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No11. 2003年1月号

2002年12月26日発売


四駆と自転車の素晴らしい関係


今回は、ジムニーにサイクルキャリアを載せ、息子と一緒に「中国サイクルグランプリ2002」という自転車ロードレースへと繰り出してみた。
参加者の中には四駆乗りも多く、情報交換することで会話の輪が広がり、面白く有意義な週末を過ごすことができた。やっぱり、四駆は趣味のクルマ。
夢のあるクルマだね!



(本文)
狸腹の私も昔はサイクリスト
自転車運搬用JA11は活躍


 高校時代から、私の趣味はサイクリング。30年前からの筋金入りのサイクリストだった。でも7年前、地元のレースを最後にサドルから降り今はもっぱらクルマを趣味にしている。
 
 しかし、小学3年の頃から私のジムニーLJ20の助手席を専用席にして育ってきた息子が高校3年になり、ロードレーサーに乗るようになった。最近、それを載せて移動する足として、ジムニーが活躍する機会が増えてきた。

 息子康弘は、中学から続けていた野球部の練習が高3の夏に終わると同時に自転車に乗り出した。野球部で鍛えた体がムズムズするのだろう。休日には標高500mの山へアッタクしたり、夏休みには近所を30〜50Kmほど走ったりと、結構アクティブに乗り回していて、その関係で、息子も、兄の所属する自転車チーム「ケンズ」の走行会などへ誘われるようになった。


日本海から自宅へアタック
私とJA11は運搬役と追っかけ役


 そんな折り、黙々と走り込んでいた息子が「遠くへ行きたい」と言い出した。日本海に「タッチ」して、自転車で走って帰ってきたいと言うのだ。いきなりの事で、準備はロクに出来ない。私は屋根上固定のサイクルキャリアを持っているが、現在は、写真撮影用キャリア(2002年7月号で紹介)が陣取っている状態。付け替えは面倒なので断念。自転車の前後輪を外して、ジムニーの後部荷台に載せることにした。

 夕方に広島の自宅を出て、島根県大田市の港でテントを張り野宿。翌朝、海岸線の近くに車を移動させ、自転車を組み、計画通り海に「タッチ」した康弘は、意気揚々とスタートした。



温泉でゆっくり・・・の考えが
甘かったことに気が付いた


 
自転車もジムニーも帰り道は同じだが、基本的には手助け無用の別行動。私は島根県・三瓶山の近くの温泉に浸かろうとしたのだが、1時間もしないうちに「三瓶山を下るヨ!」という元気な声が携帯に入って来た。

 私はまさに温泉の前!に居たのだが、予想もしない早さに驚き、急遽、息子を追うこととなった。自転車では、登りはきつく、スピードが出ないが、平坦地では、平均速度30Km弱。下りともなると70Kmを越えることもある。さすがに野球で鍛えた体だ、速い。追いついたのは三瓶山を下った自販機の前。彼は休憩していた。

 この時点から、カメラで息子を追っかけながらの走行。結局、145kmを、走行時間5時間15分で帰った。私は所々で、レンズの中に成長した息子を見て、「いつの間にこんなに大きく逞しくjなったのだ・・・。」と驚いた。



息子が力試しでロードレース参戦
応援するほうもかなり楽しい


 実は、10月20日に広島空港の自転車コースで「中国サイクルグランプリ2002」大会があり、息子が出るように申し込みをしていた。私も、このレースには、8年前に参加したことがある。

 今回はチーム・ケンズのメンバー12名が参加し、私はチームの専属カメラマンとして応援することになった。もちろん、JA11のルーフキャリアはサイクル用に付け替え、自転車を3台載せられるようにした。



ファインダー越しに見る選手は
皆、スーパーマンに見えた


 競技は、幾つかクラス分けがなされ、息子は約100名が出場する「ノービスクラス」からのトライとなる。約12kmを2周するコースで、結果は47位だった。昔に比べるとレベルもかなりアップしていて、クラスのトップは平均速度は35km以上、息子も平均速度31kmで走りきっていた。狸腹の私が走ると、スタートから15kmポイント付近で息子に追い抜かれる計算になる。もう一度、走りたいとも思う反面、もう無理かな〜と諦める気持ちの方が強くなってしまう。やっぱり歳のせいかな?


ロードレーサーのトランポに
四駆を使うユーザーも多かった


 
この大会には、四国、九州、遠くは福井県から総勢400名が参加する。駐車場に止まっているクルマの中に4×4も何台かあった。その中に、大阪ナンバーのパジェロで、OFROADXPRESSのスッテカーを貼っているクルマを見つけたので声をかけてみた。オーナーは大阪府枚方市の植本輝彦氏。以前はキャリアに自転車を載せていろんな大会に参加していたが、ある所でキャリア上の自転車をブツケて壊して以来、車内に積むようになったらしい。

 昔はキャリアに自転車を載せるのは、「私はサイクリスト」だというジンボル的なものだった。しかし、現在では、車内に自転車を収納する人が増えている。植本氏の自転車収納を見せてもらったが、タイヤを外し、フレームを逆さまにして、タイヤのチューブでヒョイット止めるだけ、ほんの1〜2分ほどで荷台に収まった。なるほど、風雨にさらされることなく、収納も簡単となれば、車の中に収納する方法もいいもんだ。私はサイクルキャリアを使って車外に固定するのが当たり前、と思っていたが、現在は、車内に積載するスタイルが流行らしい。

 とすれば、島根から自宅まで走った時に、自転車をジムニーの中に分解して載せた方法も決して間違いではなかったのだ。これが、パジェロともなると、さらにスペースに余裕があり、ちょっと羨ましかった。ミドルサイズ4×4ならではのスペースを活かした利用法だ。

 そんなわけで今回は、クルマの「改造」ではなく、「使い方」を採り上げてみた。それも、最近紙面によく登場する「釣り人」だけでなく、「サイクリスト」の中にも、クロカン4×4を愛している人がいるんですヨ、というレポートだ。もちろん、私が乗るような「ロードレーサー」ではなく、山を走る「マウンテンバイク」を興味とする人々の間では、もっと四駆好きな人が多いんだろうな。四駆はやっぱり、便利ですよね!




(説明−@)
植本輝彦氏(大阪・37歳)
自転車の大会は年間で23〜25レースに参加するという。今回もノービスクラスで25位と好成績だった。平成2年式パジェロの走行距離は13万3千km。購入時は、よく林道に走りに行っていたという。
現在は自転車のトランスポーターだ。。

(説明−A)
奥本寿彦氏(広島県・44歳)
’88式ランクル74の走行距離は27万km。30万kmまで頑張って乗りたいと言っていた。奥本さんもランクルに自転車をそのまま積み込む方法。奥さんに、「軽四(ジムニー)では無理無よね〜え」と言われた。仲の良い夫婦で奥さんはいつも応援しているという。年間20レースに出場。九州など遠い所に行く時はレース会場で、テント泊をすることもあるそうだ。

(説明−B)
協力:CYCLE HOUSE “Ken’s”
〒720−0067広島県福山市西町1-9-28(TEL084-922-2082)
代表は横井さん。チーム・ケンズの登録者は30名で、参戦する大会は、年間20レース。練習は毎週の日曜日に走り、月1回は100〜150kmなどの走行会もする。

(説明−C)
サイクリングは三度のメシより好きだった
自転車は旅の足として使っていたけど、26年前、学生時代にロードレーサーを入手したのがキッカケになってレースに出るようになった。地元のレースはもちろん、一番遠くでは伊豆の修善寺で行われたレースに2年連続で広島から出場したよ。東京から広島の自宅まで、約900kmを70時間で走破したこともあったっけ。
最近では、腹も出て(狸腹)しまい、ママチャリに乗るのが関の山。ましてや、登り坂になると、歩く始末。車という楽なものに乗り始めると、サドルから遠のいてしまうのも自然の摂理かな・・・。



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2002/01/03よりカウト