世に受け継ぐべきだろう。 震災から2年が過ぎた現在を「今の日本として」記録に残し、自分の記憶にも留めることができた。 ほんとうに東北へ行って良かった・・・と思った。 ※今回の旅は2013年5月に東北を訪れたもの。掲載する画像や記事は当時の内容として作成。本誌が発行されるまでにかなりの時間が経過しているので、現在との相違があるようでしたらご了承願います。 |
|
<<<54・55ページの写真の説明>>> キャプション 01 岩手県陸前高田市:奇跡の1本松 陸前松原は東日本大震災の際には、約7万本があった中で奇跡的に1本の松だけ倒れず残り「奇跡の1本松」「希望の松」「ど根性松」と言われている。しかし唯一残った松が枯死したため幹を防腐処理し、枝葉をレプリカで再現する復元事業で3月完了の予定だったのだが、「以前と姿が違う」と指摘があり、やり直しの最中。枝の取り付け部分の角度などを調整するなどして7月3日に復元完成式が開かれた。奇跡の1本松は復元に掛った費用を思いながら複雑な気持ちで撮影した画像はドンヨリとした景色となった。 キャプション 02 岩手県大槌町:大槌町役場 「ここが、あの役場か・・・」とカメラを向けるが玄関前の祭壇に手を合わせる姿にシャッターを切れなかった。旅人の私としては、何か事情がある方だったらと思うとそんな気になれなかった。 キャプション 03 岩手県大槌町:地図とは違いすぎる町 今は津波の爪痕というよりは家の基礎を残して道があるだけで広々とした光景。クルマで走るとカーナビが「踏切があります・・・」と知らせクルマを停めてみるが現実には電車のレールすらない。 キャプション 04 宮城県気仙沼市:第18共徳丸 船の周囲を歩き、遠くから見ると陸地にポツンと居残る姿は「なんでここにあるの?」と思わされ、近くで見ると「こんな大きな船がどうやって?」と津波の猛威に驚くだけだ。 キャプション 05 岩手県宮古市田老地区:日本一高い防潮堤なのに! 起工から増築を重ねて半世紀後の昭和41年に最終的な完成。総延長2433mでX字型の防潮堤は城壁のように街を囲んでいた。地上高7.7m、海面高10m。調査結果は津波の高さは海抜約16mだったそうだ。 防潮堤の上を歩いたがその津波の高さは想像ができなかった。 キャプション 06 岩手県宮古市:浄土ヶ浜の朝日 国の名勝に指定され三陸海岸を代表する景勝地。鋭くとがった白い流紋岩が並び、昼間に見る松の緑と、岩肌の白、海の青とのコントラストは綺麗だ。昼間に撮影場所の確認で散策して、近くに車中泊して21時に就寝、起床は3時で水平線から昇る太陽をゲット。 キャプション 07 岩手県田野畑村:田野畑駅 「カンパネルラ田野畑」というニックネームは宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」に登場する人物に由来する。2012年4月に営業を再開した際に駅舎の全面壁面に桜の花が描かれたそうだ。今年NHK朝ドラの「あまちゃん」で「畑野駅」として登場したところ。 キャプション 08 岩手県田野畑村:津波到達地の石碑 田野畑駅前に立つ石碑。駅より海側は破壊的被害で、海抜20mの駅舎手前まで迫ったが、駅施設は大きな被害は免れたそうだ。駅には電車が到着したばかりだったせいか観光客は大勢いて活気があった。 キャプション 09 岩手県田野畑村:鵜の巣断崖 北山崎と並ぶ北三陸を代表する景勝地で弓状にえぐられた高さ200mもの断崖が5列に連なる様は、巨大な屏風を立てかけたようで、圧倒的なスケール。上部の半島突先が「弁天崎」。見えないがその北側に「北山崎」が位置する。 キャプション 10 岩手県田野畑村:北山崎 2006年の旅では北山崎の広い駐車場で1台だけで車中泊をした。朝日撮影で「弁天崎」に行ったので、この景色は見れなったが今回はぜひとも見ておきたかった所。次に来る時は、朝日が射すダイナミックな岩肌を表現したい。 キャプション 11 岩手県田野畑村:弁天崎の朝日 「2006年の東北の旅」で田野畑駅より少し北側の陸中海岸公園内「ひらなめ海岸」にある「弁天崎」の朝景。紅く焼けた海に潮の流れが白く筋を引くのを見て付けたタイトルは「神の道」で神秘的な色となった。この時に、「もう2度とこの地に立つことは無いだろう」と思っていたが、今回の旅でも何かに導かれるようにその場に立っていた。 |
|
(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>> 現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。 CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします |
|