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No29. 2005年9月号

2005年7月26日発売


ネットで集う仲間

8県から11台が終結

ジムニー合同オフ会  i n 長野




ジムニー専用サーチエンジン「JIMSEACH」を通じて知り合った人々が
「ジムニー合同オフ会」を長野で開催することに
それは聞き捨てならぬ! と長野へ一気にかけつける
「ジムニーが好き」というだけでみな、仲間になっていった

ネットは仲間が集まる場所
合言葉は「ジムニー好き」

 ジムニー好きが集まると聞き、またまた行ってしまった。「ジムニー合同オフ会」に参加するため、一路長野まで1300km(往復)。新発見も多く、なかなか楽しい旅となった。
 ジムニー専用のディレクトリー型サーチエンジン「JIMSEARCH」※1に登録されているウェブサイト管理者数人が、ジムニー乗りという共通の趣味から知り合い、相互リンクを貼った。これをきっかけに、それまでそれぞれが自分のサイトの掲示板でのみ情報交換をしていたのだが、どうせ同じジムニー好きならみんなで集まっちゃえと、声を挙げたのが山梨県の望月さん。そして望月さんが中心にとなって4月に「合同オフ会専用掲示板」※2を開設したのだ。その後すぐに話は盛り上がり、6月12日、参加者の住む場所から中心(私の広島は除外)あたりの長野でオフ会が開催されることになった。


ネット上しか知らないのは不安?
ジムニーで走るだけで大丈夫!


 掲示版を覗いていた私はすぐに参加表明をしたのはいいが、いささか疑問も残った。ジムニー好きというだけで、本当に遠路はるばる駆けつけていって、仲間になれるのだろうか?
 当日、午前10時に飯田市の集合場所にジムニーが集まってきた。みんな初顔合わせで、何とも奇妙な感じ。名前とクルマと掲示板で使っていたハンドルネームが一致しないのである。
 そんなぎこちない時間もあっという間、さ〜あ走ろう!飯田市から木曽郡への大平街道を飯田峠(標高1235m)を目指してツーリング。ジムニーでコンボイするだで一気に仲間意識が芽生えたのだ。30kmほど走るとちょうど昼時で、誰からともなくバーベキューの準備を始め、炭火の焼肉パーティー。自己紹介もかねて各自ジムニーへの想いを語り、みんなが友達になれた。


やはりジムニーの話題がテンコ盛り
いろんなジャンルの集まりだった


 今回集まったジムニーは11台で、どれもそんじょそこらのジムニーとはチョイト違っていた。車種もSJ30、JA71、JA11、JB23、JB33とバラバラ。一体何の集まりなのか分からない程だ。参加者に自分のジムニーの自慢話をしてもらった。「JA71だがグリルはJA11−1型」、「JA11だけどSJ30の顔」、「右側のヘコミが好き」、「消防のマークがお気に入り」、「ボンネット横のスポットライトに惚れている」、「ワンオーナーでノーマル車だが16万4460kmを走っている」・・・、誰もがどこか違う所を探して話す。遊び感覚のイジリが妙に面白く、なんでも話題になるようだ。同じクラブ内であれば同じ改造やカスタムがなされるが、これだけ各地からバラバラで集まると皆が特長を持っているのが面白かった。そして、改めてジムニーは幅広い遊びができ、まさに大人のための走るプラモデルなのだと再確認したのだった。


再開を約束して広島へ
次回も駆けつけるぞ!

 今回「ジムニー合同オフ会」に参加させていただいて確認できた。ただ「ジムニー乗り」という合言葉だけで仲間になれてしまうのだと! ジムニーという共通なもので知らぬ者同志が会えて、話ができ、走ることができる。なんて素晴らしいだろう。
 最後に参加者が自然とまるい輪になって、それぞれの今日の感想を述べた。その時みなさんが微笑んでいたので「合同オフ会」は大成功に終わったのだと確信した。また、次回の再開を約束して午後18時にそれぞれの帰路へ。なんと、家に着いた順番に掲示版に「無事帰宅」と書き込まれていた。最後にそれが書き込まれたのは午前2時45分、もちろん私だった。
 ジムニーの合同オフ会専用掲示板には、いつでも情報交換ができるように残すことに決まった。第2回目は、いつ開催されるか? 誰から声がかかるのか? 何処でするのか? まったく決まっていないが、今回のメンバーから言い出すのは時間の問題だろう。




※1 JIMSEARCH http://www.e-jts.com/~jimsearch/
「ジムニー合同オフ会」のきっかけとなった「Jimsearch」サイト。ジムニーを持っている方なら誰でも登録が可能。愛車自慢などジムニー乗りにはたまらない情報を簡単に検索できる。

※2
 ジムニー合同オフ会専用掲示板 http://www.h6.dion.ne.jp/~j-style/
HAL☆SANこと望月さんが管理するホームペーの一部を使っている。


ネットでつながるジムニー乗り
一緒に走ればすぐに仲間同士だ







集合したのは11台で8県より集結
ノーマル車からゴテゴテの改造車まで集まった



大平街道を飯田峠に向けてコンボイ!
みんなで走ると楽しい!
自分の前と後ろにジムニーがいるのですからなんとも言えない!

昼食は、焼肉パーティーで盛り上がった。
コンロは、網は、炭は、箸は?と声が出ると、あるヨ。
使ってと、どこからとなく出てくるのだ。
アウトドアにも精通しているモノもいるようだ!



トイレ休憩でストップ。
ジムニーから降りた親子が妙に似合う。



参加者が各ジムニーの品定め?
色んな型式があるので、それぞれの違いを見つけては談義する。
このタイヤは純正なのか? 


もちろんエンジンルームもチェックされる。
粘り強く走るには・・・、かなりイジッテいる様子。
皆さん、それぞれの苦労話もあり、結構それを楽しんでいるようだ。


エッツ、エアコンのコンプレッサーがロープで吊ってあるヨ。これって動くわけないよね。
なぜ、外さないの?外すとガスが抜けて温暖化の原因となるから・・・?
かなり真面目にオーナーさんから説明を受けた。


純正のジムニーって、貴重ですよね。
改造するより、そのままで現状維持する方が大変なのよね。
ホラホラ、このラインも美しい!





このエンブレムは消防車のもの?
なぜ、ここに付いているのだ!
あなたは、消防関係の人?
ただの飾りらしい。


この傷はなんだか解りますか?
ヒョウが当たったです。
そう、天から氷が落ちてきたのです!
この傷は珍しいでしょう〜。
だから直さないんですよ。


このテールランプは格好がいいでしょう。
そういえば、付いている位置も?
なにげなく付いているが、とても似合う。


こっちも見て!
イヤ〜、これもまた、アイキョウで付いている!
冗談としか見えないヨ。


ボディーには無数の傷。
それもクルマの四隅はベコベコ状態。
その中でも、ここの凹みが一番好きと言う。
微妙な凹みで、ウインカー壊さないようにスレスレの位置でのヘコミ具合いが良いといいう。


夜に野営する時に重宝なのだ。
テントを貼る時にはとても便利。



 

全国のジムニーファンの方
どうぞ、参加してください。

第2回目も開催することでしょう?


ジムニー合同オフ会専用掲示板   http://www.h6.dion.ne.jp/~j-style/

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。






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2002/01/03よりカウト