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No21. 2004年3月号

2004年1月26日発売

加速フィーリングのいい

JA11-5型を手に入れた



今まで撮影用車両として活躍してきた白いジムニーJA11−3型からJA11−5型に乗り換えることにした。
別に故障した訳ではなく、エンジンの良く回るジムニーが見つかったのだ。
乗り換えに伴って、整備・修理費用も結構かかってしまったのだが、脚まわりのセッティングも決まり、かなり満足の行く仕上がりとなった。




パーツ取り用のJA11を発見
エンジンの調子がすこぶるいい!


以前から愛車JA11のエンジンの予備あ欲しくて探していたのだが、昨年12月にいい部品取りの車が見つかった。いつもお世話になっている車屋さんから「平成7年式のJA11ジムニーがあるヨ」電話があったのだ。「クルマの前面を修理した跡があるけど、肝心のエンジンは生きている。とりあえず、部品取り車として店に仕入れる予定」のこと。その「部品取り」ジムニーは自走可能だったので、仮ナンバーを借り、車屋さんと私とふたりで引き取りに行き、乗って帰ることになった。

運転してみると、すこぶる調子がいい。年式が新しいのと走行距離が少なく(6万km)からだろうか、エンジン音も軽く、絶好調。ターボの効きも良く、「エッツ、こんなに加速するの・・・」と自分のJA11との違いに驚いてしまった。そこで、ちょっと広い場所で急発進や、急停車して少し過激な走行テストを実施。ハンドリングも良く、走りのキレも良く、ちゃんと走るではないか!
部品取り用としては少し高い買い物だったのだが、書類もついているし、外見も綺麗。部品取りにはもったいない・・・。

 というわけで、その時点で部品取り車の持ち主と交渉。今まで乗っていた白いジムニーJA11〜3型(以降白3型)と交換してもらうことになった。ただし、白3型に取付りつけてきたタイヤやショックやダンパー、ルーフキャリヤ、GPSなどをは取り外し、新しく入手するスキューバーメタリックのJA11〜5型(以降紺5型)に取り付けることにした。
 白3型は不具合や気になるところを見つけるたびに修理、整備しており、現状では完調。車検も1年5カ月も残っていたが、ここでお別れすることになった。今では本当に有難う。そしてお疲れさま。

 さあ、紺5型はすぐに車検&修理だ。実はここから先3週間の整備中に、あちらこちらに修理個所の整備中に、あちこちらに修理個所が見つかった。車屋さんからの電話で「どこどこが、曲がっている、割れている、変形している、折れそうだ」と次々と連絡が入ったのだ。この様子は、次回のエリアレポーター通信「修理&整備編JA11の弱点はここだ!」で詳しく解説しよう。今回は、エンジンの調子のいいクルマに乗れた喜びをお伝えしたい。



以前の白3型と同様に
紺5型をカメラ撮影車に改造

 2003年12月28日に紺5型の修理・整備・板金塗装が済み、我が家に届いた。同じ日に今まで乗っていた白3型に搭載されていた手作りベッドやGPSやカーステレオ、無線機、ターボタイマーなど車内の小物類を外した。でも、さすがに年末(仕事納めが31日だった)、新しいジムニーに積み替える時間などなく、まして試乗している暇など全くない。とりあえず12月29日に任意保険の車両変更を済ませ、完全に乗れるようにしておいた。
 年明けて2004年元旦、やはり乗りたくてしかたなく、「初日の出」を見に20Km離れた瀬戸内海(福山市鞆町)へ走り始め。3日には、白3型から外した手作りベッドを載せ換え、車内はやっと以前のように使い慣れた姿に戻った。


紺5型で軽いテスト走行
雪上で鍋焼きうどんを食す

 4日の朝に冷蔵庫から手当たり次第に食物を袋に入れ、家を出発。私の場合、テスト走行と言えばもう、いつもの「道後山林道」に決まっている。家から約70Kmで林道の入り口に到着。景色は雪で真っ白になっている。4kmほど先のダート路面からは轍もなく誰も走っていない。
 ここで四駆にシフトして、アクセルを踏む。しかし、なんと10mと行かないうちにジムニーは進めなくなってしまった。すかさずローギヤに入れて前進しよとするが、動かない。車から降りて見てみると、ここ数日で積もった新雪ではない。雪が固く深さが50cmもある。これではスタッドレスでは歯が立たない。デフやタンクガードが抵抗になり、前進できないのだ。
 「マイッタな〜あ・・・」もちろんチェンーも持っているが、このはどうにもならないだろう。ましてやひとりである。計画ではさらに4km先、渓流の横で昼飯を作って食べる予定だったが、やむなく断念。
少し戻って広い場所を探しそこで食べることにした。気温は氷点下2度程度だが、屋外での食事に決定だ。正月とあって、家の冷蔵庫には餅や数の子などがあったのでメニューは豊富。まずベースとなる「肉うどん」に餅を入れ「力ちうどん」とし、フライパンで焼いた目玉焼きも乗せて「月見うどん」にした。焼いたハムや「数の子」も添え、正月気分満点。はみかんとヨーグルトのデザートもあり、豪勢な昼飯となった。雪がチラチラ降る中、雰囲気は最高。四駆車であるがゆえに人気の無い所まで移動でき、ゆったりした気持ちになりながら自然と一体なる。やっぱり「やめられんなあ〜」。年の初めから幸せ一杯!!


肝心な走行テストの感想は?
乗り換えは大正解だった!

 今回、JA11を乗り継いだことがきっかけで、JA11の1型から5型までの違いを調べてみた。
 すると、私が新たに入手したエンジンが元気な訳(加速の違い)は、数字にも表れていた。最高出力が4型までの58psから64psに上がっているのだ。2速→3速→4速と加速するときは身体で感じるほどわかる。高速道路では、60km/hから100km/hまでの加速が3型と5型ではかなり違った。
 また、5速は走行音が静かだと感じたし、カーステレオの音楽も良く聞こえたのだが、それは遮音材を追加されたことに加えて、内装がフルトリムされたからだということもわかった。



ブッシュをウレタンにして
ハンドリングを変えてみた

 以前、白3型の時にシャックルの純正ゴムブッシュを硬めのものに交換して、高速走行の違いを実感していたので、今回はウレタンブッシュのすこし硬めの強化ブッシュをつけてみた。この効果はすぐに体感できた。高速走行中にフラツキがなく、直線性に優れた走りになった。ワイディングでは、コーナーを出時に車体がスート付いてくる感覚が、純正ブッシュと明らかに違う。ダートでも、コーナーから出て直進に戻る時に、車体が立ち直るのが早くなっている。強化ブッシュの使用は予想以上にクルマを安定させてくれた。
私の場合、脚まわりのセッティングのキーワードは「ロングルーリング」。トライアルやモーグル走行を行うわけではないので、ストロークやしなやかさは必要ない。逆に、屋根上での写真撮影や、取材での遠乗りを重視した結果、全体的に少し硬めになるようにダンパーやブッシュを選んだが、それがハンドリングにも好影響を与えたようだ。脚まわりのカスタマイズも合わせ、今回の乗り換えは大満足となった。
 さて、次号では次々と見つかった故障個所の修理や整備の模様を詳しくお伝えしましょう。お楽しみに!




JA11は1型から5型まである

JA11は1990年3月に軽自動車の規格変更(排気量を550ccから660ccに拡大)にともなって登場し、1995年11月のJA12/22の発売まで続いたモデル。前身のJA71に搭載されていたF5AエンジンからF6Aに変更し、全車660ccのインタークーラーターボエンジンとなった。サスペンションは伝統の前後リーフリジットでJA11が最後となった。ちなみに、以下でご紹介する「型」は製造時期によって仕様の異なるモデルを、スズキが便宜的に呼び分けているもの、マニアが付けた呼び名ではない。

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●1型: 1990年3月〜1991年6月 [車体番号100001〜]
 ・F6Aシングルカムインタークーラー付きターボエンジンの出力は55PS、最大トルク8,7kgm。
 ・インジケーターは酸化触媒装置が付いてメーター内に排気温インジケーターが追加


 ※限定車  1990年11月 ワイルドウインド
   ・専用ボディーカラーを採用エアコン、メッキホイル、ルーフキャリアを標準装備


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●2型: 1991年6月〜1992年6月 [車体番号150001〜]
 ・最高出力58ps、最大トルク8.kgm。平成2年度排ガス規制対応により酸化触媒を装備。
 ・フロントグリルがSマークとなる。

 ・ステアリングは4本から3本スポークへ変更し、「TURBO」ロゴは健在。


 ※限定車  1991年11月 ワイルドウインドリミテッド 限定2400台
   ・ジムニー初のパワーステアリングを装備した。
   ・アルミホイールや専用シート、スキーアタッチメント付きルーフキャリアを標準装備。


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●3型: 1992年7月〜1994年4月 [車体番号200001〜]
 ・パワーステアリングをバンHCとパノラミックルーフECに標準装備。
 ・キー忘れ防止装置を追加。
 ・サイドミラーがドアからフェンダーに移動しサイドアンダーミラーが付いた。
 ・タコメーターが6500回転から7000回転へのレッドゾーンと変更になった。
 ・シリンダーヘッドが赤ヘッドだったが、シルバーに変更


 ※限定車 1992年7月 スコットリミテッド
   ・ジムニー誕生から23年間で累計30万台達成記念で発売された。
  ・ブッラクボディの限定車。


 ※限定車 1992年11月 ワイルドウインドリミテッド 限定3500台
  ・モモ製ステアリングを装備。
 
 
※限定車 1993年11月 ワイルドウインドリミテッド  限定5000台
  ・前年の限定車からエアコンが温暖化対策によりHFC134a対応の新冷媒となった。


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●4型: 1994年4月〜1995年2月 [車体番号280001〜]
 ・全車に室内難燃化材の仕様。

 ・シートベルト未装着警告灯を装備
 ・ターボブースを知らせるターボインジケーターランプが廃止になりシートベルト未装着警告灯に変更された。

 ・オドメーターは10万キロまでと1桁増えた。
 ・サンバイザーも黒色から白色に変更。


※限定車 1994年6月 サマーウインドリミテッド 限定5000台
  ・サターンブラックとラジアンレッドマイカの2色をラインアップ。
  ・シンプルなベースキャリアを装備した。
  ・フォグランプが標準装備でなくなった。

※限定車 1994年11月 ワイルドウインドリミテッド 限定5000台
  ・サターンブラックとマーキュリーシルバーの2色をラインアップ。


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●5型: 1995年2月〜1995年11月 [車体番号320001〜]
 ・ランドベンチャーと呼ばれる特別仕様車が発売されている。
 ・エンジン:64ps、10
.0kg-mへ性能向上。

 ・パジェロミニにライバル意識を対向させた仕様でありながら8ケ月の短命だった。

 ・ちなみに自車は322689である。


(参考注意)
説明は雑誌などをまとめたもの。
細かい変更部分は「型」の変更の前後に少しずれている場合もあるといわれている。
もちろん限定車発売の時期にも、各グレード車も発売されている。









2004年元旦、紺5型のジムニーで瀬戸内海まで走り初め。20km離れた福山市鞆町へ「初日の出」を見に行った。


1月4日には、鳥取県と広島県の県境にある「道後山林道」まで試走した。
気温は氷点下だったが、食事は野外。
あったいかいうどんを食べた。




   

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト