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No24. 2004年11月号

2004年9月26日発売
 
一緒に走りませんか?

第2弾 お邪魔ツーリング


 これが「男の浪漫ヨ・・・」を見た! 





以前ジープに乗っていた人達が、クラブ結成28年後の現在、

オートキャンピングカー“ロデオ”に乗っている姿をあるホームページで見つけた。

ジープからどうしてキャンピングカーに乗り換えたのか?

また、彼らのクラブがなぜ長く続いているのかその実態を知りたかった。



AWLクラブの歴史
遊び心は一向に衰えないのはなぜ?



 今回、お邪魔したのは広島県西部で活動する、AWL(ALL WHEEL LUG)クラブ※1。
 
 ツーリングには、Jeep(J54)とロディオの2台が参加した。現在の会員は8名。クラブ発足当時はクルマはジープを主体としていたが、現在はクラブでロデオを所有している。

 その他に、個人所有のジープが3台と同型のロデオ、別のキャンピングカーの2台がある。さらにクルーザーが1隻とログハウスがあるそうだ。

 四駆乗りが主体だったクラブが、30年後には活動の目的が、温泉・登山・キャンピングと変貌したのはなぜなんだろう。キャンプ地、島根県に近い八幡高原辺りで、酒を交わしながら私の疑問を彼らにぶつけてみた。

 話を聞いたのは代表者の福原一博氏メンバーの島内憲昭氏、弘中則忠氏。福原氏が1976年に四駆好きな仲間を募りランクルBJ40やジムニー8、部員10名でクラブを結成した。クラブ結成後のアウトドアブームの到来で、自分達と家族も遊べる本拠地が欲しくなり、ログハウスを完成させた。

 1989年には、ジープワンメイクになり、県内はもとより中国地方を走破。その後、ログハウスを手放し、より遠くへ行くために、「移動式小屋」とし牽引(カシーター)キャンピングが始まった。

 そして1999年3月にロデオを手に入れた。なるほど、遊びが時間の経過とともに変化するとこうなるのだ!

 しかし、「ジープ」が、「キャンピングカー」へ替わった一番の理由は、「今はジープでなければ走れない所が無く、林道も舗装され、鎖のゲートも閉ざされた所が増えて、道無き道を走ることは許されない。30年前のフィールドはもう無いから・・・。」と皆さんが語っていた。

  同じ趣味を持つ仲間と乾杯したころ、遅れていたふたりが登場。場は彼らの登場で一気に盛り上がった。

 メンバーが5人で、昔懐かしいクラブの走行会のビデオ撮影をキャビンに設置された液晶TVモニターで見る。皆さん髪もフサフサしていた若かりし時代に戻った気分でワイワイガヤガヤ。ジープで走る自分の姿を見て目がウルウル・・・当時にタイムスリップしている感じだった。








キャンピングカーも四駆車に
ロデオを選んだ理由


キャンピングカーで遊ぶのに一番肝心なのは四駆であること。そんな理由からジープ乗りがキャンピングカーを選ぶと、このロデオになるという。

 ジープでトレラーを牽引すると全長が10mを越えてしまう。また、トレラーではキャンプ地まで乗ったまま走れない。
キャンピングカーは運転を交代しながら走り、キャビンではゆったりと休憩、ベットに寝ながら移動できるのも嬉しい。
四駆であれば安心して雪道や登山道へ、そして林道やダート道も走れる。車を止めればベースキャンプにもなる。

 私は大きなロデオが林道を走る姿が見たくて、福原氏に少し無茶なお願いをした。
「林道をいっしょに走りたいのですが・・・それもダートを」と言うと、広島県戸河内町の聖湖にある林道へと案内してもらった。
途中、ロデオの助手席に乗せてもらった。これが思ったより揺れが無い。運転席が低いせいなのか、前だけを見ると少し重い四駆車に乗っている感じ。
ついでにキャビンでの揺れも体験させてもらったが思ったより揺れがない。これなら少々の林道なら楽々走れる。

 キャンピングカーの一般的な使い方は、観光地巡りで、車を止めて寝るのは大きなオートキャンプ場や道の駅だ。しかしAWLの面々は違う。
温泉に入る時や登山する時には狭い林道も走り、目的地まで車で行く。だから四駆でなければ乗るのは怖いと言う。


遊びを長続きさせる秘訣!
行動するのは今が肝心!



 活動的な人がよく口にする言葉は「今が大切。歳を取って時間に余裕ができたら何かを始める?そんな考え方はナンセンスだ!」「今やりたいことをする。これが基本です」いうこと。私もそう思う。

 若いときに好きなことをやっていない人は、歳をとってからその時にどうやって遊べばいいのか解るはずがない。それを実行したAWLは、乗るジープから四駆のキャンピングカーに変っただけのことなのだ。

 「今後は、どうするのですか?」の問いには・・・。すぐに北海道へ長旅をしたいとの返事。また、車のエンジンを積み替えるため他の中古車を探しているとか。

 彼らにはまだまだやりたいことは、たくさんあるみたいだ。


AWLクラブの長い歴史を聞いて、長いスパンでの遊び方という感覚が、私の知恵袋に収まった。私なりに、「やはり今という時間を楽しもう」という結論に達した。

AWLの皆さんは「遊びは男の浪漫ヨ・・・」語ってくれた。






AWLのメンバー
助手席:代表者の福原氏、後部右:事務局の島内氏、運転席:田中氏、後部左:阿部氏、右横:弘中氏。







コック長は福原氏。

 ロディオに装備されているガスコンロを使い、フライパンを使うコック長の福原氏。
 今回4度の料理は全て福原氏のお手製。

 夜のメインディッシュは「チーズポテトプロバンス焼き」サブに「ビーフシチュウ」。手が込んでいるだけとても美味い。ポテトに絡みつく妙に蕩けるチーズの、少し焦げた部分のパリパリ感が最高。前日から煮込んでいたビーフシチューはパンに絡めて食す。ワイン・ビール付きで感無量!

 とっても美味しかったです!!




ヨコハマモーターセル実走式イスズロデオ(クラブ所有)

平成4年式、2800tターボ、乗者数7名、全長6m20(タイヤと後部付属無し)。
外装は、エアーカモフラパターンでウレタン塗装でデザインは島内氏。キャビンは元の内装材を剥がし、発砲ウレタンを吹きつけた。ベッドは2段。内装の改造は全部手作り。足周りも強化ショックアブソーバーとエアサスペンションに変更。水タンクは100L・排水タンクも120L、キャビン専用のサブ電源バッテリー120Aを装備。
運転席にはGPSを、キャビンにはDVDプレヤーに20インチ液晶テレビも装備。
平成10年に約200万円で購入し、130万円かけて改造した。


「旅好き、四駆乗りクラブと一緒に林道ツーリング」


私を誘ってください


本気で遊んでいる人たちに逢ってみると、生きている幸せを感じる。こんな面白い人生をもっと知りたい。趣味の中で四駆を道具として遊んでいる方、私にもこっそり教えて!


自己紹介のホームページ
My Maniac Homepege http://www.fuchu.or.jp/~okaura

お誘いメールアドレス(携帯電話からでもOKです)
電子メール magazin@oka39.com


※1

 
AWLクラブのホームページ  http://awl.chat-jp.com/

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト