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No32. 2006年8月号

2006年5月26日発売

ジムニーひとり旅 3,600km

東北〜関東の太平洋沿岸を下る


ジムニーを旅の足として、宿として、そして良き友として全国を走り回る
旅の目的は、趣味の写真撮影で「日本全国の朝日&夕日」を狙うことだ
何年かかるか、一生涯かかっても無理かも知れない
きっと終わりのない旅となろう
少し無理してでも旅に出て、1回でも多くの感動に出逢いたいと思っている
そしてふたたび、東北への旅に出た


全国100ヶ所が目標
今回は東北から太平洋側を走る

日本の朝日・夕日を撮影する旅を始めて5年目。
昨年、休日を利用したJA11での撮影の旅は、合わせて15日間で、走行距離は8000kmを越えていた。

今回、ようやく50ヶ所を越えた撮影ポイントの目標は全国100ヶ所。愛車ジムニーJA11を旅の友&宿として駆け巡り、今年もゴールデンウィークを利用して東北地方を旅することにした。
岩手県の陸中海岸から太平洋側を南下し、房総半島〜三浦半島〜渥美半島と撮影しながら走る計画。
この旅で特に印象深かったストーリーを紹介したいと思う。
さあ、いかなる旅となったことか?


旅の計画は100%を達成
それは過酷な旅となった


今年のGWは天候に恵まれ予定通りの撮影の旅ができた。しかし、これが結果的に旅全体を辛く、キツく、シンドくした。もちろん計画では全行程の晴天を想定して、地図にポイントを落としていたが。

これまでの旅では天候に左右され、特に朝日を見ることができないことも多かった。そのため、体を休めることができて、体力的には助かっていたのだ。

ところが、今回の旅は幸運か不運か天候に恵まれ、毎日朝日を見ることができた。結果的には朝日が5ヶ所、夕日が6ヶ所、合計11ヶ所の太陽を撮影できたのだが、この移動は6日と20時間で3600kmに及んだ。
1日平均で約500km走り、睡眠時間は1日平均4時間弱。
まさに寝る時間も削りながら、移動や撮影場所探しに右往左往した旅となった。



自宅からイッキに1316km
17時間後には田沢湖で温泉に


福山の自宅を昼に出て、山陽自動車道〜中国自動車道〜名神自動車道〜北陸自動車道〜磐越自動車道〜東北自動車道とたどり、盛岡市を抜けて田沢湖に到着したのは翌朝7時。ガソリン給油を6回、仮眠を3回足らずでイッキに北上した。疲れていないと言ったら嘘になる。田沢湖の周囲は東北地方でも温泉の宝庫とあって、中でも有名な乳頭温泉郷へ行くことにした。

下調べしていた「秘境の秘湯の宿」「木造でひなびた温泉」「お湯は掛け流し」「露天風呂」というフレーズに惹かれ「孫六温泉」を選んだ。妙乃湯温泉、大釜温泉を素通りしてダート道の通行禁止の看板のある駐車場に到着
すると、そこから2km弱は徒歩。残雪の渓谷の心地良い風を受けながら、自然の中を歩く。

孫六温泉は秘湯にふさわしい温泉。内湯(石の湯)、唐子の湯、露天風呂と3つの湯に浸かりながら、思えば遠くへ来たものだ、としみじみ旅をしている感覚に酔いしれた。



東北の海と言えばリアス式海岸
岩手県の海沿いを楽しむ

東北の太平洋側は陸中海岸国立公園で断崖絶壁の「北山崎」と「鵜の巣断崖」を見学し、雄大な景色を堪能した。

鵜の巣断崖には遊歩道があるので、断崖の突先を散策できた。200m下の海面を覗き込んだが、足もすくむ高さには驚きだ。気候温暖な瀬戸内に住む者としては、見たことのない景色に圧倒させる。今回の旅でも、ぜひ見てみたかった景色のひとつだったのだ。

展望台の椅子に座り、朝食のパンを頬張りながら断崖に打ち寄せる波や太平洋の水平線を見ていると、半日でも居たい気になる。ナマの景色は、当然ガイドブックで見る写真とは比べ物にならないほどいい。



この旅最大の目的地へ
本州最東端の朝日を撮影

旅び4日目は、今回の旅の最大の目的である、本州最東端のトドヶ崎で朝日を撮影。
天候と時間調整のため、前日から重茂半島に入る。もし天候が雨なら2〜3日泊するつもりだったが、前日の夜空は満天の星。寝る前に駐車場で撮影機材の準備をしていると、夫婦連れのジムニーJA11が私の横に停車した。同じくトドヶ崎を目指すため、テントを張っていた彼らと、すかさずお話をした。

21時には就寝し、午前1時50分に起床。灯台まで、街灯もなく真っ暗な細い山道を、海中電灯であたりを照らしながら80分歩く。時折り暗闇の中でガサガサと音がしたり、低い位置では波が岸壁に砕ける音や、風が木々を擦る音などにおびえながら、重い機材を担いでひたすら歩いた。

午前4時27分、日の出。この地が本州の最東端で、少なくとも私が本州で一番早い太陽を見ていると思うと、ワクワクしてきた。ついつい「ヤッター!俺が一番・・・」と言いながらシャッターを切っていた。
これで、今回の旅の目的は半分以上を果たしたことになった。


体を休めるため昼食は自炊
いつでもドコでも、が食事の基本

私の旅中の食事として、朝食はパンとジュース、夜はコンビニ弁当かおむすびなどを食す。主に旅中に体を休める(仮眠も含めて)ため、日中に大休憩を取ることにしている。自炊をするのは、この時の昼食だ。

今回は天気も良く、屋外での自炊を5回することができたので、用意した食材に火を通してゆっくりと食べた。
撮影を前提に考えると、いつでもドコでも不規則に食事ができることを考慮しておく必要がある。
ジムニーの積載量は小さいが、自炊用には18リットルのクーラーボックス1個と水10リットルを積んでいる。

限られたスペースを有効に使うためには、自炊のために持っていく食材を、いかにコンパクトにして長時間保存させるかも問題だ。そこで軽量さやゴミ減少を考慮して食材の梱包には気を遣い、事前に準備しておくことにしている。


ひとり旅に最適な相棒JA11は
私の身体より強かった!?

東北では大きなキャンピングカーとよくすれ違った。しかし私が行く撮影場所や時間帯には、まず見ることはない。小さいボディーだからこそ撮影場所を選ばない。ひとりで走り回るには最適な大きななのだ。JA11はターボを搭載しているので音こそ大きいが、高速道路だって全体の流れについて行ける。

その反面、撮影の旅では自分の体力に限界を感じ、年齢も自覚した。
朝日を撮影して、同じ日の夕日も撮影し、その後に次の朝日撮影ポイントまで、1日で数百キロ走ることを毎日繰り返すのだから、キツイのは当たり前のことだろう。

私の体力とは逆に、11年目の愛車JA11は、完璧なまでの走りをしてくれた。
残雪路やダート道での走行には四駆の威力を発揮。小回りが利くから、暗く見知らぬ細道へも入っていける。
私流の旅には、強い味方、良き相棒だ。



旅の帰路も撮影しながら南下
天候に恵まれた旅も終りに

岩手県から太平洋側を朝日・夕日の撮影をしながら南下し、房総半島まで来た。
30年前に自転車で訪れた霞ヶ浦や九十九里などを記憶に辿りながら(同じ風景は思いだせなかった)ジムニーを走らせた。

東京都内を避けて東京湾フェリーで房総半島(金谷)〜三浦半島(久里浜)を渡り、富士山を横目に見ながら西進。愛知県渥美半島で最後の夕日撮影をして、計画通りの旅は終了した。

いつも旅の終りに近づくと「もっと旅を続けたいな。あと3日間くらい・・・」などと思うが、現実が許してくれる訳がない。
仕事や家族、普段の生活も当然ある。
旅の終りを受け止める瞬(とき)、それは心を現実にスイッチングする時なのだ。



(フォーバイフォーマガジンでの本に掲載の記事はここまで・・・)

もっと、詳しいことを見て見たい・知りたい方は、下へどうぞ!



原稿チェック後に間違いがわかりました
 自宅からイッキに17時間後に田沢湖 → 19時間の間違いでした(17時間は盛岡市で疲れて少し仮眠)


「ジムニーひとり旅 3600km 東北−関東」の旅

見たい方は次からどうぞ!

ここからリンクします!


※ただし、レーポート掲載はページが完成次第OPENします。
かなり、時間がかかると思います。


ここからは、今回特別編です!・・・本にない面白い記事を掲載!

※でも、上の文章を読んでおいた方が、より解りやすいでしょう。

2005年のゴールデンウィークに東北の龍飛岬、大間崎を走った。
東北の旅は良かった。
なので・・・今年も東北へ行こうと決定。

4×4MAGAZINEの4ページで伝えきれなかた話題がテンコ盛りなのだ。

但し、この旅日記は、「太陽を追う旅・朝陽&夕陽」を主体としています。
よって、観光地や美味しいものなどは登場しません。

それでも知りたい、聞きたい方は次のページからリンクしてください!

あなたの旅の参考になるかどうかは・・・まったく保証できません!

では、読みたい方はどうぞ   
ここからどうぞ!


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無断使用禁止・著作H.Okamura Logoは使用許可済

http://oka39.net
2002/01/03よりカウト  

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。