車中泊・カーネルのTOPへ
 拡大してみれます
車中泊 カーネル vol.10

本州最北端・下北半島を巡る

Part.5 大間崎の朝日と夕日を狙う


<<< 2011年9月10日発売 >>>


拡大してみれます     拡大してみれます
 カーネルSTAFF writer ・ photographer  岡村博文 Okamura Hirofumi

●筆者紹介●岡村博文 おかむらひろふみ
1957年生まれ。広島県在住。地元のパソコン講座の講師を務める。
四輪駆動車専門誌のレポーター・カメラマンで活躍中。
高校時代からひとり旅が好きで、徒歩・自転車・単車・電車・車を使い沖縄県を除く日本を1周。
2001年より趣味のカメラで「朝日と夕日撮影」を目的に三十数回に分けて総走行距離約6万キロを走り、2010年5月の北海道旅で日本2周目を終えた。現在は日本3周目(撮影旅は2周目)に挑戦中!・・・。

下北半島は、本州最北端の地で青森県の北東部に位置する半島。
半島全体が国定公園で景勝地として知られる。
今回は2005年と2010年に下北半島を旅した内容を紹介しよう。
<<<P60とP61>>>

津軽半島から下北半島を目指す

 下北半島は景勝地として恐山と薬研渓流を中心に、半島西岸の仏ヶ浦、そして大間崎と尻屋崎の先端部分が1968年に国定公園として指定された。
 前日に津軽半島・龍飛岬の駐車場で車中泊して下北半島から昇る朝日を撮影後、午前8時に出発して下北半島の東端の尻屋崎に到着したのは午後4時過ぎ。尻屋崎の周辺の草原は南部藩の牧場の名残りで寒立馬(かんだちめ)が放牧されている。寒立馬の保護のため、岬先端部の車道入口に自動タイマーで作動するゲートがある。自然や動物を保護するためとのこと、当然、時間外には入れない。このため、尻屋崎は守るべき景観が残って素晴らしい。この日はすでにゲートが閉まって通れないので走り続けたジムニーと身体休息のため薬研温泉郷の清流にある「かっぱの湯」でゆっくりすることにした。
「かっぱの湯」の駐車場に車中泊して深夜と朝方4時に入浴して心も身体もリフレッシュできた。大間崎の夕日撮影まで時間があるので恐山へ行く。恐山菩提寺(おそれざんぼだいじ)862年、慈覚大師・円仁の開山と伝えられ、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場のひとつ。徒歩で撮影する時の荷物は、カメラ2台、レンズが4本、中型の三脚と少し機材で総重量10kg強となる。硫黄臭が立ち込め火山性の独特の地形を撮影しながら1時間40分かけて1周した。
機材の重みで肩は痛いし足はだるく棒と化した。荒涼とした奇観から「死者の集まる山」とも言われ、恐山の「賽(サイ)の河原」の風景は、整然とした“気”を感じ俗界とは違う雰囲気が漂っていた。飲料水を持つのを忘れ喉はカラカラ。歩くのが精一杯で体力を試されているようだった。
 恐山からむつ市を経て国道388号線を大間町に向けて移動。途中には2度目の体力テストが待っていた。今度は極楽浄土を思わせる幻想的な奇形岩で有名な「仏ケ浦」。駐車場から長い階段を降りて1時間半の散策は予想通りの苦しい歩きになったが 海蝕によって形成された奇岩群に遭遇すると汗も吹っ飛ぶほどの感動を覚えた。
仏教文化とつながりが深く岩には仏の名が用いられ、国の名勝および天然記念物だけに一見の価値観がある。
しかし「恐山」と「仏ヶ浦」の観光には心してかからないと命取りになる。


残念「隠れかっぱの湯」は姿を消した!

 2005年の旅で立ち寄った薬研温泉郷を流れる薬研渓流沿いにある「かっぱの湯」と「隠れかっぱの湯」は、私がいままでに入浴した露天風呂の中でも高感度で旅人にぜひとも紹介したいほど心を躍らされた露天風呂だった。青森ヒバの針葉樹やブナ・カエデなどの広葉樹がが生い茂り、新緑の森林浴でリフレッシュできる入浴は別天地を思わせた。
よき物は何十年も何百年も続くと信じていた。記事を書くためその後どうなっているだろうとネットで調べてみたら「隠れかっぱの湯」はなくなり、「かっぱの湯」は立派な屋根が付いてリニュアルされていた。あらまあ〜、身勝手なことをいうようだが、旅人からみた薬研温泉の魅力はちょっと薄れたように感じた。東北というイメージにピッタリだったのに非常に残念でならない。全国の温泉マニアでも評判が高く人を引き寄せるだけの魅力を持っていたので残念。
でも「かっぱの湯」のお湯は健在なのでホットした。
 疲れ果てた身体で本州の最果ての地「大間崎」を目指した。どんよりとした天気の大間町に着いたのは午後3時。
本州最北端に立つ気分を想像して楽しみにしていたが、そこにある風景はゴールデンウィークとあって、クルマと人でいっぱい。最北端を示す石碑の前などは行列状態。ひとりでカメラを提げていると観光客の記念撮影に引っぱり出されて大忙し。何組ものシャッター切ることになった。
 個人的に楽しみにしていた夕日撮影だが、空には雲が覆いかぶさり太陽が覗く気配がない。それでも状況変化に期待した。撮影場所を下手漁港の堰堤(高さ2m)越しにと決めて、ジムニーの屋根上荷台から冷たい強風の中で防寒服を着て待つこと1時間。諦めかけた時、一瞬だが雲の間から太陽が覗いた!ほんの十数分の奇跡的な出来事に無茶苦茶喜んだ。

 その後、2度目の大間崎に立つことになったのは2010年5月のことだった。今度は深夜に着いたので朝日撮影のため近くの駐車場で車中泊をした。風は台風並みの強風で車も揺さぶられビュービューと音が鳴り、横殴りの雨の中で一夜を過ごした。朝には「天は我を味方」してくれ、強風でありながらも綺麗な朝日に出会えてカメラにゲットできた。
ただ自然に感激するだけだった。


 <<<60と61ページの写真の説明>>>

尻屋崎灯台
尻屋崎の先端は草原状となり明治9年に建設されたものでレンガ造りでは日本一の高さを誇る白亜の尻屋崎灯台が建つ。ここからの朝日撮影がしたくてゲートが閉まって居る時間帯に留まる許可を東通村役場に問い合わせたがOKは出なかった。某有名カメラマンには撮影許可されていたのだが少し力量の差がありすぎかな?

寒立馬(かんだちめ)
下北地方には野放し馬として寒さと粗食に耐え持久力に富む馬として南部藩政時代から、南部馬の血を受け継ぐのは東通村の寒立馬だけとされている。昭和45年に岩佐勉氏が詠んだ短歌で「寒立馬」と呼ばれるようになった。半島先端部には時間タイマー付きのゲートが2ケ所あるので確認が必要。

薬研温泉(やげんおんせん)駐車場
露天風呂はかっぱの湯に浸かり駐車場では車中泊。朝食はいたって簡単。
かっぱの湯
温泉マニアから通称「かっぱの湯」は改装がなされたと聞いた。写真は2005年の画像で現在では屋根が付いたとか。

大間崎の朝日
「ここが本州最北端の地」と記された碑が立つ。大間崎で綺麗な朝日遭遇は予想外で感無量だった。

大間崎の夕日
本州最北端の一番端っこに沈む夕日は海には沈まなかった。

仏ヶ浦
明治の文豪、大町桂月が「人の世ならぬ処なりけり」といった海岸の奇観。約2kmにわたり所々に高さ6m〜90mに及ぶ奇岩怪石が続く。白緑色の凝灰岩が風雨と荒波で浸食されまさに極楽浄土を思わせる景観が生み出されている。五百羅漢、観音岩などと名付けられた奇石はすべて国の天然記念物。

水芭蕉
薬研温泉から恐山へ行く道脇に水芭蕉の群生があった。雪解け水の沼に咲いていた。

恐山賽の河原(おそれざんさいのかわら)
下北半島の北部中央にある円錐状の火山でカルデラ湖。コバルトブルーで透明度も高い宇曽利山湖の湖畔には、現在も火山活動が続く「賽の河原」がある。地獄なのか極楽なのかも定かでないこの光景が恐山に対する畏敬の念の原風景といえる。


<たわごと:この記事は本には掲載していません> でもちょっとだけ意見を言ってみたかった
温泉マニアの友人と話をしていたら温泉が廃止と改装がなされた聞きネットで調べてみた。
通称「隠れかっぱの湯」は『県道から入浴者が見えることや混浴であること、公衆浴場法に定められた許可がないこと、管理者不在のため衛生管理不能であることなど』で下北森林管理所が2010年2月に閉鎖して撤去となった。
「かっぱの湯」は『付近の湯ノ股橋や他から入浴者が見えることや混浴であることが問題』で市が2010年3月に一時閉鎖し、屋根の設置や脱衣所の改修などの工事がされ時間制限で男性と女性を分けたと掲載されていた。
一生のうちに数度しか訪れない者が地元の事情も知らずに意見を言うのはどうかと思うのだが、いち旅人としての意見を言うなら。
温泉なくして観光地はなりたたない日本。
ましてや温泉を観光としている場所には必ずと言っても良いくらい無料露天風呂がある。私も九州から北海道までいくつもの露天風呂に入浴させてもらった。
地元の方や有志で管理されるおかげであることはありがたいと感謝している。露天風呂は旅の醍醐味ともいえる。
廃止や改修の理由が市政からとは残念でならない。
どうすれば残せるかをもっと話あってほしかった。
全国的な意見も聞いてほしかった。

(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>>
現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。

CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします
 
 無断使用禁止・著作 H.Okamura Logoは使用許可済 
従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。