車中泊 カーネル vol.49 春号

和歌山県串本町 橋杭岩
初夏のダルマ太陽
Part42 1枚の写真から〜 SUNRISE


<<< 2021年4月9日発売 季刊誌>>>

 カーネルSTAFF photographer  岡村博文 Okamura Hirofumi

 ●筆者紹介●岡村博文 おかむらひろふみ
  1957年生まれ。広島県在住。
  高校時代から、徒歩・自転車・バイク・電車・車を使い沖縄を除く日本を1周する。
  2周目として2001年より「朝日&夕日を追いかける撮影旅」を始め、2010年に終了。
  3周目も撮影旅として2010年から2019年5月まで(北海道は保留。2020年訪問予定)。
  2019年10月から4週目に突入した。
                                   公益社団法人 日本写真協会 会員

2010年10月号から連載カラー2ページを40回に渡って引き受けていた。
冒頭で1枚の写真で掲載することになって2回目。
見てもらえる1枚の写真として、自分でも少しは納得している。
文章の書き出しがどうすればいいのか難しい。
1〜2行目で、読者をどう引き込むけるかが勝負?
それ以前に、編集長が納得するかどうか???
<<<P7>>>

 
昔々、日本最古の歴史書である古事記(774年)にも登場する、弘法大師(空海)と天邪鬼が、熊野地方を旅したときの物語がある。日本に真言密教をもたらした弘法大師と、人の心を読み取って、いたずらをするひねくれ者の天邪鬼。
このふたりが、ひと晩で紀伊大島まで橋を架ける競争をすることに。負けそうになった天邪鬼は、大声で鶏の鳴き声を真似て、弘法大師にもう夜が明けたと勘違いをさせたという。弘法大師は橋を完成させることなく中止。この時に残った橋杭の巨石が、和歌山県串本町の橋杭岩という伝説だ。

 しかし、これらの奇石群は、1200年前の物語ではなく、実は1500万年前にもさかのぼるもの。大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で火成活動が発生。北北西〜南南東の方向につながる地層の割れ目に沿って、マグマが上昇して冷え固まった。それらが、荒々しい黒潮の波に浸食され、直立した厚い板状の岩脈が、橋脚を並べたようにそそり立つ風景となった。
 
 現代では、吉野熊野国立公園に属し、国の名勝「天然記念物」指定や「日本の地質百選」に選定され、観光名所になっている。大小約40の岩が、紀伊大島に向かって直線上に立ち並ぶ。その距離、南西に幅15m、長さ約900mにもわたる。
 
 1200年前の弘法大師も、橋杭岩からの日の出を拝んだであろう。何度か撮影に挑戦し、ついにおさめたのが今回の1カット。早朝5時8分、太陽が水平線かあ頭を出した。丸いきれな太陽に出合えるだけでも珍しいことなのに、奇石的にダルマ太陽というオマケ付きに感無量。2分間の瞬間的なドラマであった。


季刊誌 1年に4回、発売されています

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