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No15. 2003年7月号

2003年5月26日発売


太陽を追いかけろ!四国撮影ツーリング



毎年GWは、私の入っているクラブ「狸組」のみんなでツーリングするのが恒例。
今回は四国の佐田岬が目標ポイント。
「趣味のカメラ撮影」を思う存分楽しもうと決めていましたが・・・。



   5月2日   
綺麗な夕陽に狸組より遅れをとる

 GW直前から天気予報をチェックしていて、連休は日本列島が高気圧の中にスッポリ入っていると読んでいた。今回のツーリングは毎日晴れるゾ!風景の撮影旅行にはうってつけ。ようし、夕陽と朝陽を撮ろう!。

 皆との待ち合わせ場所は「しまなみ海道」の因島大橋を渡ったパーキング、集合は午後7時である。私は先回りして、しまなみ海道の愛媛県・大島の亀老山に午後5時30分に着いた。
 狙うは来島海峡大橋に沈む夕陽。以前のトライでは見ることができず、2度目の挑戦となる。隣には、私同様、夕日を狙うアマチュアカメラマンが数人いた。思った通り海が紅く染まり来島海峡大橋に、太陽がかかりゆっくりと沈み始めた。「綺麗だ!」隣りにいた人が小さな声で囁いた。ファインダー越しの風景は絶景だ。デジカメとスチールカメラ、一眼レフ2台並べ、時間と共に刻々と変わる景色を切り取っていく。

 おっと忘れていた。集合した6台と7人も四国に向けスタートしたと携帯に電話があり、そのうち眼下の来島海峡大橋を渡り始めたと無線連絡が入った。海が空が一刻と変化している最高の時を逃がす訳にいかない。辺りが暗くなり、橋にイルミネーションが点灯して、これまた綺麗。今回は撮影の旅として最高のスタートを切った。その後、合流できたのは松山市の西側・伊予市のシーサイド公園の駐車場で、午後10時過ぎだった。佐田岬半島の付け根辺りまで約50km手前付近。



   5月3日   
佐田岬への道案内役はJA11

 クラブツーリングの行き先の調査はあまりしないほうで、特に今回、自分の中では写真撮影が主な目的。皆とつかず離れず走りながら、撮りたいものを撮って回りたい・・・。
 一応、今回のツーリングは、参加メンバー全員が足を踏み入れたことのない、四国の「佐田岬」と決まっていた。しかし、「道順は?」と聞いてみたら、「佐田岬ってどんな所だろう〜」「両側に海が見えながら走るのだろか?」。

 どうやらルートは誰も考えていないらしい。すると、私が本誌のツーリング取材(※)で行ったことがあるのを知ってか、私を向いて、「案内して!」のひと言。多数決である。ウ〜ン・・・。
 よし、どうせなら前回に走っていない道を通って、今後の写真撮影のポイント探しをしよう。愛車JA11に搭載しているGPSにチェックポイントを落とした。もちろん佐田岬で夕陽撮影が間に合うようにルート設定をし、途中で海産物を売っている場所にも立ち寄ることも忘れない。

 佐田岬の先端を目指し、林道を2本(牛ノ峯林道・双海町)(峠磯崎林道・保内町)、海沿いの県道を約2時間以上走り、佐田岬の長さを身を持って体験した。夕食用に、伊勢海老とサザエもゲットできたのも嬉しい限りだった。

 予定通りの時間に岬にも到着し、宿泊地は岬の駐車場に決定。もちろんキャンプである。岬の展望台より九州に沈む夕陽を撮影して帰ってきたら、炭をが起こされ宴会はすでに始まっていた。



   5月4日   
GPSと地図を頼りに先頭を走る

さあ、今日のスケジュールは?と聞くが、メンバー誰も考えてないようだ。「エッ、何処へ行くの?」・・・其のうち「何処へ行きたいの?」と聞き始めている自分に気がついた。同時に「温泉に浸かりたい!」「もちろん、林道もあるよね?」と注文も聞こえてきた。どうやら、この日のルートも私に託されているようだ・・・。

 では、しばしの時間をいただき、GPSと地図でコースを決定。狸組が末走行の林道を走り、温泉に浸かり、山道をクネクネと走って、最終目的地のキャンプ地は「四国カルスト台地」。海抜0mから標高1300mの旅をセットした。メンバーに、コースを説明すると、誰も聞く耳もたず、車に乗り込み待っている始末。あれ・・れれ!

 さ〜あ、付いて来いと言ったもののスタートとして10分もしないうち、半島が朝靄に隠れる岬が見え、「ご免、ちょっと写真を撮っていくから、先に行っていて!」「そのまま佐田岬メロディーラインを走り八幡浜市へ向かって!」と集団から離脱してしまった。
 山から靄が風に流され、海面上で浮遊する雲は、神秘的な世界で他国の景色を見ているよう。ひとり人旅なら、ここで自然の変化を待ち、1時間でも2時間でも過ごしただろう。そうは言ってもメンバーを余り待たす訳にいかず10分足らずで立ち去った。

 予定通り、林道(大利明松林道・野村町)から温泉地(小薮温泉・肱川町)を目指し、カルスト台地に到着したのは午後5時過ぎ。標高の高い1300mの地は雨だった。夕陽をカメラに収める予定だったが、これは無理。しかたなく、食べることに専念した。午後6時からワイワイ言いながら食べ、全員が就寝したのは10時過ぎだった。



   5月5日   
明け方5時で「朝寝坊」?

 夜中3時にトイレで目が覚める。雨が上がり星が見えていたので、朝陽の撮影をすることを決めて再び寝袋に入った。午前5時に空を見ると、オット、寝過ごしたかな?。辺りはすっかり明るくなり、東の空の雲が赤く反射していた。車からカメラと三脚を引っ張り出し、撮影ポイントを探す暇も無く、カメラを向けた。高い山の上にいることを忘れていた。日の出の時刻は6時頃と覚えていたが、不覚だった。

 朝食後、もう誰にも頼まれるkとなく、自分からGPSにセットしていた。「本日は、林道があり、温泉地を4ケ所通ります。帰宅予定時刻は陽のあるうち・・・。」とやっていたのだ。そうするとメンバーから、「昼ごはんは、美味しいラーメンかうどんが食いたいな」との要望。では、「昼食には亀の井うどん(久万町)、温泉地は古岩屋温泉(久万町)、ふもと温泉(久万町)、本谷温泉(東伊予市)、鈍川温泉(玉川町)で、林道は( 川上小田深山線・小田町〜ぼうじが峠・久万町)のダート・井内峠林道(久万町)を通る」とセットアップ。仕方ない案内するしかないか?。

 とはいえ、滞りなく案内できるのも、相棒の伊豆田氏と2人で来たことがあったから。5月の狸組のツーリングはいつも伊豆田氏と一緒で、取材を兼ねていたのだが、この度、伊豆田氏は連休中家族と一緒で、不参加だった。

 狸組ツーリングも12年目で二十数回の旅(1回の走行距離は500〜950Km)となる。「佐田岬」は四国地方で行きたくて行けなかった場所のひとつ(今回の走行距離は750km)だった。今回行ったことで、走破できてないのは足摺岬付近だけとなった。
 来年のクラブツーリングは・・・何処だ・・・。楽しみ・・・。


※:2000年の1号 “四駆林道”で「佐田岬編」。2000年9号“ウッドランドトレイル” 「四国カルスト編」に相棒の伊豆田氏と取材。


本ではモノクロでしたが、実際にはこんなに綺麗な景色でした。
カラー画像を見てください。




(来島海峡大橋に沈む夕陽 <18:25> )





(来島海峡大橋に沈む夕陽  あ〜綺麗だ! )





(愛媛県:大島の亀老山よりの夜景 <19:22> )





(佐田岬灯台の夕陽? 海面が赤く染まるのを待ったが・・。)





(伊勢海老さまの味噌汁。豪華メニュー。)





(佐田岬に朝靄が浮遊する)





(カルスト台地の朝陽 <5:12>)





(カルスト台地の朝)





(この広々した景色は何度見ても美しい。納得のいく景色。)


太陽が沈むに従って、海面から橋脚が紅く染まる。瀬戸内海の島々が霞み赤と黒のコントラストがなんとも綺麗だ。 松林大利明林道(野村町)。林道はフラットで、路面も走りやすかった。 佐田岬を去る時にふと振り返ると朝靄が海に向かって浮遊していた。 牛ノ峯林道(双海町):愛媛県、双海町の牛の峯(標高896m)と内子町にまたがる林道。行き止まりで、向きを変えた。 佐田岬物産センター「三崎猟師物語り」三崎漁協直営店。アワビ、サザエ、、伊勢海老等が生きたまま販売されている。 サザエのつぼ焼きの横で、伊勢海老を焼いていると、気になってしょうがない。つぼ焼きでは、日本酒と醤油を少しいれる。 刺身にした伊勢海老を味噌汁にした。狸組のツーリングでは伊勢海老をがメニューになったのは始めてだろう。 標高1,485mの天狗峰を最高峰に25kmにわたって広がる、日本三大カルストのひとつ。北には石鎚連峰、南には室戸岬や太平洋を一望できる視界360度の見渡す限りの大パノラマ。天狗高原の緑の牧草に白い石灰岩の風景の中で牛がのんびりと草を食べる姿を見ていると・・・。 亀の井(うどん屋)。みんなのリクエスト通り、美味しいうどん屋さんにお連れしました。みんな「しょうゆうどん」を注文し、替え玉を注文していた。 今回のツーリングに参加した広島の仲間、「狸組」の面々。中央の白いジムニーJA11が私・岡村の愛車です。 愛媛県今治市と大島を結ぶしまなみ海道の来島海峡大橋に沈む夕陽。撮影場所は大島の「亀老山」展望台。 本文下の(説明 2)、お読みください。 本文下の(説明 3)、お読みください。 本文下の(説明 4)、お読みください。 本文下の(説明 5)、お読みください。 本文下の(説明 1)をお読みください。 地図を見ているのは、今年高校1年生の我が家の長女、好恵です。娘も、時々私の趣味の写真撮影に付いてきます。 私の愛車、ジムニーJA11の車内灯は、何と運転席側のBピラー上にタバコの半分大のものあひとつついているだけ。これでは、夜の暗がりの中で、地図もまともに見れません。 車線変更ラクラクミラーM2Voi  M2は、ワイドタイプのミラーとしても使えるし、1/3だけ別角度に向けて、サブミラーとして使うこともできる。左ハンドルの車にも対応できる。 M2ミラーを裏からみた図。ボールジョイントを使って、サブミラーが自由に動かせるようになっている。詳しくは、ケイズコーポレーションのホームページ「http://keizu-corp.com/pc/」をみて欲しい。 (説明 1) (説明 2) (説明 3) M2サブミラーを助手席窓に合わせると、左上の図のCの位置のクルマがこのように見える。 本来、Cの位置のクルマは、このように振り返って目視しないと見ることができない。 Aの位置の車は、M2サブミラーでは見えないが、Bの位置では、とてもよく分かる。ただし実際は、ヘッドレストがもっと大映しになってしまい、ちょっと見づらくなる。 M2ミラー装着前の状態。ワイド型ミラーをつけていた。左サイドの純正ミラーも、たいした視線移動なしに、フロントウインドゥ越しに見ることのできるもので、気に入っている。 中古のエアコンユニットを探していたら、折良く部品取り用のクルマが手に入った。こちらも前部衝突の事故車だったが、運良くエアコンユニットは無事。被害は及んでいなかった。 ●本文の終わりに説明● ジムニーJA11のエアコンユニット  これが部品取り車から取り外したエアコンユニット。クーリングファンの下にあるのがコンデンサー。細いフィンと冷媒の通る管からなる構造はラジエターに極似している。実はエバポレーター内部のこれとよく似た構造なのだ。 部品取り車のエアコンユニットの取り外し作業をする私。難しいところはプロに手伝ってもらった。 年式によって構成パーツが異なる  上が平成4年式、下が平成6年式ジムニーのリキッドタンク部。冷媒も違うが、使用するパーツも微妙に異なっていたため、丸ごと交換することにした。 オゾン層を破壊しない冷媒  右が古い冷媒。左がオゾン層を破壊しないと言われる新しい冷媒(HFC134a)。どちらも詰め替え用ガスとして入手できる。内容量は200g。 エアコンの不調の原因はココ  この部分、黒く汚れているのがおわかりいただけるだろか。衝突の影響だと思うが、コンデンサー下部が壊れ、パイプから冷媒が漏れていた。 エバポレーターについてホコリ取りは大変だった! @エバポレーター上部の樹脂製カバーを外した状態。フィンにホコリが・・・。 Aホコリを取るのに様々な方法を試したが、結局この方法が有効だった。 B集めたホコリ。どうです。63000km走行でこの量。ゾットします。 C最後に、洗浄液(速乾性タイプ)をシュ〜と万遍なく吹きかけて終了。 秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。


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2002/01/03よりカウト