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No22.
 2004年4月号

2004年2月26日発売

開けてびっくり錆びだらけ!

ハブ&ナックル部を徹底修理


前回のエリアレポーター通信「愛車JA11乗り換えレポート」で、愛車JA11−3型から
加速フィリングの良いJA11−5型に乗り換えたことをお伝えした
今回は、新たなJA11−5型に乗るために行った整備や修理のレポータオだ
私も、JA11が2台目となって、壊れやすいところ、弱点が分かってきた
きっと、読者のみなさんも、同じところで苦労されているのではないだろうか




ナックルまわりの油漏れは
ジムニーシリーズ共通の弱点

 加速の良さが気に入って、愛車ジムニーJA11−3型(以下3型)を、同じジムニーJA11−5型(以下5型)に交換したが、実はこの5型、ナックル周りに油漏れがあり、修理が必要なことは交換前から分かっていた。
 この症状は、私のジムニーLJ20にも、以前の愛車3型にも、仲間のジムニーにも発生しており、決して珍しいものではない。ジムニーに乗る以上、避けて通れない「整備」だと受け止めており、この5型もナックル部さえ修理すればOKだろうと思っていた。
 というわけで、ナックル周りの修理。クルマ屋さんが作業しているのを、後からカメラを持って「口は出しても手は出さず」で見守ることにした。この作業は、本誌の1月号スタッフカーレーポート(※)そのままだった。どうしてオイルがナックルから漏れるのか?と聞かれても、それは「このオイルシルールが駄目だからだろう」「デフオイルがナックルなどのベアリングのグリスと混ざってトロトロ状態になった」と言えるくらい私は4×4MAGAZINを読んでいたのだ。
 分解していくとオイルシールの交換だけでいいと思っていたのだが、ハブの前面にも油の後があり、ハブを分解することになった。なんとビックリ。キングピンベアリングからナックルパットまでが錆びだらけ。「こりゃ〜大変じゃ」。カメラのファインダーに見えるパーツ類が涙でボケて見えるほど泣けてきた。さらに、右のハブだけと思っていたのが、左も開けてみると同じく錆びだらけ。予想外の修理箇所が次々と見つかった。やはりシャフトオイルシールの磨耗でデフオイルがナックル部に入り、中のグリスを溶かしてしまったのだ。同様にハブも、オイルシールの磨耗でグリスが溶け出し、水分が入って錆びたのだろう。


右のダンパーブラッケトが・・・
左側はもっと最悪な状態


 ハブやナックルを分解していると、ダンパーの取り付け位置がよく見える。ふと見ると、下側のダンパーブラケットが曲がっているではないか! なぜここが曲がるの?とジムニー仲間に聞くと、「ウン、しょうがないよ。俺は予備として外して持っているよ」とのこと。な〜だ、ここも壊れるのか。結局ブラケットは無料でもらえることになった。
 普通の使い方では考えられない。きょっとしてこの車はクロカンしていたのかな?もしや反対側は・・・。しかし、左のダンパーブラケットは大丈夫だった。
 ところが、もっと大きな問題が見つかった。上側のダンパーブラケットが、修理してあるではないか! そこは無理やり溶接で繋ぎ合わせた状態だった。「これは大変だ!」さっそく新品と交換しようとパーツカタログを見たが、元からシャーシに溶接して留めてある。これはパーツとして取り寄せられない。
 再度、ダンパーブラッケトを持っていたジムニー仲間に問い合わせたら、その部分もシャーシから切断して持っているという。もちろん、無料で・・・。有難い!
 しかし、フロントの足周りにこれほどのダメージがあるとは思わなかった。でも、後戻りはできない。覚悟を決め、5型を3型以上に、完璧に修理・調整することに決めた。


こうなったらやるしかない
5型を徹底的に修理&整備


 そんなわけで、結局以下の6項目の修理・整備を行った。
@ダンパー交換及び強化ブッシュへの交換
Aタイミングベルト交換
Bエキゾートマニーホールドの点検
Cシリンダーヘッドカバーの周りのオイル漏れの修理
D各オイルの交換。エンジンオイル・オイルエレメント・トランスファーオイル・フロントデフオイル・リヤデフオイルの交換
Eダンパーブラケットの溶接が必要な為、板金屋さんに出しついでに、ボディーのヘコミやキズも板金して塗装してもらった。



「自分仕様」にカスタマイズ
カメラ撮影車として見事復活

 仕上げは、以前の3型に取り付けてあったパーツの移植&改造。まず、ルーフキャリアを装着し、室内は足を伸ばして寝れるようにベッドをカスタマイズ。撮影機材も荷崩れしないよう、ゴムバンドで何箇所も固定できるようにした。後部のサイドウィンウも機材が当たって割れないように、純正のバーを1本から2本に増やした。あとは、カセットデッキ、GPS,DC‐ACコンバーター、無線機を取り付け、私のツーリング&カメラ撮影車として見事復活を遂げた。



思わぬ出費となったが
満足のいく仕上がりとなった

今回は、思わぬ修理箇所が発覚する度に、「エッ、またか・・・」の気の重い状態が続いた。予算的にも車検と修理代で10〜12万円ほどを予定していたが、修理している間に「ついでに・・・お願い・・」とのお願いを何度したことか。その度に修理代が膨れあがった。
 でもハブを中心に足まわりのオイル漏れもまったく心配しなくて良くなった。シリンダーヘッドのオイル漏れも心配なくなり、ベルト類、ウォーターポンプも新品になり、安心して走れるようになった。
 また、強化ブッシュへの交換も、かなり効果的だった。以前、3型に乗っている時は、ヘタッたブッシュを新品に交換することで、好感触が得られたという経験があったが、今回は、ウレタン製の強化ブッシュ(タニグチ製)に交換してみた。すると、足まわりが少し固めに仕上がって高速走行への安心感が増した。クロカンユースではなく、ツーリングメインの私には、こちらのほうが都合がいいのだ。同じ理由で「クロカン時にストロークを増す」リフトアップサスペンション等に交換せず、リーフは純正のままでよしとしている。
 とにかく、これらの整備・改造で、加速フィーリングの良いエンジンの威力をフルに発揮できるようになったと思う。
 直ったばかりで、次の修理の話はしたくないのだが、3型の修理を思い出すと、後は、クラッチとブレーキ関係、ラジエターの水漏れ、シフトノブのピン折れと続くだろう。丈夫なジムニーとは言え使い続けていれば必ず各部がヘタってくる。初度登録から10年か走行距離6万Kmぐらいが、「各部チェックと修理」が必要な時期と心得ているのが、私だけだろうか?




(※1)本誌2004年1月号の「サンマル365日」に、ジムニーSJ30のナックル周りの修理の様子が詳しく掲載されている。
左がJA11−5型、右がJA11−3型


リフトアップしたついでに、シャーシー塗料を塗る


写真のように、ナックル部とハブまわりも赤茶けて錆びだらけになっていた。グリスが溶け出し、水が混入していた証拠。このまま走っていれば、ベアリングが焼け付いて大事故にも繋がりかねなっただろう。




ナックル部のシールも全て新しいものに交換んした
ナックル部とハブを構成していたパーツ。グリスが満たされ、常に潤滑されていなけらばならなかった部分が、錆びついていた。

ブラッケット交換&溶接。ダンパーはAPIOのものに交換した
こちらがダンパーブラケットが、強引に修理されていた

タイミングベルトは、交換距離には達していないが、新品にしておいた
エンジンファンベルトとエアコンベルトも交換。
その他、ウォーターポンプ、テンショナーベアリングも交換した

エキゾートマニホールドは、3型では亀裂が入り、吹かす度にパスパスという不快な音を発生させていたが、今回は大丈夫。3型と違い、エキマニは青錆び色した綺麗な焼けかたをしていた
ちなみに、3型のエキマニ。
赤く変色し、亀裂が入っていた

3型のエキマニを交換した時の新品のエキマニ

強化ブッシュとダンパー
前後のシャックルのブッシュは、高速走行時のふらつきを低減させ、シャープな走りを実現させるというウレタンブッシュ(タニグチ製)に決めた。足回りが少し固めに仕上がった


シリンダーヘッドをとるとエンジンの中が見える

シリンダーヘッドカバーの周りのオイル漏れは、4本のネジを均等に締め付けると直る。しかし、よく見ると、その4本のうち1個所が悪く小さな傷が割れがあるようだ。
新品を取り寄せてみると、ヘッドカバーにある「TURBO660」の文字は消えていた

以前の愛車の装備を移植した。
ウッドステアリング、カーナビ、カセットデッキ、DC−ACコンバーターなど。これらの作業は自分でおこなった
ブラケットの溶接に出したついでに、板金塗装もした

太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト