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No33. 2006年9月号

2006年7月26日発売

一緒に走りませんか?
第5弾 お邪魔ツーリング


ジムニーと一緒に日本旅







レポートがだんだん溜まってしまって、こうでもしないとアップできそうにありません。

お許しください・・・。

そのうち完成させます!




「日本のイイところをもっとみたい、探したい」
そんな好奇心に衝き動かされ、一人クルマで日本一周に出た女性がいる
旅の苦楽を共にした相棒はジムニー。彼女は「ジムくん」と呼ぶ
決してスマートじゃないけど、快適さとはほど遠いけれど
角ばったボディーを揺らしてコトコト走る
スローな感じのジムニーが、彼女は大好きだという
もの静かな彼女と「ジムくん」は実にイイコンビなのかもしれない

文/岡村博文 写真/岡村博文、轟かおり
※本人希望により、画像をボカシしてあります。顔のアップ画像は控えます。

ジムで行く日本旅
旅の連れはジム君と決めた

かおりさんが日本一周の「旅の相棒」としたジムニーは、実は古くからの愛車、というワケではない。旅に出るホンの5ヵ月ほど前、ひょんな理由でかおりさんの前に現れたのだ。以前から気になっていたクルマではあったが、たまたま知り合いが手放す事になったジムニーを、かおりさんも気に入った。それだけのことだった。
こしてジムニーはかおりさんの旅のアシであり宿であり、そして友になった。JA11ジムニーの「角張った、ちょっとレトロ感の残るカタチが好き」という彼女は、そおクルマは「ジムくん」と呼ぶ。偶然が呼んだ出会いだったが、彼女はジムニーとなら付き合っていけると直感したのだ。
ただ、このジムニーはちょっと古い。調子はイイが平成6年式である。見た目もレトロ・・・彼女はそこが気に入っているのだが。
このクルマsw日本一周にdると話すと、周りからは「こんな古い車で大丈夫?」「こんなちっちゃいクルマで寝れるの?ムリでしょ」と言って、旅に出ることをなかなか信じてもらえなかった。別に改造したいわけでも林道を走りたいわけでもない。クルマに詳しくもない。ジム君は少し鈍感でアクセルを踏み込むとゴオゴオと大きな音がする。その音で、「お互いのんびり行きましょう」と励ましあいながら走る。そんなふうに、全くルートも決めずにサスライのトコトコ旅に出た。


どんな日本に魅力を感じたのだろう
好きな所へ行きたいだけ


ひとり旅は初めてではなく、海外の旅も経験していたし、日本では何度も経験していた。大学在学中に、「青春18きっぷ」で旅した時に、北海道を走る車窓から見えた真っ直ぐな道や水平線が見える海を見て「いつかは必ずここを走ってみたい」と決めていた。また、北海道の流氷を見たとき、日本も綺麗な景色はもっとあるだろうと確信した。
ともあれ、自分の生まれ育った日本を知らずして海外を旅するなんて恥ずかしい。ならば日本をゆっくり旅してみようと決断。よく聞く「自分を見つめ直す為」「とにかく日本一周する」という理由ではない。拘ったのは、軽自動車で形が好きだったジムニーを旅の友に選んだことだけ。ひとりで旅のをするのは、「私と同じ感覚で付いて来てくれる人いないから」と言い、「ただ、旅をしてみたかっただけなの!」と軽く答えた。
旅は単に「自由な時間を満たすための手段」で、好きな時に、好きな所へ行き、好きなことをする、自分だけの贅沢な時間を過ごすための手段なのだ。


日本も満更ではない
綺麗な景色は山ほどある


観光地見学や美味しいものを食べたりもしたが、その時間に多くを費やしていない。かおりさんの「好きな所」は、観光地より「山頂」や「○○の端っこ」だった。
日本一周の旅では、日本の有名山のうち12山に登った。「なぜ、旅に登山なの?」と聞けば「道中に山があれば登ってみたくなるだけ。私にとっては観光地みたいなものなの」。
山の頂上から見る景色には、単なる観光以上の感動がある。島国である日本には、たくさんの「端っこ」があり、旅人にはなぜか端っこ好きが多い。かおりさんも、22カ所もの端っこに行った。お気に入りのベスト3は、トドヶ崎(本州最東端)・新崎鼻(本土・九州最西端)・宗谷岬(日本最北端)。いずれも自然が一杯で、風景が綺麗で、遠くまで来たなと思える場所。車が入り込めず、観光客が少なければもう最高だ。
日本一周で一番印象に残った場所は、旅仲間4人で歩いた黒部の「下の廊下」だという。1泊2日で片道約19Km歩き、全ての色がクリアに見えた。青色がこれほど綺麗に見えた場所はないのだそうだ。


何より怖いのは人間
行動は自己責任において行こう

旅は、楽しいことばかではなく、予測できない嫌なこともある。特に女性として最も軽蔑したくなる行為が起きた時。基本的には、「自分の身は自分で守る」で、自分なりの対策を考えていた。
・夜はウロウロ歩きまわらない
・夜は女子一人であることを悟られない
・貴重品はみせない
何度もひとり旅を経験しているとは言え、「女性ひとり旅」は怖いこともある。
キャンプ場でかおりさんのテントの隣にひとりの男性がテントを張ったときのこと。最初は優しかったが時間が経つにつれ挙動がアヤシクなってきた。良いタイミングで別のブループがキャンプに来て助かったが、そのままだったら車に戻って走って逃げていただろう。何が怖いかって、野生動物(熊)も怖いけど、時には人間が一番恐ろしい行動をする。
とにかく1対1で行動しない事。でも、旅中に助けられたことも数多くある。人情味のある、暖かいふれあいに接する事も多く、親切丁寧に教えてもらえたり、タダでご馳走を食べられたり・・・。女性だから損することもあるが、それ以上に得することの方が多かったという。


女性だからと諦めないで
旅のアドバイスは恩返し

日本一周を振り返って「ジムニーでの日本一周はとても楽しかった。その相棒として、大好きなジム君と旅ができたことも嬉しかった」という。初めて走る道や土地勘のない場所に、ダート路、林道、砂地もあったことを考えると、四駆で車高が高く小回りが利くジムニーに助けられたことは事実。ジムニーの運転席はリアルタイムに日記を発信する編集席であり寝るベッドにもなった。
寝泊まりは、車で116日、宿で58日、テントで34日。ジムニーの車泊は簡易カーテンだけで特別なことはしていない。車拍がイヤだと思ったことは一度もない。周りからは「あんな狭いところで」とか「可哀相に」なんて言われたが、むしろ楽しかった。
旅に出る前には「女性ひとりは無謀だ」、「女性だからという理由で旅を断念した方を数多く知っている」と何度も聞かされた。かおりさんがHPを開設しているのは、これから旅に出る方へのアドバイスが出来て旅先案内人として「軽く背中をポンと押してあげる」ことが目的。旅人に参考になるデーターや綺麗ごとだけではなく、イヤなことや腹のたつことや怒ったことなども日記にとして書き込んだ。自分も旅中に、色々と助けてもらったから、恩返しのつもりで、とも言う。女性ひとりでも旅は出来ることを知って欲しいのだ。


旅は好奇心の塊で欲望なのだ
自分の旅への想いを持つこと

旅にでれば、いろいろなことを自分の目で見たい、知りたい、といいた好奇心が満たされる。どんな旅かは抜きにしても、自分の価値観を持ち、その価値観に信念を持っていればいい。ひとり旅では、「自分を守ること」、「人に迷惑をかけないこと」などの理念を持ち、その上で「好きなことをして」、人自分なりの旅を完成させることが大切。厳秘な計画を立てて楽しむ旅もあるが、かおりさんにとっての旅は「自分の欲望を果たすための行動の一部」。だから計画はあまり重要ではないと言う。自分の目で見たい、確かめたいと思う猛烈な好奇心を満たす旅は、気がつけば209日間という時間を要した。想像以上に、日本には素晴らしい景色があり、それをいくつも見つけることができた。
そして旅を終えた感想は、「自分が生まれ育った日本という国がとても好きになった」。そしてまだまだ知らない場所がたくさんある日本を「自分の足でもっと歩いてみたい。もっと好きになりたい」と、目を輝かしせて語った。



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2002/01/03よりカウト  

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。