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No19. 2003年12月号

2003年10月26日発売


レストアしたJ7と 十方山林道を走る


秋の風、澄み渡る青色の空。オープンには最適の季節だ。
秋の季節を感じる温度を体感できるのは、乗った者にしかわからないだろうな。
今回林道を走るのは、LJ20(1972年式)31歳、J7(1955年式)48歳で、足して79歳となる。
果たして、県下でもハードなダートと言われる十方山林道(じゅっぽうざんりんどう)を走り、無事、家に辿り着くことができるのだろうか?



見事にレストアされたジープJ7
  それも自分でレストアした


  今年の2月だったか、ジープオーナーの永久恒治さんの家に寄ってみると、バラバラにされたシャーシが転がっていた。ボディーからジープと分かるが年代はわからない。聞くと、三菱ジープのJ7という。車庫にあるもう一台のジープJ3とは違い、左ハンドルでとても古そうに見える。バラバラにしただけでも信じられないが、板金・溶接などを施して、走れるようにするというから驚いた。なにせ、後部の床が腐って形がないところもある。新品の部品だってあるはずがない。プロに任せるなら解るが、自分で修理して走るようになるのだろうか?。
 春が過ぎ、夏が過ぎた9月。そのJ7が、公道を走って私の家まで来た。もちろん車検を取ってナンバーが付いている。話によると、塗装だけはプロに任せたが組み立てまで、自分で完成させたという。「すげ〜(備後弁)、走るんじゃ〜あ」。綺麗にレストアされたジープは、まったく古く見えない。私のジムニーLJ20と比べると、どう見ても私のほうが古く見えるのはなぜだろうか?
いっしょに走ろうという提案には、もちろん反対の言葉はなかった。


人間の調子はOKだがJ7の機嫌が・・・
  古いジープは押して走るそうだ


林道を走ろうと決めたその日までに10日ほどあった。走るルートは、広島県の西部の山口県に近い林道で入り口までが150Kmほどある。まさか、高速道路を走ろうという計画は無謀だ。特に私のLJ20は360ccで、高速道路でも「低速でしかない。林道までの道のりは数度走ったことがあるが、かなり強行軍となるのは間違いない。
 永久氏から電話があった。曰く「交差点の真ん中でエンジンが掛からなくなった・・・。」車屋さんを呼んで直したという。おいおい、大丈夫かい?それを知人に見られていて、後から「あのジープは押しながら走るの?」と笑い話にされたそうだ。
 次の電話では、「オイルがエンジンルームの中で吹いている・・・。」これが、出かける4日前のこと。
これから徹夜で直す。それでも駄目なら、オーバーホールしたエンジンと積み替えるという。現在のエンジンとは別のものがあるそうだ。最後には、メールで「人間の準備はできたが、J7の機嫌がすこぶる悪い。直ったら、電話する・・・。」
 最終的には、出かける前日に連絡が入った。かなり不安はある何しろこのふたり、過去にテスト走行(J3とLJ20)に出かけて、まともに、目的地に着いたことがないのだ。


広島県の東に狸、西に鹿?
  助っ人は女性ジーパーしかこさん


 私が勝ってに思い込んでいるのだが、広島県の西部を通過する場合は、「くのいちジーパー」の「しかこさん(※)」に通行許可を頂いておかないと、後から「どうして教えなかった!」と言われるに違い。メール送るとすかさず、「通過を許可する! 伴走で応援すると・・・。」との返事。行きのコースでは、車が停まったら電話すれば助けにきてくれるという。走行中にトラブッテも牽引してもらえるのは大いに心強い。何せJ7に停まれても、360ccのジムニーでは助けようがない。
 車の調子を目・耳の体全部で探りながら林道入り口のスキー場・駐車場まで5時間かけて走った。2台ともすこぶる調子が良く、稲刈りをする風景をバックに快適に走った。夜はテントを張り、ふたりでジープやジムニーの話を酒のつまみにして、綺麗な夜空の星をみながら酒盛りをした。
※「しかこさん」について
同誌2000年6月号のウッドランドトレイルで同行取材をした方。助手席は夫です。


●長いダート路「十方山林道」
  旧車では苦しい凸凹ダートコース


 私は、この林道は4回目で、過去3回のうち2度、積雪で通り抜けることができなかった。今回は雪の心配はないが、車のトラブルが心配。しかし、走る準備をしていると、しかこさんより、あと少しで合流できると連絡が入った。
 林道の走行距離は、14kmとも16kmとも言われている。さ〜あ、走るぞ。コースは戸河内側から吉和村に抜ける。林道に入ってからは、水越峠まで、ゆっくりとした登りで、路面は石ころが飛び出しデコボコ状態。この林道をホームグランドにしている「しかこさん」に聞くと、「いつもより少しガタガタしているかな?」という程度らしい。しかし、旧車は、縦や横の振動でどこかのパーツが外れて落ちないかと心配。ゴツンと言えば停まってみて、ギシと音がすれば走行速度を落とし、異様な臭いがすればボンネットをあけてみる。
 何を好のんで、古い車で走っているのだろうと少し後悔した。天井の無い車で走ると、自分の頭上は空だけでなく、大きな木々の葉が覆い被さって、その木漏れ日は清々しい。大きな葉が太陽の逆光ですかして見ることができる。やはり林道はいい。それもダート道。歩く早さでの走行はオープンに限る。風景を楽しむというよりは、森の空気を体に吸収しながら自然をおもいっきり感じることができる。
 デコボコがいいのか?旧車で走るのがいいのか?林道そのものもがいいのか?
いずれにしても、幸せな時間を過ごせる。


●昼食は川辺で食べ昼寝をする
  林道に5時も間滞在したのだ


 林道の中間あたりに車を駐車できるほどのスペースがあったので、近くの川辺で昼食をとることにした。綺麗な渓流の水で顔を洗い流す。10ケ月ぶりのしかこさんとの再会を喜びながら、ジープや林道の談話で盛り上がる。
 腹も太り、横になると、いつの間にか寝ていた。気持ちがいい〜と感じる暇もなかった。
こういう時間がいい。何も苦労や苦痛も感じる暇がないくらい、ス〜っと時を忘れることができることがいい。こんな体験ができるのも林道をゆっくりオープンで走ることができるからだろう。心の洗濯とでもいうのかな?でも私に悩み事はあったかな?
 気がつくと川辺で過ごした時間は3時間を越えていた。久しぶりゆっくりできた。でもそろそろ動かないと本日中に家に帰れなくなる。
 結局、林道15kmを5時間かけて通過したことになった。実際に走った時間は2時間。このゆったり速度は、旧車と人間と自然によく合う(少なくとも私には)。秋を前に最後の緑を満喫できたことに「自然よ、有難う!」と言いたい。
 また、伴走してくださった、しかこさん夫婦にも感謝。無事に故障なく走れた。今度、広島県東部を通過する際にh、連絡をいただくことを約束した。LJ20とJ7の2台は、エンジンの調子も絶好調となり、国道と県道を掛け、夕暮れの夕闇を帰った。
トラブルもなく、無事に家に着いたのは言うまでもない。



十方山林道
  

清々しい空気と木洩れ日を直接感じながら走るのがオープン車での林道ツーリングの醍醐味。
ああ〜、気持ち良い。

メーター類がインパネに直付けとなるのがJ7の特徴だとか。
ハンドブレーキも独特。
昼食後、いつの間にか寝てしまった。
心の洗濯・・・。


正式な名称はCJ3B−J7、元消防車仕様。年式は1955年、全部で293台製造されたうちの35台目らしい。エンジンは70PSのJH4。特徴は、テールランプがひとつしかなく、ウインカーがアポロ式、ウインカースイッチがパネルに付いているのとメーター類がパネル直付け。フロントガラスの下の導風口(ベンチレーター)がない・・・といったところ。







レストアしたJ7の持ち主、永久恒治氏。
他にJ3Rも持っているジーパー。

(((おまけ)))

従来通りのベッド長を確保しつつ、荷物の出し入れを車外に出ずに行うために、ベッドの天板を半分にし、運転席の後ろ側のベッドを取り去った。 走行中にう荷物の転落を防ぐため、ベッド後部にパイプを装着。ボデイーとパイプの間にゴムを渡して荷物を縛る。 左右に渡す梁は、運転席側を取り去り、後部は残した。前部は梁の位置を下げ、L金具で補強。 ゴムを止めるボディー側は、窓の保護棒を利用。廃品利用で2本に増設し、保護効果も高まった。 向かって左下部に救急道具(牽引ロープ、ブースターケーブル、予備燃料等)や食事道具、ランプ類などを収める。 ベッドを組み立てたまま走行できるようになった。この状態で3段の棚が出来たことになり、ベッド上にパソコンや地図、カメラのレンズなどを置いて走行できる。 ベッド上に置いた荷物が走行中に滑って運転側に落ちるのを防ぐため、幅木を装着。些細なことだが、その効果は絶大だった。 太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。 エイアレポーターになり、写真を趣味で始めてから揃えたカメラ機材(別に300mmがあります)。デジカメは撮影の場所と時間をメモするのに使います。 <走行時は2段の棚>上にはカメラ機材とクーラーボックスや着替えなどを載せ、下には非常時の道具とキャンプ用品を載せる。 <アイデア窓も用意>ベッド板の後方部(上)は車の中から下の荷物を取り出す為の窓。右にはベッドの延長板が格納されている。 <ベッド最大利用時>カメラ機材は運転席に載せ、クーラーボックスと衣類を入れたボックスを車外に置けば子供計2人就寝可能。 ベッドの下に収めている工具一式。これに、カメラ機材、キャンプグッズが私の三種の神器。 補助フレームにもひと工夫。はめ込み式でネジを使わず縦・横のズレをしっかり固定できる。 <これがひとり旅の時のスタイル>ひとりで旅行する場合はこのままでもOK。上の写真のアイデア窓を使えば車外へ出ずとも棚下の雨具や長靴が取り出せる。降雨時にも便利志極。 助手席を外さずにベッドを造るために色々考えたが、助手席をフルリクライングさせ、その上にベッド板を置く方法を採った。 倒した助手席の上にベッド延長用の骨組みを組む。この骨組みはスライドで収納可能。下に伸びる脚もすぐに分解可能だ。 <コンパネを使ってキャンピングベッドを自作>ジムニーをカメラ機材、車の工具、キャンプ用品一式を載せる「移動の宿」にしたい。というわけで、棚兼キャンピングベッドを自作した。設計から完成まで1日。材消費は5000円だった。


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2002/01/03よりカウト