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No26. 2005年2月号

2005年12月26日発売

 一緒に走りませんか?

第4弾
 お邪魔ツーリング


 キャンター4WDはまるで走る倉庫 





世間一般には、四駆でキャンプやツーリングをすると聞くと、
ランクルやジムニーなどを想像するが、
三菱のキャンター・ダブルキャブで楽しんでいる人がいるという。
私の知る限りでは商用車として後ろに荷台が付いている車。
しかしそんな大きな車がどうして必要なのか不思議でならない。
やっぱり、逢って確認するしかないだろう。










杖立林道に入ってすぐの路面。宮井さんが過去に走っていたが、今回の凄さにはビックリしていた。



キャンター4WDでキャンプと
ツーリングを楽しむ家族


 今回同行ツリーンをお願いしたのは、徳島県の宮井克治さんご一家。待ち合わせは吉野川の河川敷。後から到着した私のジムニーからは、首をひねり、見上げた位置にキャンター4WD(以下キャンター)の運転席があった。まるで見下されている感じだ。

 第一印象は、やはり「大きなあ〜」というもの。
しかし、近くの河原で少し走る姿を見たら、「いやいや、これは見た目以上に力強そうだ」と関心した。早く林道を走る姿を見てみたいものだ。






何はともあれ林道へ
荒れた林道へ突入


 さっそく徳島県の穴吹町より国道492号線を走り、古宮から剣山を目指す杖立林道を目指した。しかし、林道はズタズタ状態。道には深さ40〜50cmもある溝が掘れていた。

 キャンターが溝を避けながら進むが、30mほど行った所で立ち往生。何度もコースを確認しながらアッタクするが、もし深みにはまるとジムニーでは救出は不可能。先の様子を歩いて確認すると、崖崩れもあるようだ。無理な挑戦は諦めることにした。やはりと言うか、台風が何度も通過して四国の林道も被害は予想以上に多大であったようだ。

 その後、走り足りないので河川敷へと移動。もちろん、無謀な走りはご法度なので砂煙を上げるほどは走れない。キャンターの助手席に乗せてもらうと、車内からの視界の広さに驚かされた。高い位置から前がよく見えるのは当然だが、サイドウィンドウを見て2度も驚かされた。ジムニーでは見えないであろう遠くの地形が確認できる。

 運転席からジムニーの後方を見ると、ジムニーの屋根上(キャリア)で運転している感じだ。遠くが見えるのは狭い林道でもかなり助かるだろう。この高さは数多くなる四駆でも、キャンターが上位を占めるのは間違いないだろう。

 今回は林道走行が出来なかったが、林道を走るキャンターの姿は迫力があったことだろう。その走りが見れなかったのはすごく残念だった。








運転席からの視野の高さ・広さには驚ろかされた。車内は6人乗りということで、とても広いのだ。



左から、宮井克治さん、楓太くん、龍太くん、圭子さん。子どもたちは、キャンター4WDに乗ることをとても楽しみにしている。








荷台に子どもがふたり載っても余裕がある。また荷台に人が入らなければ荷物が取れないほど奥は広い。


キャンプ歴25年・四駆歴17年の実績
キャンターは走る倉庫として活躍


 私なりにキャンターに乗る宮井さんの気持ちが少し解ったが、その理由を聞いてみた。「学生時代から旅やキャンプが好きで、結婚後も家族キャンプで海へ山へ出かけていました。

 結婚後7年続いている家族キャンプで、家族が数泊できるテントやキャンプ道具と、自転車4台を2台の車で運んで移動していたんですよ。どうにかして1台で人間も荷物も運べないかと考えていたらキャンターになったのです」と説明をしてくださった。

 今回は荷台にキャンプのフル装備こそ積載していないが、食事で使うテーブルや椅子を出すために、子どもふたりが荷台に乗る光景を見たがなんと広いこと。家によくある倉庫と比較しても同じくらいの収納ができると思えるほどだ。

 四駆はキャンターが初めてではなく、四駆歴は17年もある。宮井さんは独身時代から静かな山に読者をしに毎週通っていた。現在までに9台を乗り継いで来た。四駆を知り尽くした結果、こんなに大きなキャンターとなった訳だ。

 ご家族にキャンターに乗っている感想を聞いてみた。
克治さんは「四駆はデッカイ方がいいぞ!視界の高さには満足。まるで走る倉庫さ!」、
奥様の圭子さんは「なるようになった。好きなようにしたら?ある種の諦めですね」、
子どもたちは、「四駆はよじ登る乗りもの」、というコメントをもらった。

 また、「スピードでないね」の問いに、宮井さんは、「出す必要はまったくないんですよ。ゆっくり走りたいので」なるほど、その通りです。ゆったりしたツーリングやキャンプを望んでいるのですら。「子どもはおしめをつけている時から四駆に乗って、小さい体でよじ登るのが当たり前、それが遊べる楽しい車と思っている」と奥さんが言う。







荷台には、鉄で作っている棚がある。これはかなり荷物の整理ができ、精記載量も増えることだろう。



勝手に決め付けないで
宮井流の遊び方は立派


 私がツーリングやキャンプをするのに四駆を選ぶ時、ランクルやジムニーと決め付ける傾向があった。大きい車体はベッドやキャビンの付いたキャンピングカーと想像してしまうが、荷室が荷台であってもおかしくないだろう。

 宮井さんがキャンターに乗る姿をみて、こんな遊び方もあるものだと思った。単純に大きく、荷物を運べることに優先順位を付けて選ぶのも、ぜんぜん不思議なことでないのである。人それぞれの価値観のもとに乗ることは決して否定できない。

 こんな車の遊び方もあることに納得でき、キャンプ主体の遊び方にキャンターは抜群の威力を発揮するのは間違いないだろう。
 キャンターに乗る疑問が解けた!それは宮井さんの「遊びの行動パターン」と一致したのだ。






渓流沿いを走るキャンターは、なでだか周りの景色にマッチしている。細い林道を走るキャンターは勇壮だ。



  下がサイズダンウした 



MITUBISHI
キャンター4WDダブルキャブ

ボディーサイズは5,250×1,900×2,470mm。全長は850mm、高さは470mmノーマルよりもサイズダウンされている。また、車両重量は150Kg、総重量にいったては1,550kg減量して3,990kgになった。サイズダウンされた荷台でも最大積載量は600Kg。十分過ぎる容量だ。宮井さんはこのキャンターの他にJ53も所有している。


「旅好き、四駆乗りクラブと一緒に林道ツーリング」

私を誘ってください


本気で遊んでいる人たちに逢ってみると、生きている幸せを感じる。こんな面白い人生をもっと知りたい。
趣味の中で四駆を道具として遊んでいる方、私にもこっそり教えて!

自己紹介のホームページ
My Maniac Homepege http://www.fuchu.or.jp/~okaura

お誘いメールアドレス(携帯電話からでもOKです)
電子メール magazin@oka39.com
従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト