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No28. 2005年7月号

2005年5月26日発売

ジムニー東北ひとり旅!

本州最北端目指して3,600km



ジムニーをこよなく愛するお馴染み岡村さん
ゴールデンウィークにひとり旅で訪れた東北ツーリング
車中泊にて7泊8日、自由気ままにさすらった
ハプニング満載の全行程をレポート

未踏の地、東北目指して

 旅好きな私でも津軽半島・下北半島・男鹿半島はまだ行ったことがなかった。若いときに岩手県〜山形県までは行ったことがあるのだが、秋田県と青森県は、まだ見知らぬ土地。
「いつかは必ず行きたい」と考えていた場所だった。地図で見る突き出た半島を見ると、面白いものがありそうに思えてしかたない。
これでジムニーひとり旅の行き先は決定!
趣味のカメラできれいな風景を撮り、温泉にも浸かりながらジムニーと宿とするツーリングに出発!


1〜2日目 イッキに北を目指す


 私の住む広島県から山陽自動車道〜北陸道を経て新潟まで走り、国道を北上するルートだと、津軽半島までは1泊2日かかる計算。4月28日(1日目)に仕事を終えて家を出た。翌29日(2日目)の朝8時に新潟中央〜日本海東北自動車道の中条(新潟市内を抜ける)までイッキに走破。本日の目的地である津軽半島の龍飛岬まで半分以上走ったことになる。

 途中、青森県黄金崎にある露天風呂「不老ふ死の温泉」に立ち寄り、津軽半島の突先の龍飛岬に着き、軽く夜食を済ませて寝たのは23時過ぎ。考えてみればイッキに北上し、途中で仮眠したのが3度で合計1時間30分ほどしか寝ていない。出発して27時間、買物と食事と仮眠と撮影時間の5時間を引くと22時間の運転。距離は1370kmだった。私も年齢に負けず体力・気力は衰えていなかったかな?
10年目のジムニーもまだまだ元気だ!


3日目 旅に予定変更はつきもの


 セットされた目覚ましの携帯電話が朝4時に鳴った。
前々日から走り続けた疲れか、起きようとするが目が開かないし吐き気がする。しかしせっかく旅に出てきて寝てたと言ったら笑われてしまうので、重い体を運転席に移し、朝陽の撮影場所探しをするため周囲を走る。岬の中でも少し高い位置に決めた・・・というより、東の空が赤くなり始めて大急ぎでカメラ2台をセット。
4時30分に下北半島辺りから日の出が見れたのは感動もんだ。

 その後、龍飛灯台に登るとそこには津軽海峡をはさんで北海道が見えた。津軽海峡に接する北海道は、言葉では表現できない美しさなのだ。

 今日は、龍飛岬より夕陽も撮影するつもりだったが、「日の出、日の入りコンパス」でみると、龍飛岬からの夕陽は北海道にかからず、ただの日本海に沈む夕陽となってしまう。次の案として半島の右に位置する尻屋崎より、下北半島の大間あたりに落ちる夕陽に決めた。

 8時に龍飛岬を出発して尻屋崎に到着したのは16時過ぎ。尻屋崎には寒立馬(かんだちめ)が放牧されていて、岬先端部の車道入口に自動タイマーが作動するゲートが閉まっていて入れない。思い描いていた夕陽の撮影ができないため、仕方なく予定を早めて次の目的地「恐山」に向けて移動だ。

 恐山に行く途中の薬研(やげん)温泉が無料の露天風呂を発見し、野宿は露天風呂「かっぱの湯」の駐車場とした。


4日目 地獄の体力テスト?

 薬研温泉から40分で恐山に。徒歩で撮影する時の荷物は、カメラ2台、レンズが4本、中型の三脚と少しの機材(重さ10kg弱)。極楽浄土を思わせる幻想的な地形と硫黄臭が立ち込める「恐山」。火山性の独特の地形を撮影しながら1周(1時間40分)した。機材の重みで肩は痛いし歩いて足は棒で喉はカラカラ。これが1度目の体力テストだった。

 恐山からむつ市(国道388号線)を大間町に向けて移動。途中には2度目の体力テストが。またも極楽浄土を思わせる幻想的な奇形岩で有名な「仏ケ浦」。1時間半の散策は予想通りの苦しい歩きになった。

 疲れ果てた身体で本州の最果ての地、大間を目指した。ドンヨリとした天気の大間町に着いたのは15時。最北端に立つ気分を想像して楽しみに来た!・・・がそこにある風景は車と人でイッパイ。最北端を示す石碑の前などは行列状態だ。ガックリ。

 楽しみにしていた夕陽撮影だが空には雲が覆いかぶさり太陽が覗く気配がない。ただ、今でも夕陽撮影していると状況変化が起きることがあり、少しの異変に期待した。撮影場所を下手漁港の堰堤に決めて待つこと1時間。すると一瞬、太陽が覗いた! 奇跡的な出来事に無茶苦茶喜んだ。

 大間町には本州最北端の温泉がある。もちろん入浴して施設の駐車場を借りて本日の寝床とした。


5日目 出会いも旅の魅力

 前々日のゲートが閉まって入れなかった尻屋崎の尻屋灯台が気になって再び向かうと、カヤックを積んだ白いパジェロが。思わず話しかけてみると、横浜からカヤックを楽しみにやって来られたという。カヤックや旅のことを話して、再開を約束して私は次なる目的地十和田湖を目指した。

 下北半島の太平洋側を南下して十和田市に入ると、街中の桜は満開だ。国道102号線を奥入瀬に向けひた走る。奥入瀬渓流を登り切ると、コバルトブルーに輝く神秘の十和田湖が姿を現す。ここいらで本日の宿泊地を探そうと思い辺りを見回すと、駐車場にはキャンピングカーはおろか、県外の車や単車が一切いない。なぜだか気持ち悪く、湖畔での野宿はやめにした。

 十和田湖から西に位置するところの林道脇に野湯「奥八九郎温泉」があっるという情報をキャッチ。カーナビをセットして目指すは野湯のある小坂町。60kmもあり、到着したのは21時。もちろん入浴して寝ることにした。


6日目 興奮の混浴

 朝4時過ぎに目をさまし、さっそく朝風呂へ。明るくなって温泉の全景を見ると温泉は脱衣場も無い林道脇にある自然のジャグジー露天風呂だ。

 湯に浸かっていたら滋賀県ナンバーの車が前を通った。若い女性ひとりが降りて来たと思ったら、いきなり後ろ側で服を脱いで「入ってもいいですか?」って!「ハッハ〜、よければ、どうぞ」。その姿は水着ではなく、バスタオルを身体に巻いているだけ。目のやりように困った。
「おひとりで旅ですか?」「どれくらいの休暇ですか?」「何処へ行かれます?」彼女から「写真を撮ってもらえないですか?」など・・・小さな湯ぶねの対面に座られドキドキしていた。結局は、肩まで浸かってのぼせた私が先に出ること。残念! 最後は彼女に頼まれていたお湯に浸かっている姿を撮影して別れた。私の温泉歴12年目であるが見知らぬ女性(若い)との二人っきりの混浴は初めてだった。

 ここでまた、宮城県から来た大泉さん&小和田さんのカップと出会い、色々とお話を伺ってしまた・・・。
オット!話をしていたらもう10時を過ぎた。
本日の目的地は、男鹿半島。目指すは入道崎から沈む夕陽だ。

 入道崎には15時頃に着いた。灯台を被写体にしたいのだが海が写らない。手前に男鹿半島らしい荒々しい岩肌を入れて撮るしかないだろう。岩と岩の間に波打つ浜を見つけた。ここでも綺麗な夕陽を拝ませて頂いた。


7〜8日目 そして現実へ

 ついに私の旅も終盤。東北からわが家のある広島へ向かわなくては。
途中、福井県の東尋坊で夕陽撮影して、その後も仮眠を取りつつ走り続け、家に着いたのは5月5日の朝4時だった。

全行程3620キロ。なんとか無事に「自由な旅」が終わった。
初めて見る景色、本州の最果ての地に見る夕陽。
無謀とも言えるジムニーの連続運転だったが、ほどよく疲れて心地良い走りだった。
寝むたくなると車を停めて目を閉じる。
その行動が私の旅そのものである。

 楽しい旅が終わり、家に帰ると現実が待っている。
 さ〜あ、このギャップを埋めるのが大変だ。


(フォーバイフォーマガジンでの本に掲載の記事はここまで・・・)

もっと、詳しいことを見て見たい・知りたい方は、下へどうぞ!


「東北ひとり旅」の旅日記を見たい方は次からどうぞ!。

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ここからは、今回特別編です!・・・本にない面白い記事を掲載!

※でも、上の文章を読んでおいた方が、より解りやすいでしょう。

今回の旅は、7泊8日という、仕事を始めてから二十数年ぶりの長旅であった。
仕事や家庭のことを考えると出たくても出れないのが現実だった。
それを、思いきって家を飛び出したのである。
全行程を地図にして見ると、驚くほどの距離を短期間で走ったのである。
今回のひとり旅の目的は、「朝陽と夕陽を撮影する一人で旅」で、観光や温泉巡りや美味しいものを食べることはまったく考えていなかった。
4×4MAGAZINEの4ページで伝えきれなかた話題がテンコ盛りなのだ。

●ジムニーと言えば軽自動車で、それも平成5年式の10年前の車。
●ジムニーJA11は、バッテリーを2個積んで、ノートパソコンも2台装備している。
●ETCを付けたジムニーが、高速道路で、どれくらい安く走れたか? 現金払いより9000円以上も安い!
●夕陽撮影と言うが、これほど苦労するのです。・・・でも日本海に沈む夕陽を見ると感激!
 ・・・など、画像で紹介します。

もっと知りたい、聞きたい方は次のページからリンクしてください!

ただし、あなたの旅の参考になるかどうかは・・・保証できません!

では、読みたい方はどうぞ   
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従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

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2002/01/03よりカウト