車中泊 カーネル vol.8 ★北海道旅編 釧路湿原〜函館★ Part.3 約10年間 三十数回に分けて総走行距離約6万キロを周回 <<< 2011年3月10日発売 >>> |
全国の朝日と夕日を追いかける旅も北海道の旅で 本土(九州・四国・本州・北海道)の海岸線を周回したことになる。 約10年間で三十数回に分けて総走行距離6万kmを軽四ジムニーで走った。 今回は北海道旅の終了であり全国撮影旅の完結編として紹介。 ジムニーで走ることは目的地に行く交通手段であり寝るための宿でもあった。 旅館やホテルや民宿に泊まることは撮影を放棄することで 車中泊こそ太陽を追いかける絶対条件なのだ。 狭い車内を車中泊用に改造したジムニーのベッドも紹介する。 |
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<<<P56とP57>>> 愛車ジムニーは宿であり伴に走る友 なぜジムニーかというと以前にログハウスを建設中に山道を走るためにセカンドカーとして1993年に中古で買ったジムニーがきっかけ。以来、ジムニーファンになった。 2001年から全国の朝日と夕日を追いかける旅を始めた時にカメラ機材を守るために屋根が必要で車に鍵がかかることや高速道路を安心して走れる車として好きだったジムニーをもう1台購入。 知人や友人に車内の狭いジムニーで車中泊をしているというと、「あんな小さな車」とか「どうやって寝るの」とよく聞かれる。自分としては昔に自転車で走り野宿をしていたことを思うと、雨や風をしのぎアクセルに足を載せているだけで走ってくれる車は生活最小限の荷物も運べて、動く小さな家と言っても過言ではない。 車内の広さなんて狭かろうがまったく問題ない。 旅に出る時は運転者の一人乗りで助手席から後部荷台までは木製で作った手製のベット仕様になる。 なんと言っても旅の疲れを取るためには足が伸ばせて出来る限り平らな寝床が必要である。 いままでの旅の経験上、“睡眠こそ安全走行の鉄則”だと決めている。走っていて眠くなったら場所構わず車を停めて数分でも目を閉じることにしている。また大休止と決めたら3分以内に車外に出ることなく寝床で足を延ばして寝れるように工夫している。安全走行のために「眠くなったら直ぐに車を停めて目を閉じる。寝ると決めたら足を延ばして寝る」を実行している。 旅は道連れ、同行ツーリング 太陽を追いかけての急ぎ旅であっても、ただ黙々と走るだけではない。 旅先で出会う旅人と雑談はよくする。納 沙布岬で朝日を撮影していたら若い男性2人がカメラ撮影をしていたので話かけると彼らも北海道の綺麗な景色を見るために旅をしていた。福島県からランクルで車中泊をしながら来た阿部さんと谷口さん。 今後の行き先を聞くと霧多布を走り釧路まで行くというので無理を言って同行ツーリングさせてもらった。 車が四輪駆動車と同類の趣味でツーリングしているだけで楽しい。昼食にはお互いの食材を出し合い、食べながら北海道の情報を交換した。見知らぬ者同志でカメラや旅や夢などを語りながらの時間は最高に面白い。 釧路湿原でお互いの安全を祈って別れまたいつかの再開を約束した。 ついに身体の限界か・・・異常事態 釧路湿原の夕日を撮るため細岡展望台に行く。見渡す限り湿原で予想をはるかにこえる太陽が沈む景色に堪能できた。 次は襟裳岬の朝日だがカーナビで見ると200km以上ある。納沙布で朝4時過ぎに起きて釧路まで一睡もせずこれから襟裳岬まで走ることを考えるとゾ〜トするが次の撮影地に行くほかない。 襟裳岬に着いたのは次の日で寝たのは1時20分。 起床・・・3時5分。 車の外に出てみると空には星が輝き見逃す訳にいかない。襟裳岬での朝日はおそらく霧が出て無理かと思っていただけに綺麗な朝日に遭遇でき喜んだ。 その後、襟裳岬から地球岬まで300km弱は快適に走れたが少しづつ天候が悪くなり身体にも少し違和感を覚えるようになった。身体が限界点に達したのは地球岬の夕日を撮影して亀田半島の恵山を目指している時だった。 前を走る車のテールランプが縦や横にフラフラ揺れ瞼が勝手に閉じる。この状況は危ない・・・大休止と決め道路脇の広場に車を停めて寝ることにした。 人情? 世は情け 長万部の静狩湾の漁港で撮影していたら漁をした船が港に着くなり停めた車が邪魔をしていたようで怒鳴られた。 断りを言うため船に行くと優しい声で「何処からきたんね」と女性の声。 船には坂多夫婦が漁をされていた。仲良くなり世間話をしていたら「獲りたてのホッケを食べって行くか?」といわれ家に誘われた。叱られながらもいわれるがままに遠慮なく家に伺い朝食を頂いた。 さっきまで絶望的に身体にダメージを受けたあとに地元の方に優しさと情けをいただいた。 広島を通られるときにはぜひ声をかけてくださいと約束して後にした。 こんな旅だからやめられない。 旅のシメは露天風呂。 地元の方に秘話を聞く 恵山岬での夕日と朝日撮影と思っていたが、風が強く雲も厚く雨も落ち始めた。 太陽絡みの撮影も天候が悪く諦めるしかない状態だったのでゆっくりするために温泉を地図で探したら近くに“水無海浜露天風呂”を見つけた。さっそく海の中にある露天風呂で広い湯船に一人で浸かった。 駐車場で車中泊をするので通りかかた人に「ここに一晩泊まらせてください」とお願いすると気持ちよく了解を頂いた。 その時に「時間があったら家においでよ」と誘われていた。 次の朝に身支度をしてから誘われていたお宅を伺った。その人は露天風呂の脱衣場の管理者で熊谷さん。風呂のできた時から風呂の秘話や地元でしか採れない昆布の話を聞き2時間以上も話込んだ。 北海道の地元の話が聞けて本当の意味で北海道に居ることに実感した。 別れ際に熊谷さんが「またおいでよ。待っているよ。」と声をかけていただいた。 玄関を出るとき胸に熱いものを感じ知人との別れを惜しんだ。 |
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<<<57ページの写真の説明>>> (釧路湿原の夕日) 釧路湿原はキタヨシとハンノキ林からなる我が国最大の湿原。約6千年前は「古釧路湾」と呼ばれ海が退き泥炭が推積して形成されたと聞く。なんと気が遠くなる話だがゆえに古代を感じる景色がすばらしい。 (襟裳岬の朝日) 太平洋に突き出ている襟裳岬は60mに及ぶ断崖で岩礁が伸びている。沖合で暖流と寒流がぶつかり濃霧が発生しやすく強風が吹くことで有名。この日はラッキーなことに濃霧がなく綺麗な朝日が見れた。 |
<<<P58とP59>>> 朝日と夕日を追いかけて日本を旅した 綺麗な太陽に出会え美しい景色もみた 2001年に日本を1周(高校時代から2周目となる)すると決めた時に思い出だけでなく形(モノ)として残そうと考えた。 ちょうどカメラに夢中になっていた時だったので画像で記録することにした。 日本各地の日の出や日の入りを見てみたかったので被写体を朝日と夕日に決めた。 それは思った以上に大変なことだった。 岬や灯台や観光地の撮影なら雨が降ってもカメラに収めることはできるが、太陽絡みとなると天候に大きく左右される。 仕事も現役なので天気の回復を待てるほど時間が無い。 その日のその場所がいち度キリとなる。 朝は3時〜4時に起床して撮影後は夕日を目指して300〜700kmを走り、昼間は朝日撮影のため、200〜400kmを移動することの連続。夜に寝るという認識はなく眠くなったら仮眠をする感覚だ。宿は車が絶対条件だった。 「眠くなったら寝る」を実行したので安全に旅ができたことが“旅の結果のすべて”だと思う。 そんな過酷な旅を振り返ってみた。 朝日と夕日の感動することや旅にはエピソードがあった。 今回は短い文ですが楽しんでもらえれば幸いです。 また、日本もまだまだ美しい景色はいっぱい残っている。 そう思って旅をしている人たちも沢山いる。 綺麗な感動する景色に遭遇するともっと観て見たく、ふたたび感動する景色に出会いたいと旅に出たくなるのは私だけではないようだ。 |
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3台のジムニーに乗り換えた? 1台目(白)は約1万キロ。2台目(青)は3万キロ。3台目(現在のシルバー)は2万キロと走り乗り換えた。 中古車なのでどことなく調子が不具合となり修理するなら買った方が年式も新しくなり馬力も良くなる。 ちなみに、カメラ機材を揃えるとこを考えると車は安いものだ。 |
全国一周の旅を振り返る 下の写真をクリックして見てください・・・写真が大きくなります。 とっても綺麗な画像が見れますよ・・・ |
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(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>> 現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。 次号予定は2011年6月10日発売(地元では11日でないと書店にならばない)。 CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします |
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