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No30. 2005年11月号
2005年9月26日発売

四国の夕日ひとり占め

四国を1周するぞ! 2泊3日 1300km

突き出た−足摺岬・室戸岬



今回のジムニーのツーリングの最大の目的は
四国の太平洋側に突き出た足摺岬と室戸岬に立つことだ
そこは何度も訪れているのだが、現在日本中の朝陽と夕陽を撮影して旅する者として
その地点からの太陽をまだ見ていないのだ
ならば、やはり旅に出るしかないだろう
そこで今回もまたジムニーで旅立ち、また宿にもなってもらおう

足摺岬へは四国カルストを通過
ペルシウス座流星群を見るつもり

新聞で、8月13日の明け方にペルセウス座流星群がもっともよく見れるとの記事が掲載されていた。とりあえず標高1300mの四国カルスト(今回で5回目)にナビをセットし、13日の午後9時に家を出た。
空には星が見えていたが、峠を境にほんの数キロで天候は一変。雨が降っていないものの数十メートル先は真っ白(雲の中)。14日の1時過ぎにカルスト台地に着くが、何も見えないので仕方なく寝ることにした。少なくとも朝陽は見ようと4時に起床。

願いが通じたのか、辺りが明るくなり始め少し遠くが見え出した。撮影ポイントを探して歩いていると、何処かで見たことがある三菱キャンターを発見。それは去年取材をさせて頂いた徳島県の宮井さん一家だった。聞くと13日の夜に地面が明るくなるほどの流れ星を見たそうだ。あいにく私は流れ星は見ることができなかったが、まさかの再会に我々は驚いた。


四駆ならではの昼食場所
暑い日差しはサイドテントで日陰に


カルスト台地より足摺岬に向かう途中に、四万十川で渓流釣りをしようと考えていた。釣りポイントを探しながら国道を南下するが、気が付いたら太平洋側の四万十川市(旧、中村市)に着いてしまった。

海岸線沿いを走っていると浜に車が降りた後を発見。景色が綺麗で平らな所を探すため、四駆にシフトし、轍に合わせてジムニーを走らせた。砂利と砂地の境目辺りに車を停め、日除けにサイドテントを広げた。そこは海水浴場ではないが周りには素潜りや釣りを楽しんでいる家族がいた。サイドテントは非常に快適で、食後に少し寝てしまい気づいたら2時間30分も経っていた。

足摺岬での夕陽を楽しみにして到着したのだが、太陽は予想を裏切りかなり別の方角に落ちていくようだ。お目当ての岬の灯台付近には無理と判断し、結局岬よりかなり離れた小高い山の中腹に陣取った。ジムニーのルーフキャリアの上に立ち、宿毛市辺りに落ちていく夕陽を見ることができた。


足摺岬から室戸岬まで一気に走る
私もジムニーもタフなのだ


どうしても足摺岬の突先の太陽が見たく、一晩ここで朝陽を待つことにした。もちろんジムニーでの車泊。朝は4時に起床し、岬の展望台にカメラをセットして待つ。そして5時43分に水平線からお望みの太陽が覗いた。これで、満足してイッキに室戸を目指すことにした。

室戸岬には13時頃に着き、昼食も木陰で済ませる。時間が迫り、太平洋に突き出る岩の上で撮影することにした。刻々と空や海や山などの色が変化していく。水平線のかなたに何があるのだろうと思いふけるのも歳のせいかな?
とにかくこれで、四国の飛び出た所は制覇したのだ。


四国の秘境とも言える?
そこには雄大な景色があった!

四国の地図を見て、ふと気になる場所があった。四国の最東端という徳島県阿南市の浦生田岬(がもうだみさき)だ。室戸岬から100kmあり、岬へは国道55号線から離れすぐに車線1本となり、家もなくなり外灯もない。暗く心細い道を走り、着いた岬の駐車場にも外灯もなくかなり暗い。考えたら夜10時を過ぎて誰もいるはずがない。この日は焼酎を飲んで寝ることにした。

次の日、この岬にある灯台に向かった。約150段の石の階段を登ると展望台があるのだが、そこから見える景色がなんともいえず美しい。まさしく絶景!水平線が丸く見え、足摺岬でも室戸岬でもない開放感ある景色に大満足だった。


旅の疲れはやはり温泉
締めくくりは瀬戸の夕陽だった

帰り道、岬より数キロ戻ったあたりの山の中腹に温泉を発見。大きな建物で、駐車場もかなりでかい。四国最東端の温泉「船瀬温泉保養施設」と聞くと入るしかないだろう。ましてや大きな湯ぶねに1番風呂とは嬉しい。また掛け流しの湯を見ると最高に贅沢な気持ちになる。温泉のおかげで疲れた体を癒すことができた。気持ちよかった。

もう、後は家を目指して走るのみ。しかし、もう1ケ所どうしても私を立ち止めさせる場所が瀬戸大橋。四国ツーリング最後の目の保養にと、瀬戸大橋に沈む夕陽を見た。紅い夕陽は18時51分に沈み、約100km先の家まで一気にジムニーを走らせた。
無事に帰ったのはいうまでもないが、私以上にジムニーは元気だった。






夜が明けたが、この通り・・・
これがカルスト台地の朝陽???





日本三大カルストのひとつである四国カルスト。
白い石灰石(カレーン)と擂り鉢状の窪み(ドリーネ)が点在する。
天狗高原の朝霧ではなく雲。
時より、強風とともに雲が流れると下界の景色も見える。しかし、お日様は出てくれなかった。





カルスト台地もほんの少し高い位置に行くと数十メートル先が見えないのどの霧?雲?





カルスト台地の高台から見えた青のキャンタ。
そうです・昨年、取材をさせていただいた徳島県の宮井さん。本当に、お互いがビックリしました。
こんな所でで再会するなんて・・。





昼食のために浜辺に降りた。
木陰もなくてもサイドテントで快適。陸から太平洋に吹く風はとても気持ちよかった。
一人なら、裸になって泳ごうと思ったのだが、近所では、家族連れで魚釣りなどをしている。




食事は、簡単な自炊なのです。
思った時間に、思った場所で食べれるのは、とても自由きままでいい。
それも、暖かいと、美味しいよ。
汗を出しながら、ラーメンもおつです。
クーラーBOXには、食材をぎっしり詰め込み、氷も入れておくと肉でも3日ほどは大丈夫なのです。但し、夏なので、一度はコンビニで氷のブロックを買い足すなければ持たないかな?
昼に、ビールでも飲めるといいのだが、こればかりは・・・絶対に駄目なのよ。

水平線を見ながら食べる食事はバチグウーなのだ。





今回、四万十川で渓流釣りをしようと竿を持って来ていたが出すことはなかった。フライフィッシング用の竿とルアー用の竿を積んでいたが、車の中で折れるのを避けるために、ビニールパイプの中にしまっていた。ベストには、道具がぎっしりと入っているのだ。
しかし、過去にも何度か持って出たが、竿をのばす暇などあろうはずがない。






四国の飛び出した岬、足摺岬の夕陽のつもりだった。しかし、現場に行ってみると、予想をはるかに超え、まったく違う方向に夕陽が落ちるようなので、足摺岬より6〜7km離れた位置に移動。
この方向は、宿毛市あたりなのだ。




左の撮影場所。
小高い丘に上がったが、撮影方向には、案の定、草が覆い茂っている。でも大丈夫なのだ。
私のジムニーのキャリアは、人間が上がれるように改造してあり、上に立つことができる。
このキャリアは、とても重宝しているのだ。
地面から2m50cm以上も高い、位置が確保できるのです。




足摺岬の朝陽。
凄いでしょう? 何にもない位置。
よく言えば、水平線から登る。
でも、水平線には雲があった。
これで、足摺岬から登る朝陽は、撮影できたことにしよう。




黒潮が激しく打ち付ける約80mの断崖絶壁にそびえる灯台をシルエットに、沈む夕陽を想像して来たのだが、見ることはできず。

このアングルで、どこかにかすかに太陽があればいいのだが残念だった。
もう一度、来いというのか?







とっても眠そうな顔してますヨ。
あ〜狙っていた船が通り過ぎる・・・。
静岡から来られた方にシャッターを切ってもらった。
カルスト台地から連続で、4時起きは、眠い。









ここが、室戸岬。
海側から岬の突先を見たところ。
建物が見えるところに、国道が通っています。岬の先端を走るという感じです。
岬の上に白いものが灯台。




室戸岬は、夕陽と決めていた。
現場に行くと、あの突き出た岬を被写体にしたいと。
しかし、このアングルで撮影をしようと思うと、南の岩場に行かないと無理。
これっ、とても危険でした。14ミリレンズでやっとこさ。
これ以上は、海の中・・・。




室戸岬の、それも岩場の上から撮影した夕陽。この方向が高知市なのです。
もし、天気がよかったら、四国の山並みに沈むはず。
四国カルストから、ここ室戸岬が、1年に数回見れるそうです。
これだって、1時間前には、雨が2時間くらい降っていて、太陽が見れただけで嬉しい。




夕陽を撮影して、駐車場についたのが20時前。
この画像は、辺りが真っ暗の中での撮影です。
レンズを覗いても、何も見えない。
遠くの漁火も入れようとしたが・・・。
ちょっと甘い考えでした。
ここって、本当に、命がけと言えば言いすぎかも知れないが、もし海に落ちたら、次の日まで誰もみつけてくれないであろう。




起きたのは、やはり4時過ぎだった。
駐車場から、どれくらいの位置に灯台があるのか知りたくて、懐中電灯を持って歩いた。灯台の灯りが見えているのが、近くに思え、いっきに約150段ある階段を登り、灯台まで上がった。下見のつもりだったのだが・・・。
カメラ機材は、まだ車の中。
急いで、車に帰り、カメラを提げて、もう一度灯台へ。これは、とても辛かった。なんで、2度も、あの階段を登るか?

朝陽は、見てのとおり雲の中からでた。伊島の方角に出てきたのだ。
でも、ここは、足摺岬とも、室戸岬とも、まったく違う雰囲気の岬だった。
すごく開放感があり、景色に大満足だった。





駐車場から、灯台に向けて曲がりきったところで、歩道がついている。
これは、朝陽撮影後に戻る時に撮ったもの。

ぽつんと小高い丘の上に立つ灯台という感じだった。





蒲生田灯台への階段。約150段の一直線の階段。
心臓破りの階段とも言える。重い機材を持っての歩きはきつかった。それも2往復。ゲッが出そうだった。





この灯台の高さは低く、手すりがある位置でも私の背ほど。
全体の高さも10mないかも?
周囲は小さなタイルを貼ってあった。




蒲生田岬
紀伊水道と太平洋が交わるこの岬は、大海亀(アカウミガメ)の産卵地として県指定杵物とになっている。
晴れた日には遠く大鳴門橋、淡路島、和歌山県まで望むことができる。岬の先端には珍しく、蒲生田大池という池があり、この池の周りの湿地帯に蒲が自生していることが蒲生田の地名の由来になったそうである。またここはミミガメの産卵地としても知られている。
でも、ここに年間約1万人が訪れるというのには驚かされた。



室戸岬から撮影後に、蒲生田岬に走った。国道から、岬につづく道は、かなり狭く夜に走るととても心細い。
22時に付いた駐車所には、外灯もなく誰もいない。

本には書けなかったが、ここは何か不気味な雰囲気だった。家もないのに、どこからかみられているような感じがした。もう、眠くどこか民家がある所まで引き返すのは面倒で、焼酎をいっぱい飲んで酒の勢いで就寝。
しかし、ゾクソクする気配はなんだったのだろう?
あなたも、ひとりで、この駐車場に寝てみたら・・・! 度胸がいりりますぞ!






夜に走ったときには、こんなに大きな建物があるのには気がつかなかった。
朝に走っていて、妙に気になったので、行ってみることにしたら、そこには温泉があった。





温泉と解りすかさず、入口に停めて、中におられた人に聞いたら、すぐに入れますよと・・。では、一番風呂でお願いしますと・・・。



船瀬温泉保養施設
温泉には、外に露天風呂もある。遠く紀伊水道を挟み、淡路島、和歌山県を望むことができ、大鳴門橋まで見えるとか。線質は弱アルカリ性で、地下1,600mから41.4度のお湯が湧き出し、臭いもなく、肌触りが柔らかくとても良い湯だった。
男湯と女湯は1日おきに変わる。さざなみの湯(四角)とうみがめの湯(丸い)がある。どうやら、本日は女湯のうみがめの湯の方が有名らしい。入れなかったのあ残念。





瀬戸大橋の夕陽
四国から本州に繋がる瀬戸大橋は、夕陽のスポット。と・・・私は決めている。これで2度目になるが、どうしても私が通る時の時期が悪いのか、太陽が橋にかかってくれない。
ましてや、右の画像でみるように、橋の上部は雲なのだ。
しかし、雲の中から、フット丸い太陽が出たのは、綺麗だった。
でも、沈む位置には、島があったのだ。




四国は、案内と広島県からは近い。30年前から四国は走っていた。
カルスト台地は5回目。足摺岬は4回目。室戸岬は3回目だった。もちろん朝陽や夕陽を見る時間帯ではなかった。どうしても、足摺岬と室戸岬の太陽が見てみたかった。
四国の周囲を3分2ほどを、いっきに走ったことになったようだが、やはり、かなりの距離があるようだ。
走行距離は、約1100kmで、高速が400km弱。ということは700kmを下道を走ったことになる。どうりで思った以上に疲れたのかな?
でも、今回も、暑い夏の中を、JA11は私以上に元気で走りとおしてくれた。
もう直ぐ、12年目の車検かな?

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト