車中泊・カーネルのTOPへ
拡大します  
 車中泊 カーネル vol.7


北海道旅編 宗谷岬〜納沙布岬

Part.2 北海道旅で日本一周の総仕上げとなった


<<< 2010年12月10日発売 >>>


  拡大します  拡大します
 カーネルSTAFF writer ・ photographer  岡村博文 Okamura Hirofumi

●筆者紹介●岡村博文 おかむらひろふみ
1957年生まれ。広島県在住。地元のパソコン講座の講師を務める。
四輪駆動車専門誌のレポーター・カメラマンで活躍中。
高校時代からひとり旅が好きで、徒歩・自転車・単車・電車・車を使い沖縄県を除く日本を1周。
2001年より趣味のカメラで「朝日と夕日撮影」を目的に三十数回に分けて総走行距離約6万キロを走り、2010年5月の北海道旅で日本2周目を終えた。現在は日本3周目(撮影旅は2周目)に挑戦中!・・・。

全国の朝日と夕日を被写体に収め太陽を追いかけるほど
「朝に昇る太陽の色彩、沈む夕陽の彩色変化」
その魅力にノメリ込んでしまった。
そして今回の北海道旅で日本一周の総仕上げとなった。
カーネルVOL6では青森県の大間崎の朝日と
北海道の神威岬の神威岩に沈む夕日を紹介。
今回は宗谷岬の朝日と
納沙布岬の朝日までを紹介しよう。

いつでもどこでも食べることができる自炊を選択

昔からひとり旅が好きで高校時代から徒歩・自転車・単車・電車で日本各地を旅してきた。高校2年ともなると野宿で寝て、食事では火(当時は固形燃料)を使って湯を沸かしたり肉や魚の缶詰を温めたり、袋入りラーメンや米(アルファマイ)を食していた。

現在の旅先での食事は全国にコンビニが点在して24時間いつでも色んな食材を口にすることができる。食べることには不自由はしなくなったが、遂行中の「朝日と夕日を追いかける旅」では少し違う。
私の撮影旅は一般的な観光旅行と違って「美味しい地元の料理」や「珍しい一品」などには興味がなく、観光地をゆっくり見学ということもまずしない。目的は日本中を走り朝日と夕日を撮影することのみなので、何時でも何処でも食べることができる自炊という選択をしている。

朝はパンとパックコーヒー、昼か夜に急いでいる時はコンビニの弁当で、天気がよい場合と時間がある時に自炊をする。
今回は急ぎ旅とあって5回しか自炊ができなかったが海や山や半島を見ながら食べた。
撮影旅を始めた頃から自炊の食材は家で準備してクーラーBOXに入れて出る。
7〜10日という長い旅でも食材が保てて美味しく食べる方法を紹介しよう。


“北海道らしい景色は”期待を裏切ることはなかった

前回のプロローグ編では「朝日と夕日」を追いかけて自宅から一気に下北半島の大間崎へ1600kmを走り、大間崎からフェリーで北海道(函館)に上陸し白神岬から北上して積丹半島の神威岬の夕日を撮影した。

今回は本土最北端で宗谷岬の朝日を撮影してオホーツク海側を宗谷岬からウトロまでを南下。本土最東端の納沙布岬へと太陽を追いかけた。

神威岬で夕日撮影後、まだ身体が元気なうちに夜中であるが小樽〜稚内“オロロンライン”を寝ずに一気に北上。本土最北端の宗谷岬に4時18分に到着。クルマから飛び出してカメラをセットして2分後にサハリン方向からの朝日をゲット。日本最北端の地碑に立つと「全国の朝日と夕日撮影旅」で日本を制覇できた「やったぞ!」というような気持ちでで感無量。

なおも、夕日を追いかけてオホーツク海側の宗谷岬からウトロまでの“オホーツクライン”を南下しながら幌別川で夕日撮影して、次の朝日撮影の網走市にある能取岬に到着したのは午前1時前で、少し仮眠して4時前に起床。
天気が良く朝日撮影をする。ここまで計画通りでハードスケジュールを消化していたが撮影に関係ないルートで阿寒湖〜屈斜路湖〜美幌峠〜摩周湖〜オシンコシンの滝〜知床峠を観光。海・岬・山・峠・湖・海とどれも北海道ならではの贅沢な美しい景色を堪能した。

その後、野付半島で夕日を撮影後、次の朝日撮影の為に根室半島の納沙布岬(のさっぷみさき)へ移動。本土最東端の納沙布岬はなんとしても朝日のワンシンーンが欲しいところだ。
まるで太陽の天使に導かれるように撮影を許されて本日の日本一早い日の出を拝むことができた。

これで、北海道の外周を走って納沙布で約2000kmを走破した。
私の場合は、撮影中は昼も夜もなく日の出後は太陽が隠れる前までに撮影場所に着き、日没後には地球を廻って出てくるまでに次の地点に移動する過酷な旅をしている。
北海道で見る朝日と夕日は広い視野の中に見えるのでスケールが違う。雑誌や絵葉書で見るより格段の差で美しい。
“北海道らしい景色”は私の期待を裏切らなかった。


 <<<60ページの写真の説明>>>
(納沙布岬の朝日)
本土最東端の納沙布岬での朝日を愛車ジムニー共に見ることができた。
本土で一番早い朝日が拝めると思うとありがたい朝の光りだった


<<<61ページの写真の説明>>>

(宗谷岬の朝日)
神威岩での日没後に地球を周った太陽は宗谷岬で見られた。
全国各地で朝日を撮影してきたが、宗谷岬の朝日は本土最北端の地とあって印象深かった。
撮影中は夢中でシャッターを切り我に返った時には体中に汗をかいていた。
かなり緊張していたのだろう。

(めまんべつメルヘンの丘)
網走市から国道39号線を美幌町へ行く途中にのどかな風景が広がり、いかにも北海道らしい景色。
窓を全開で走ると自然の匂いが感じられる。
気分も爽やか!

(能取灯台の朝日)
網走国定公園にある能取岬に昇る朝日。
蜃気楼の現象で変形した太陽が朝日と夕日で見れることで有名。
四角や逆円錐形やいろんな形をした太陽が見れると >この日は残念ながら普通の綺麗な太陽だった。


 <<<60ページ下の写真の説明>>> 

食材を美味しいまま保存する方法

掲載後日、編集部から聞いた話で、この「食材を美味しいまま保存する方法」がけっこう好評だったと。
しかし、写真や字が小さすぎて見にくかった(誌面構成上)と聞いた。
そこで、このページでは画像は大きく見れるようにと、記事では書けなかった部分も補足で付け足しておきました。
どうぞ、岡村流・・・食材の保存方法を習得してください。

本当に思わぬ長持ちがしてゴミの量も減りますヨ。

 拡大します 旅に出る1週間前に食材を購入

牛肉・豚肉・鶏肉・ベーコン・焼き豚・焼きメシ・えび・鮭・アスパラベーコン巻・チキンハンバーグ・高級ウインナー・里いも旨煮・餃子・ジュース・ゼリー・ラーメン・カップヌードルなど33品で合計6200円。
これでも少しBOXに入らないので家に置いていく。

(補足)
凍らす飲料水は酒類は破裂の危険性があるのでやめて飲みたい時は旅中にコンビニで欲しいだけ買うことにしている。また、凍らすのはジュースと水とジェリーなどと決めている。
水は溶けると飲むことができ手を洗うこともできる。ジュースの紙パックは凍らせてもOKだった。紙パックは飲んだあとツブスと面積が小さくなり捨てるのが容易。
4〜5日を超える旅では、何度でも凍らすことのできる便利な冷凍材入りパック類jは使わないことにしている。旅中に2度と凍らすことができずにずっと持ち歩くことになり場所を取られえることになる。
 拡大します 買った食材を小分けにする

梱包された袋から出して肉なら2〜3切れ、焼きメシも1食分、海老は2尾くらい、鮭はひと切れと細かく分けてサランラップで包む。
こうすることによって色々な献立を少しづつ食べることができるのと、クーラーBOXから出す時も食べないものはできるだけ空気に触れさせないので変色しにくい。

(補足説明)
食材を購入する店によっては、冷凍の焼きめし類は一袋が3人分とか1人分とか小分けされたものがある。現在は一袋分を買うことにしている。魚やエビは生ものでダメだと思われがちだが、これはお試しあり。小分けしてしまえば匂いはあんがい大丈夫です。
アスパラにベーコン巻きもフライパンで焼いて食べると最高に美味しい。今後はなんとかして野菜類を増やしたいと考えているが、現在は少々高く付くがコンビニで野菜サラダや野菜パックでまかなっている。
野菜の冷凍は?・・・どうなんでしょうね。
 拡大します (補足説明)
出る前に、食材を小分けすることによって、発砲スチロールの皿やビニール袋などはゴミとして分けている。 小分けする食材を入れる袋はチャック付を使用するので、食べて空になった袋に袋を詰めて家に持ち帰ることにしている。案外ゴミって捨てる所がないので極力持ち帰ることにしている。とにかく、チャック付のビニール袋は大重宝している。
 拡大します 小分けした食材を冷凍する

食材はもちろん冷凍するが、この時にペットボトル1.5リットルの飲料水を2本とゼリーも必ず凍らす。家庭用の冷蔵庫なら1週間ほど時間をかけて凍らせる。
また種類によってチャック付きのナイロン袋に分けて入れる。食材同志の臭いがBOX中に充満するので肉・魚・野菜などは必ず分類する。

(補足説明)
ちょっとしたアイデア?ではあるが、冷凍する前には、自分の持っていくクラーBOXに食材を詰めることが大切です。スーパーで買って小分けした食材をすぐに冷凍させると入れる時に困ることになる。小分けした食材を見ながら欲しいもの、食べたいものを1度BOXに詰めることをした方がいい。つまりBOXに入る量を確認するということだ。
そして、BOXに入り切らない食材は、その日の夜の献立となる。
 拡大します クラーBOXに食材を詰める

小分けした冷凍の食材をクーラーBOXに綺麗に隙間なく詰めることを勧める。
使っているBOXで自炊を6〜7回分は入る。もし隙間ができるようだったらペットボトルの小さいものを凍らせて詰めることにしている。
最後に、1番上にビニール袋(ゴミ袋など)でより密閉させる。

(補足説明)
1週間以上出かける旅では、最初の1〜2日はBOXにある食材には手を出さないことにしている。できる限りBOXの開閉をしないことにしている。冷凍した食品が少しでも溶けることを恐れている。
凍らせたジュースや水のペットボトルは、季節によるが3〜4日で半分以上が溶ける。目安では3分の1以上が溶ける始めると飲んだり、小さなペットボトルに移し替えてそれを運転中に飲めるように車内に置く(BOXから出す)ことにしている。
それを期に、コンビニを見つけたら大きな氷を買うことを考えることにしている。現に5日目に大きな固まりの氷を入れると夏でも2〜3日は食材を保ってくれる。5月の北海道では氷を1度足すだけで10日以上持った。
また、食べて空間ができ始めると、途中で買うパンや弁当などもBOXにいれて空間を少なくする工夫も大事であり、また買った食料も長持ちするのは言うまでもない。
 拡大します 調味料があるとより美味しく食べれる

調味料は少量で多品種を用意しておくとよい。焼き肉のタレ・醤油・ソース・塩コショウ・塩・七味・油などは小さな容器に小分けしておく。食材に合った調味料のおかげでひと味ふた味違ってくる。ふりかけ・海苔・削りかつおなども持っていくことご飯が美味しく食べれる。

(補足説明)
特に、醤油とソースと塩と塩コショウは絶対必需品だ。
次には、焼き肉のタレとフリカケを持っておくと重宝する。 
 拡大します (補足説明)
これらの調味料や食事道具やガスボンベは全部プラスチックのBOXに 収納できる。
車の狭い部分に積める大きさのBOXを探しておいて、その中に必要な物を入れる。
決めたサイズに必要な物だけを入れる方法として有効的だと思った。
こんなに多くの道具も入るのですから・・・そうそうBOXに入れるのは、車から離れて自炊をするときも便利だ。クーラーBOXとこのBOXとガスコンロで移動は可能なのだ。
 拡大します 食器はティッシュで吹いて収納

フライパンには、海老・鮭・ウインナー。牛肉・鶏肉・ハム・里芋の煮つけ・焼き飯・生卵と種類も多く食べれる。食べたいだけ小分けにしているので数種類の献立は嬉しい。
調理道具としては焼く・煮る・蒸すなどをテフロン加工のフライパンで調理してそのまま皿にもなる。食べた後はティッシュで拭いて収納する。

(補足)
もちろん旅中には水タンク(10リットル)を積載している。水道があるところが自炊をするところと思っていない。どこでもという条件からすると、絶対に水は必要である。狭い車であっても積載する物としては確保順位は高い。しかし、食事では、手を洗う程度で、食べた食器を洗うことは少ない。使ってもコップ1杯ほどで済む。熱を通して食べたあたの食器はティッシュで拭く程度で十分きれいだ。お腹を壊したことないので大丈夫と認識している。
水は、水道の無い所では、顔を洗い歯磨きする。夏などは、頭を洗うことのする。
 拡大します 拡大します 拡大します (補足説明)
献立の一例だが、卵料理というと壊れるからイヤだという方は多いが、これが旅先で食べると一段と旨い。里芋煮つけなども味の付いた冷食品は思わぬ大当たりだったので最近はメニューに入れている。普通によくある献立としてギョウザがあるが、これを7日以上も持ち歩くことは怖くてしていなかったが冷凍なら・・・申し分ない。案外普通であるが大当たりだった。あと画像にないが、5月だと旅中に買う食材として、1人分でパックになっているおでんなどは夜に小さな鍋で温めながら食すと、これはやめられない。
そうそうひとり旅では、私の冷凍させる献立には大好きなカレーは無い。なぜかというと、食べた後始末が面倒なこと。それは食器を洗うのが嫌なだけ・・・。 

(<<<カーネルは年4回の季刊で刊行>>>
現在は3、6、9、12月の季刊で発売されています。
次号予定は2011年3月10日発売(地元では11日でないと書店にならばない)。

CHIKYU−MARU 株式会社地球丸へリンクします
 
 無断使用禁止・著作 H.Okamura Logoは使用許可済 
従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。