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車中泊 カーネル vol.8

北海道旅編 釧路湿原〜函館

Part.3 
約10年間 三十数回に分けて総走行距離約6万キロを周回


<<< 2011年3月10日発売 >>>


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 カーネルSTAFF writer ・ photographer  岡村博文 Okamura Hirofumi

●筆者紹介●岡村博文 おかむらひろふみ
1957年生まれ。広島県在住。地元のパソコン講座の講師を務める。
四輪駆動車専門誌のレポーター・カメラマンで活躍中。
高校時代からひとり旅が好きで、徒歩・自転車・単車・電車・車を使い沖縄県を除く日本を1周。
2001年より趣味のカメラで「朝日と夕日撮影」を目的に三十数回に分けて総走行距離約6万キロを走り、2010年5月の北海道旅で日本2周目を終えた。現在は日本3周目(撮影旅は2周目)に挑戦中!・・・。

全国の朝日と夕日を追いかける旅も北海道の旅で
本土(九州・四国・本州・北海道)の海岸線を周回したことになる。
約10年間で三十数回に分けて総走行距離6万kmを軽四ジムニーで走った。
今回は北海道旅の終了であり全国撮影旅の完結編として紹介。
ジムニーで走ることは目的地に行く交通手段であり寝るための宿でもあった。
旅館やホテルや民宿に泊まることは撮影を放棄することで
車中泊こそ太陽を追いかける絶対条件なのだ。
狭い車内を車中泊用に改造したジムニーのベッドも紹介する。
<<<P56とP57>>>

愛車ジムニーは宿であり伴に走る友

なぜジムニーかというと以前にログハウスを建設中に山道を走るためにセカンドカーとして1993年に中古で買ったジムニーがきっかけ。以来、ジムニーファンになった。
2001年から全国の朝日と夕日を追いかける旅を始めた時にカメラ機材を守るために屋根が必要で車に鍵がかかることや高速道路を安心して走れる車として好きだったジムニーをもう1台購入。

知人や友人に車内の狭いジムニーで車中泊をしているというと、「あんな小さな車」とか「どうやって寝るの」とよく聞かれる。自分としては昔に自転車で走り野宿をしていたことを思うと、雨や風をしのぎアクセルに足を載せているだけで走ってくれる車は生活最小限の荷物も運べて、動く小さな家と言っても過言ではない。
車内の広さなんて狭かろうがまったく問題ない。
旅に出る時は運転者の一人乗りで助手席から後部荷台までは木製で作った手製のベット仕様になる。

なんと言っても旅の疲れを取るためには足が伸ばせて出来る限り平らな寝床が必要である。
いままでの旅の経験上、“睡眠こそ安全走行の鉄則”だと決めている。走っていて眠くなったら場所構わず車を停めて数分でも目を閉じることにしている。また大休止と決めたら3分以内に車外に出ることなく寝床で足を延ばして寝れるように工夫している。安全走行のために「眠くなったら直ぐに車を停めて目を閉じる。寝ると決めたら足を延ばして寝る」を実行している。


旅は道連れ、同行ツーリング

太陽を追いかけての急ぎ旅であっても、ただ黙々と走るだけではない。
旅先で出会う旅人と雑談はよくする。納
沙布岬で朝日を撮影していたら若い男性2人がカメラ撮影をしていたので話かけると彼らも北海道の綺麗な景色を見るために旅をしていた。福島県からランクルで車中泊をしながら来た阿部さんと谷口さん。
今後の行き先を聞くと霧多布を走り釧路まで行くというので無理を言って同行ツーリングさせてもらった。
車が四輪駆動車と同類の趣味でツーリングしているだけで楽しい。昼食にはお互いの食材を出し合い、食べながら北海道の情報を交換した。見知らぬ者同志でカメラや旅や夢などを語りながらの時間は最高に面白い。
釧路湿原でお互いの安全を祈って別れまたいつかの再開を約束した。


ついに身体の限界か・・・異常事態

釧路湿原の夕日を撮るため細岡展望台に行く。見渡す限り湿原で予想をはるかにこえる太陽が沈む景色に堪能できた。
次は襟裳岬の朝日だがカーナビで見ると200km以上ある。納沙布で朝4時過ぎに起きて釧路まで一睡もせずこれから襟裳岬まで走ることを考えるとゾ〜トするが次の撮影地に行くほかない。
襟裳岬に着いたのは次の日で寝たのは1時20分。

起床・・・3時5分。
車の外に出てみると空には星が輝き見逃す訳にいかない。襟裳岬での朝日はおそらく霧が出て無理かと思っていただけに綺麗な朝日に遭遇でき喜んだ。
その後、襟裳岬から地球岬まで300km弱は快適に走れたが少しづつ天候が悪くなり身体にも少し違和感を覚えるようになった。身体が限界点に達したのは地球岬の夕日を撮影して亀田半島の恵山を目指している時だった。
前を走る車のテールランプが縦や横にフラフラ揺れ瞼が勝手に閉じる。この状況は危ない・・・大休止と決め道路脇の広場に車を停めて寝ることにした。


人情?  世は情け

長万部の静狩湾の漁港で撮影していたら漁をした船が港に着くなり停めた車が邪魔をしていたようで怒鳴られた。
断りを言うため船に行くと優しい声で「何処からきたんね」と女性の声。
船には坂多夫婦が漁をされていた。仲良くなり世間話をしていたら「獲りたてのホッケを食べって行くか?」といわれ家に誘われた。叱られながらもいわれるがままに遠慮なく家に伺い朝食を頂いた。
さっきまで絶望的に身体にダメージを受けたあとに地元の方に優しさと情けをいただいた。
広島を通られるときにはぜひ声をかけてくださいと約束して後にした。
こんな旅だからやめられない。


旅のシメは露天風呂。  地元の方に秘話を聞く

恵山岬での夕日と朝日撮影と思っていたが、風が強く雲も厚く雨も落ち始めた。
太陽絡みの撮影も天候が悪く諦めるしかない状態だったのでゆっくりするために温泉を地図で探したら近くに“水無海浜露天風呂”を見つけた。さっそく海の中にある露天風呂で広い湯船に一人で浸かった。
駐車場で車中泊をするので通りかかた人に「ここに一晩泊まらせてください」とお願いすると気持ちよく了解を頂いた。
その時に「時間があったら家においでよ」と誘われていた。
次の朝に身支度をしてから誘われていたお宅を伺った。その人は露天風呂の脱衣場の管理者で熊谷さん。風呂のできた時から風呂の秘話や地元でしか採れない昆布の話を聞き2時間以上も話込んだ。
北海道の地元の話が聞けて本当の意味で北海道に居ることに実感した。
別れ際に熊谷さんが「またおいでよ。待っているよ。」と声をかけていただいた。
玄関を出るとき胸に熱いものを感じ知人との別れを惜しんだ。

 <<<57ページの写真の説明>>>
(釧路湿原の夕日)
釧路湿原はキタヨシとハンノキ林からなる我が国最大の湿原。約6千年前は「古釧路湾」と呼ばれ海が退き泥炭が推積して形成されたと聞く。なんと気が遠くなる話だがゆえに古代を感じる景色がすばらしい。


(襟裳岬の朝日)
太平洋に突き出ている襟裳岬は60mに及ぶ断崖で岩礁が伸びている。沖合で暖流と寒流がぶつかり濃霧が発生しやすく強風が吹くことで有名。この日はラッキーなことに濃霧がなく綺麗な朝日が見れた。



 <<<56ページ下の写真の説明>>> 
 拡大します ジムニーを使い倒す・・・・というよりジムニーファンなのだ

1972年式のスズキ・ジムニー(LJ20幌式360cc)を保有。
部品確保の為、予備エンジン3基を始め各パーツは専用ガレージに保管している。

 拡大します 助手席側は有効スペース

改良を施してベッドを支える支柱2本を取ることができて一段と広くなった。カメラ機材・旅に必要な資料・洗面用具・車の道具・懐中電灯などが収納できる。
ベッドの台の中にはノートパソコンが収納できるように空間がある。キーボードとマウスは別にコードで延長している。
 拡大します 就寝時には作業台がベッドに変更

助手側をベッドにする時は、小物置台を外しパソコンの画面を閉じてもう1枚の板を上にはめると平らになって走行中に半分折りしてある敷き布団と掛け毛布をのばすと完成。
この動作を外に出ずに3分以内にできるように改良を重ねた。
運転席からベッドに移動が可能なのだ。
拡大します  仮眠や就寝時は車内を暗くする

運転席で仮眠やベッドで就寝の時は車内を暗くする。
寝ている時に車内を見られるのもイヤだが寝るという体制に入るためには車内が暗い方が寝やすい。
基本的は全面のウィンドガラスと運転席と助手席の3枚を暗くする(吸盤で着くカーテン使用)とグッスリ寝れる。
 拡大します 荷台は2段で荷物を収納

左側の上部は手製ベッドで下部には救急道具(牽引ロープ・のこぎりなど)・自炊道具(ガスコンロ・食器など)・水タンク、右側の上部には食材のクーラーBOX・衣類2袋バック・椅子・サイドテント、下部はカメラ三脚3本・防寒着・テントを収納
 拡大します 助手席側は小物置や作業台

走行中はカゴの小物置台で、下にはGPS搭載のノートパソコンが収納され走行中の位置確認を表示。
作業台としてパソコンでカメラ画像をパソコンや外付けHDDに保存する。
カーナビは2台搭載で、上側が走行位置や目的地への誘導、下側は道の駅やガソリンスタンドなどを検索する。

 
<<<P58とP59>>>

朝日と夕日を追いかけて日本を旅した
綺麗な太陽に出会え美しい景色もみた


2001年に日本を1周(高校時代から2周目となる)すると決めた時に思い出だけでなく形(モノ)として残そうと考えた。
ちょうどカメラに夢中になっていた時だったので画像で記録することにした。
日本各地の日の出や日の入りを見てみたかったので被写体を朝日と夕日に決めた。
それは思った以上に大変なことだった。
岬や灯台や観光地の撮影なら雨が降ってもカメラに収めることはできるが、太陽絡みとなると天候に大きく左右される。
仕事も現役なので天気の回復を待てるほど時間が無い。
その日のその場所がいち度キリとなる。
朝は3時〜4時に起床して撮影後は夕日を目指して300〜700kmを走り、昼間は朝日撮影のため、200〜400kmを移動することの連続。夜に寝るという認識はなく眠くなったら仮眠をする感覚だ。宿は車が絶対条件だった。
「眠くなったら寝る」を実行したので安全に旅ができたことが“旅の結果のすべて”だと思う。

そんな過酷な旅を振り返ってみた。
朝日と夕日の感動することや旅にはエピソードがあった。
今回は短い文ですが楽しんでもらえれば幸いです。
また、日本もまだまだ美しい景色はいっぱい残っている。
そう思って旅をしている人たちも沢山いる。
綺麗な感動する景色に遭遇するともっと観て見たく、ふたたび感動する景色に出会いたいと旅に出たくなるのは私だけではないようだ。
 
3台のジムニーに乗り換えた?

1台目(白)は約1万キロ。2台目(青)は3万キロ。3台目(現在のシルバー)は2万キロと走り乗り換えた。
中古車なのでどことなく調子が不具合となり修理するなら買った方が年式も新しくなり馬力も良くなる。
ちなみに、カメラ機材を揃えるとこを考えると車は安いものだ。
  

全国一周の旅を振り返る

下の写真をクリックして見てください・・・写真が大きくなります。

とっても綺麗な画像が見れますよ・・・
 


(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>>
現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。
次号予定は2011年6月10日発売(地元では11日でないと書店にならばない)。

CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします
 
 無断使用禁止・著作 H.Okamura Logoは使用許可済 
従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。