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No25. 2005年1月号

2004年11月26日発売
 
一緒に走りませんか?

第3弾
 お邪魔ツーリング


 こよなく愛す「峠と旅」 







  
第3弾
   一緒に走りませんか?
      お邪魔ツーリング



 こよなく愛す「峠と旅」



今回、一緒にツーリングしていただたいたのは、「サラリーマン野宿旅の著者であり、峠にこだわって旅を続けている蓑上誠一さん。歴史と文化を感じさせる峠を走り、その魅力をたっぷりと語っていただいた。

会社の休暇を使って日本中の「峠」を旅している人がいる。
「峠」には、どんな魅力があるのだろうか?
「峠」には、歴史があり文化もあるという。
「旅」の面白さは何だろう。
やはり、逢って聞いてみるしかない。






出版本のペーネームを持つ人物
サラリーマンでありながら旅をする


 突然の取材の申し入れに心良く応じて下さったのは東京都に住む、蓑上誠一※1(ペンネーム:みのうえせいいち)さんである。彼のホームページの大人気サイト「峠と旅」※2とは、4年前から相互リンクを貼らせてもらっている。

 通勤で同じ道を通い、工業用の生産機器を設計するサラリーマン。30代で車の免許を取って、原付バイクから250ccバイクに乗り、ジムニーJA11、現在はトヨタのキャミ(四駆車)に乗り継いで、自己を見出す旅をしている。日本全国を野宿しながら旅した距離は24万km。サラリーマンが休暇を利用して、日本の峠を見て廻りながら野宿旅をする。そこには、どんな「こだわり」がり「峠」にはどんな魅力があるのだろう。





旅&峠の魅力!
峠を越える野宿旅


 蓑上さんは毎日の車通勤にも、ふっと、旅人に変身したくてしょうがなくなる時もあるそうだ。旅をしたものでしか解らない、ある種の「充実感」や「旅の面白さ」を語ってくださった。

 十数年にわたる旅の経験から、車を使う野宿旅のパターンが出来上がったという。車は旅の足であり道具に過ぎない。また、自由気ままな所で宿泊できるのは、宿を予約しないで済む野宿(テント・車泊)である・・・と考えるようになったそうだ。

 旅で走った証として記憶に留めるために「峠」に興味を持ち、峠について研究してみると、峠は「景観」「文化」「地域」「交通」「植生」「分水嶺」などの境となり、学術的に見ると大変面白い所であるということに気づいたという。私も旅する者であるが、いつも何気なく越える峠は数多い。今回の同行ツーリングで、「峠」の越え方について、「正しい?峠越え・・・」を教わったのである。





ただ越える峠は−ただの道なり
峠は時代と共に変化するのだ


 蓑上さんのお住まいはは東京都で、私は広島県。というわけで、距離的に真ん中の滋賀県の琵琶湖で合流した。コースとスケジュールは蓑上さんに設定してもらった。すでに自分の行きたい場所をピックアップしてあり、ものの5分足らずで決定した。走る数本の林道と峠の中から、「国見峠」と「ホハレ峠」に決めた。

 国見峠※3は日本百名山の「伊吹山」の北に位置する。この峠道は近江と美濃を結ぶ歴史の道である。塩と絹の道として村人の往来した暮らしの道であり、明治、大正時代には伊吹の野麦峠とも言われた。宮本武蔵が駆け抜けた峠、さざれ石の伝説もあるそうだ。

 この近江と美濃の国境に、蓑上さんは歴史と文化を感じるという。氏は2001年にも、この国見峠に来たそうだ。その当時には、「林道はダートで心地良い峠」だったという。この3年足らずで全舗装になったというから、時代の進化を痛感させられる。変化いてしまった峠を見つめる蓑上さんの後ろ姿に、何か寂しさを感じた。

 それでも、峠にこだわる蓑上さは、峠に入る林道で、「昔の峠道に行ってみたい」と言い出し、下板波川ぞいに入ってみた。当然のこと、人も通らず、道も荒れ放題で、途中では、川の中を走る。

 行き止りの道と分かって入ったのだが、結局、最後は倒木でいく手を遮られた。この時の、蓑上さんは「もっと先が見た〜い」とばかりの顔になっていた。


国見峠の境。昔の人も峠に辿り付くとそこでひと休みするのは今も同じなのだ。ここで、車を停めて昼食にした。





峠には仏像や石碑があり、「境」を意味する場所でもある。心を新たに旅への安全などを祈るのだ。



現代でも歴史を感じる「ホハレ峠」
9年越しのお地蔵さんを見つける



 「ホハレ峠」※4では、古代から続く峠の歴史※5の一部を見ることができた。地元での呼び名「旧ホハレ峠」は坂内村川上地区と旧徳山村門入地区を結ぶ里道である。川上地区から2qくらいは川上浅又川に沿って緩やかで、そこから約400mの高さを一気に登り、峠越えると谷に沿って5qほどの緩やかな下りとなる。現在、川上地区側は所々が崩れ、門入地区側は雑木に覆われ通行が困難であると聞いている。


 蓑上さんは9年前にも、「旧ホハレ峠」に来たそうだが、その後、インターネットで「峠のお地蔵さん」があることを知ったという。今回はどうしてもそのお地蔵さんを見つけたいとのことであった。別にお地蔵さんが珍しい訳ではなく、そこにある物を自分が見ていない悔しさがあるのだろう。峠は、誰もが道中の安全を祈り、伝説が残るような神秘性もあり、何かしらロマンが感じられるのだ。今は人が通らないが、昔には人が通っていた証としてお地蔵さんがあるのは、心を動かされる。


 最後の登りで、写真撮影をしていたら、峠からライダーが降りて来た。その方は大阪府豊中市在住の田井中康伯さん。当然、お地蔵さんのことを聞くと、探したが見つけることができなかったという。それも、2年越しの探索らしい。ある程度の道の情報を仕入た。ふたりで探そうと決めた。


 登り詰めた所で折り返しの坂道にアッタク、キャミは何度となくハンドルを切り返す。そこからは、草の中を恐る恐る走り広場に出る。ここが峠かと思うと、その先には左側は崖で側路が見えないし、人間の背を越える草木が茂っている。2台で入るのは無謀な突入となるので、キャミを広場で待機させ、私のジムニーが先に行けるとこまで行く。300mほどの所で左の崖がなくなり、右になだらかな勾配の傾斜。何となく、峠っぽい。車の向きを変えるほどの広さがあるので、無線で蓑上さんを呼ぶ。再び、先へ進むためにジムニーに乗ろうとした瞬間、振り向いた所に「お地蔵さん」を発見。それを見たふたりは大喜びではしゃいだ。


 蓑上さんが9年越しの峠にお地蔵さんを見つけたのは、峠に来たという証であり、達成感に喜んだ。もちろん、お地蔵さんに手を合わせて旅の安全を祈った。そこから先は、歩いて行ったが、車での進入は無理と諦めた。

旧ホハレ峠にて。今では越えることあできない峠なのに今もなお林道としての道しるべの標識は立っている。



ホハレ峠より下りて来たライダーの田井中さん。探していたお地蔵さんは見つからなかったと残念がっていた。



峠の頂上より50m手前地点。本当に道幅が狭く、崖の渕が見えづらい。単独の探索は危険だと思います。






9年越しで探していたホハレ峠の「お地蔵さん」。川上地区からでは、峠の左側の地上高1m当たりにあります。



国道303号線。滋賀県木之本から岐阜県坂内村への「八草トンネル」。これが現在の峠越えとなってしまった。

過去から現代を見つめる旅でもある
峠を探す旅はこれからも続く



 その夜のキャンプ地は、ホハレ峠から2kmほど戻った所で少し広い渓谷の広場にした。蓑上さんのひとり旅の経験上、原則として明るい間にキャンプ地を探し、テントを張るのが安全に野宿をするコツだそうだ。旅をする中で、熊にも出会い、暗闇にひとりでテントを張る強心者が言うのだから間違いない。もちろん、人工的な照明はまったくなく、半月くらいの月明かりで、夜を楽しんだ。


 午後6時頃から、就寝した午後11時まで、「旅」「峠」「林道」「仕事」「夢」などを語った。しかし、蓑上さんは、まったく酒が飲めない。私ひとりが、気持ち良く酔うのに蓑上さんが付き合って話をして下さった。


 逢う前から聞きたいことがあった。新車から乗り潰した、ジムニーの走行距離は14万km。それなのに次に選んだ車がトヨタ・キャミになったのは何故なのか?峠までの林道走行を考えると、四輪駆動であり車高が高く、車幅が狭いことを条件から外すことができなかったという。再度、ジムニーも考えたが、家庭環境のことや、短期間の休暇で遠くまで行くことが増え、少しでも楽に走りたいということで排気量が大きいキャミに決めたそうだ。


 もうひとつ質問。何を求めて峠に向かうのすか?
峠を越えるのは、山の頂上を目指すのと同じで天辺が見てみたいのと、その境の反対側には何かしら趣きを変えるモノがあり、それが何かを確かめたい・・・という欲求から。単に越えてみたいだけでもあるそうだ。


 蓑上さんは、「遊びは貯めておくべき」との考え方をお持ちだ。現在、峠を旅して写真を沢山残し、歳を取ったら、その膨大な写真の整理をしたい。
そして、その峠や旅の面白さを書き残していきたいという。




「八草トンネル」の前を横切る旧道で、その昔の国道。現在では、「日の裏林道」の名で、かなり険しい峠越えだそうだ。


※本に掲載されてから解ったのですが、「日の裏林道」は、旧国道303号線の峠付近から続く林道だそうです。2004/12/8








これが、「日の裏林道」であるが、今年の台風でかなりの崖崩れで道を遮られた。

※この「日の裏林道」というのも間違いで、旧国道303号線です。また、11月下旬には通れると情報を頂きました。
2004/12/8


ふたりは旅をして友達になった
旅から峠の面白さを教わった



 今回の旅で、峠越えをするのにキャミで大丈夫だろうか?と心配していた。しかし、ホハレ峠に同行しみて、ジムニーJA11に劣らない機動力を見せた。お互いのボディーには無数の擦り傷が付くほど草木の中を走り、狭いダートを走るキャミは想像以上に小回りがきいたのには驚いた。旅の足にキャミは十分だ。


 蓑上さんは、旅をするにあたって、ひとつのことにこだわるには、何かを諦めたり、余儀なく変更することも大切であるという。今でも遊び心は二十歳代の気分であっても体が重い。それでも面白いことは辞められない。私も同感だ。今は思ったままに行動し、知識や経験を蓄える時期で、体を動かして体験することが大切なのだ。


 今回ふたりで、林道と峠を走破したのは1泊2日で約160km。お互いに気を遣うことなく、楽しい旅だった。山の中を峠の面白さを聞きながら越えると、そこに何かしら歴史を感じるようになった。蓑上さんから、ほんの少し峠越えの面白さを教わったようだ。


 最後に、買い込んでいた食糧を出し合い、食べながらがこう言った。
「逢ってから、1円もお金を使わなかったね」と・・・笑いながら、野宿旅は終わった。


 実際に逢うまで、数度のメール交換をしただけで、電話でも打ち合わせしないで、いきなり野宿旅ができるのは、ふたりとも「ひとり旅」を経験していたからだろう。お互い帰路に着き、私の走った全走行距離は1,000kmを越えていた。



「サラリーマンと野宿旅」の本について

生きていく為には、働かなければいけない。日本では大多数が会社勤め(サラリーマン)で収入を得るしかない。そんなサラリーマンが「旅」をしようと決めたら妨げになるものがある。
しかし、何度もやっていると、誰でもできることが解った。
私が「旅」をした経験を教えよう。
●旅のきっかけ●
オートバイにキャンプ道具を積み、野宿をしながら林道などを走りつないで日本中を回っている人種があることを知った。野宿ライダーである。本や雑誌でその生体が徐々に分かるにつけ、非常に興味を感じた。別に観光地巡りをするでもなく、はっきりした目的地があるでもなく、へんぴな所を好んで走り、人気の無い所で野宿をする。こんな旅もあるんだなと思うと同時に、なぜかしら心が引かれた。
誰も来ない『峠』に立って荒涼とした景色を眺めていると、背筋に寂莫とした感じを受けます。山深い林道脇で『野宿』した夜は、怖いくらいの孤独感に包まれます。そんなのがどうも性に合っているのです。

●3大連休●
日本のサラリーマンに毎年保証されている長期の休みとなると、結局のところ5月初旬のゴールデンウィークと8月お盆前後の夏休み、年末年始の冬休みの3つが相場である。この3大連休に心血を注ぐことになる。どれも5日程度からそれ以上の連続休暇としている会社が多い。それら会社が決めた休みに有給休暇を1日でも付け足す事ができれば幸せ者である。

●休暇が肝心●
旅をするのに一番重要なのは何か。それは利用する交通機関、乗る車や使う道具、旅の目的地や経路などではない。会社の休みが取れるかどうか、休みが取れなければ何も始まらないのだ。
また如何にいい時期に休みが取れるかで旅が大きく左右される。紅葉が見たくても夏休みや冬休みを使って見に行くわけには行かない。
サラリーマンなら、週末の土日2日間の休みや、土日に祝日がくっついたり有給休暇を1日つけたりした3日間程度の休みなら取れるが、充実した旅をするには不足。どうしても1週間以上の休みが欲しくなる。例えば有給休暇を月曜から金曜まで連続5日間取り、その前後の土日を合わせれば合計9日間の休みになる。大抵の方は有給休暇は沢山残っている。5日間ぐらいは十分あるだろう。人によっては繰り越しできずに、毎年切り捨てられてしまうほど持っている人もいる。机上の計算では2+5+2は9である事が十分成り立つのが分かってはいる。
しかし実行できる日本のサラリーマンが存在するだろうか。連続5日の休暇届けを会社の上司に出せるる勇気はない。そんな事をする者はサラリーマン失格である。失格以前にサラリーマンを続けさせてはもらえない。



「旅好き、四駆乗りクラブと一緒に林道ツーリング」


私を誘ってください


本気で遊んでいる人たちに逢ってみると、生きている幸せを感じる。こんな面白い人生をもっと知りたい。趣味の中で四駆を道具として遊んでいる方、私にもこっそり教えて!


自己紹介のホームページ
My Maniac Homepege http://www.fuchu.or.jp/~okaura

お誘いメールアドレス(携帯電話からでもOKです)
電子メール magazin@oka39.com
従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト