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No23. 2004年10月号

2004年8月26日発売
 
一緒に走りませんか?

(第1弾) お邪魔ツーリング


「旅好き、四駆乗り」の同類同士


私は、特に林道ツーリングが好きだ。

森の木洩れ日や、
渓谷・渓流沿いを走るのが気持ちいい。

次のカーブを曲がると、予期せぬ景色がある。

感動の連続だ。

それが、ダートとなると、路面のデコボコがタイヤから
ハンドルを伝って体に振動する。

森と一体になる瞬間だ。

そういう四駆乗りは、私だけではないようだ。
四駆に乗る仲間と話をするとよく聞く。

そんな四駆愛好者にも、
自分だけのスタンスを持っている。

これが結構面白いのである。

自分だけが、"一般人""普通人"という。

果たして、本当にそうなのだろうか?


お邪魔ツーリングを決行した訳
面白いことにトライする人生って凄い


 昔から「ひとり旅」が好きで独りで遊ぶことが多かった。でも最近やたら同類(趣味が同じ)とお話をしたくてしょうがなくなった。1997年に情報発信としてネット上に開設したホームページ「MY Mniac Homepege ※1」も7年目になり、メール交換をする友達もできた。世間で言うメル友になり、何度か交換しているうちに、「行くよ」「来て」「逢って酒飲もう」「遊びにおいで」などと誘い誘われる仲になり、実際に何人も逢った。

 私を見るなり「楽しい人生をエンジョイしているね」とよく言われる。
しかし、話をしていると、人それぞれの拘り・プロセス・価値観を持ち、生活にも遊びにも理念を持ち、私も到底及ばない事を知らされる。少し大げさだが日本でも世界の有名人でもなく、世間一般に言う「普通の人」の人生に少し立ち入ってみたくなった。

 今回は、「旅好き」「四駆乗り」「家族」をテーマとし、岡山県のジープに乗る小野家族に、私とツーリングして人生を語ろうと誘ってみた。


一緒に走ったジムニーJA11とジープJ53。
ツーリング好きな方、次はぜひ私を呼んでください。ジムニーで逢いにいきますヨ。



ジープに乗り旅を楽しむ小野一家
面白い話が盛り沢山の家族

 小野家族とは、以前メール交換を何度かして、その後に別のミーティングで逢うことになり、話をして家族構成などだいたいのことは知っていた。結婚11年目の夫婦と子ども2人の家族4名。家族でジープに乗りツーリングしてテントでキャンプするという。奥様は子ずれで北海道ツーリングや東北ツーリングをしたことがあるとも聞かされていた。

 母親の麻紀さんとのツーリング中には乳飲み子であった長男・勝史(かつふみ)くんにも逢ってみたい。自分を家に残して旅に出したことを許した夫・義道さんの心境も聞いてみたかった。

 また、義道さんからは、「とっておきの地元マル秘林道を紹介するよ」、また「昼にはバーベキューしよう」とも誘いがあった。日程やツーリングコースや集合場所もメールで決めた。その文面にも、ポロポロと愉快な話が出て来て、逢う前から勝手に想像が膨らみ、気持ちは高まるのだった。
「へ〜え〜」と思う話に面白く展開するだろうか、とても楽しみだ・・・。


今回、同行ツーリングをして下さった小野家族。
メール交換からお付き合いが始まった。



地元ならではの林道を紹介
北海道と東北を走った勝史くんに聞く



 小野さんと待ち合わせ場所に、現れたのは麻紀さんが運転のジープ、助手席に旦那さま、後部座席に子ども2人がさっそうと登場だ。簡単に本日のスケジュルーを確認して出発。

 走る予定の林道は岡山県内の3本で、本谷林道(高梁市)・吹屋林道(成羽町)・大砂利谷林道(成羽町)。


国道や県道は旦那さんが、林道に入ると麻紀さんが運転する。これがメッポウ速い走りなのだ。


本谷林道の峠辺りで、登って来た道を眺める。



 1本目の本谷林道は私も2年前に一人で林道探索に来たことがあった。今回も走っていてすぐに思い出せず、峠から見下ろす風景で思い出したくらい入り口が解りづらい林道であった。私も地図とGPSでもかなり探した記憶があるが、小野さんは何度も来ているのか、入り口や分岐点も迷わず案内してもらった。

 林道に入り、カメラ撮影していると、勝史が私の周りをウロウロして落ち着かない様子。そうこうしていると、「おじちゃんの車に乗りたい!」とせがまれ、ジムニーの助手席を陣取られた。それから、最後に別れるまでジープに乗ることはなく、ナビゲーション兼、写真撮影の助手をやってくれた。
 林道に入ると、小さい背をぐんと伸ばして、周りの景色を見入っている様子。ガタガタする車に「酔わない?」と聞くと、走っていて楽しい、この揺れ具合はジープよりシナヤカだという。

 この勝史くんにどうしても聞きたいことがあった。1歳の時に麻紀さんとふたりで 「北海道子連れツーリング(18泊19日)」に行き、4歳の時は「東北兄弟子連れツーリング(30泊31日)」に出たと聞いていた。まさか勝史くんが北海道へ行きたく行ったわけでなく、覚えているのかどうか? 楽しかったかどうか?

 やはり、そんな記憶はあるはずがないが4歳ともなると、少し記憶が残っているようで、2度目の旅では知らないおじさんの飼い犬「ゲン」と友だちになり、そのおじさんのキャンピングカーに泊めてもらったのを覚えているという。また温泉は露天風呂が好きで普通の屋内ではイヤだという。

 でも、やはり子ども、今の話題は、サッカークラブに所属し、トップをやって1点入れたことがとても嬉しいと話して練習のことや試合のことを聞かされた。これで、小野家族に対する私の疑問の一つが解決できた。北海道と東北のジープの旅は、麻紀さんの旅好きが高じたものだった。

 今年は20数年ぶりの猛暑だ。とにかく暑い!。「何処か涼しい林道を走りたい」と私の要望を伝えると、2本目の吹屋林道で願いが叶った。

 吹屋林道は小さな渓流を交差しながら少しずつ登る。標高はさほどないので、松林を走る。最後は行き止まりで少し広い所がありそこで昼食にする予定だったが、途中で松が倒れ、車の行く手を阻んでいた。最初の1本目は担ぎ上げたものの、次の倒木には手がつけられない。林道のほぼ半分くらいで断念して、仕方なく少し引き戻した林道脇の木陰で昼食とした。そこでまたより詳しい語らいがあった。






吹屋林道の半分あたりで倒木に行き手を遮られた。
引き返す前にこんな遊びを・・・。




50日の無茶苦茶な子連れリーリング
それを許せる義道さんと家族の考え方


 小野家族は、夫婦が四駆にドップリ浸かっていて子どもに影響を与えている家族と想像していた。今回一緒にツーリングをしたかったのは、そんな四駆家族をみてみたかったのだ。夫婦の趣味や四駆の過去歴を知りたくて色々聞いてみた。

 義道さんが乗り継いだ車は、三菱ギャラン・トヨタスプリンターハッチバックに乗り、1988年に四駆に興味を持ってスズキジムニーSJ30、1990年に仲間とOKAYAMA4×4CLUB「四駆野営団※2」結成し、1992年に三菱JEEP J-53を購入し、林道を走り、クロカンを楽しみ、家を朝に出たら夜中まで帰ってこなかったほどだった。その頃に、麻紀さんと知り合ったそうだ。

 その後1995年にランクル40系に乗り、その後J−53を手放しトヨタランクルHZJ73を購入し、もう1台 J-53改:現在の白のJEEPと乗り継いできた。


大砂利谷林道は短いながらも感動する景色を見ることができる。


 麻紀さんは大学時代には、父親が反対する中、オートバイに熱中し、ツーリングにあけくれていたそうだ。自分でも、根暗で人見知りが激しく、知らない人と話すのが苦痛で、旅仲間が近くにいなかったのでひとり旅ばかりをしていたという。

 当時黒のJ−53に乗っていた義道さんと出会い、自分もそれに乗せてもらえる理由で逢っていたと言う。そのジープに憧れ、好意を持ち始めたのは意外にも麻紀さんだった。

 ひとり旅は気楽でいいが、話し相手がいないのは凄く辛かった。それまでひとりでも生きていけると思っていたが、主人の義道さんと出会って180度、考えが変わったそうだ。温厚な義道さんをみていると納得できる。

 小野さん夫婦は、「親が楽しいと、子どもたちも楽しいものだ」、「また、どこか珍しいものを見せてやろう」と考えが一致しているのに妙に納得できた。そして極めつけは、「優しいダンナがいるから安心して、出掛けられるですよねえ〜。帰る場所があるっていうのは幸せなことだ!?」と旅を経験して思うようになったのは麻紀さん。

北海道と東北の子連れ旅は周囲から批判的な声もかなり、「他人からみるとそうだろうなぁとは思った」と感じつつも、子どもにも体験をさせたことにはまったく引け目は感じていない。

 現在では、年に何度も家族でキャンプしながらツーリングができるのは、鍛え上げた根性があるからだと感じた。そんじょそこらのひ弱なものとは違う。今年の5月に四国に出かけ、大雨と大風に合い、テントが飛ばされた状況を勝史くんが楽しいそうに話してくれたのだ。

 普段は、夫が仕事・妻が家事をする普通の家族なのに、家族共通の遊びで盛り上がれるのは凄く羨ましい。それも気を張らず、笑い声のなかツーリングする姿はいい。私も小野家族の温かい家族愛を少しいただいたようだった。


昼食をとった吹屋林道は小さな渓流を交差する。木陰の中を走るので涼しい。



ツーリング歴は9年の勝史くん
弟の貴史くんは6年だが・・・


 昼食も2時間を過ぎ、次の3本目の林道へと行く。この林道は大砂利谷林道で、峠より下っていく。

 ナビの勝史が、走る道を見ながら何気なく、「おっちゃん、この先は、石がゴロゴロでてくるような気がするヨ」という。走った事があるの?と聞くと、「ないよ!。でもそんな気がするんよ」。少し走ると岩を砕いた岩盤の上のようなところがあるではないか?「オイオイ、恐るべし!」不思議な予知能力(霊感?)に驚いた。確かに、林道を走るとこういう景色にはよく出くわす。林道を走ることを赤ちゃんの時から経験しているせいで感じるのだろうか。

 今回、小学1年生の次男、貴史(よしふみ)くんの話題少ないのは、朝に出会ってからひと言も喋ってくれなかったから。麻紀さんは最初、「朝が早かったので眠いのだろう」と言っていたが、その後、「少し熱があるが、大丈夫だろう」と言う。

 そんな無口な状態が昼まで続いていた。昼食時にも食欲がなく、ひと口も肉を食べない。車から降りると両親にダッコしてもらっていた。ウ〜ンやっぱり子どもだな?1年生だもの。と思っていた。

 しかし、これが、「やっぱり、小野一家の強烈さをアピールし、恐るべしともいう強さ!」と認識させられたのは家に帰って体温を測ったら、39度を超える熱があったとメールで知らされた。道理でシンドかったはずだ。ずっと、ジープの後で寝ていたのと口を聞いてくれなかったのは熱のせいだった。

 そんな時でもカメラを向けると、寝ているような顔が、パット目を覚まし、ポーズを取ってくれた。
本当に、ぐったりしていたのですヨ。次の日は、元気に学校に行きましたと聞き安心。小さいながらも小野家族の立派な一員として見せられた感じだった。



夫婦で一緒に「日本一周」するのが夢
子には「種子島のロケット」を見せたい


 義道さんと麻紀さんが持つ夢は、20年後には「主人とふたりで「日本一周をゆっくり走る」こと。「そのために貯金の鬼・・・なのです」と言う。今年の夏にも、桃(岡山県の名産)の収穫時期には近くの農家で朝4時30分からアルバイトして、夢に向けてお金を貯めているそうです。
近々では、子どもたちに、どこか珍しいものを・・・と、種子島のロケット!を見せてやりたいと考えているそうです。

 ご主人の義道さんは、奥様を始め、四駆を通じて知り合った仲間たちとは、一生の付き合いとなるだろう。結構凹みやすいのだが四駆仲間に色々と救われたそうだ。

「私は四駆が好きだし、ツーリングもキャンプもクロカンも好きだ。その仲間たちには今時に無い人間臭さがあるのが好きだ」と言う。
 同行ツーリングして、ゆっくりとお話ができ、四駆や家族に対する小野的とも言える家訓を知ることができた。ジープに乗る家族と言うと、普通の乗用車に乗っている一般人から見れば、少し違う次元のように思われる。そうでしょう〜、この家族の四駆生活は、普通の人たちには、そう簡単に真似はできない。でも好きでやっていることだから、周囲からトヤカク言われる筋合いは無いのだ。
 他人に迷惑をかけなければ、自分達の家訓を守る考えた方の理屈があってもいいと思う。私も歳を取ってから「日本一周」を考えていたが、こんな小野夫婦を見て、今から行動(資金集め)を起こそうとも思った。

 ツーリングに同行して、四駆や旅や家族に対しての考え方や行動力が違いがわかった。やりたいことを通すなら周囲からの目を気にせず、信念を持ってやる。そうでないと好きなことはやり通せないこよを再確認した。私も「本気で遊ぶ人」や「実際にやっている人達」に共感持っている。四駆を通じて生活に趣味にエンジョイしている方と走ってみたい。遊びにトライするパワーを吸収したい。楽しい人生を送りたいのは私だけではないだろう。


 ツーリングを通して、読者の皆さんにも、こんなに楽しんでいる人たちが居ることを知って欲しい。もっと楽しんでいる人と語ってみたい。

 ツーリングを楽しんでいる方、私を誘ってください。

 林道ツーリングで、無料のマイナスイオンを浴びながらの森林浴はどうですか?
ご連絡(メール※3)をお待ちしております。



※1  MY Mniac Homepege
http://www.fuchu.or.jp/~okamura

※2  OKAYAMA4×4CLUB「四駆野営団」
http://homepage3.nifty.com/yonku-yaeidan/

※3  お誘いメールアドレス
magazine@oka39.com





従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。

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2002/01/03よりカウト