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No06. 2002年4月号

2002年3月25日発売


ジムニーのガレージは、サンダーバードの秘密基地!


今回は、愛車ジムニーLJ20とJA11が仲良く駐車している我が家のガレージのご紹介です。
ただのガレージじゃありません。
小さくても機能満載。「サンダーバード」の秘密基地のように、私の夢をてんこ盛りに詰め込んだ、自慢のガレージです。



(本文)
少年のころ描いていた夢が実現
趣味の世界広がる秘密基地を持つ


 ♪ファイブ。フォー、スリー・・・・
今でも聞けば心躍る「サンダーバード」のイントロ。少年のころ、TVの前にかじり付きながら見ていた思い出の番組だ。「サンダーバード」は1964年〜1966年にイギリスで製作された人形特撮TV番組。日本では1966年にNHKによって放映され、その後何度も再放送されている。「サンダーバード」とは国際的な事故や災害の救助を行う組織で、正式名称は「国際救助隊」。南太平洋に秘密基地があり、救助メカとして1号から5号までを備えていた・・・。このメカの出動シーンで登場する秘密基地は私にとってまさに「夢」の世界。子供心に、「いつかはあそこへ行きたいなー」と思っていた。そんな夢が実現・・・。といいうわけではないが、我が家にも秘密基地ならぬ「ガレージ&遊びの作戦会議部屋」を作り上げた。
 この秘密基地を手に入れたのは自宅の建替えをした6年前のこと。30代後半までにいくつもの趣味を経験してきたが、ふと気が付けば、その残骸や戦利品が一杯になっていて、収納する所もなくなっていた。そこで我が家の大蔵大臣(奥様)と相談したところ、集められた宝物を新築の家屋に入れる訳にもいかないということで、しかたなく倉庫を造ることが許されたのだ。最初は小さなものでいいと話に出し・・・。しかし、いざできてみると1階、2階ともに31u、計62uになった。


1階は小さな整備工場
いつでも「出撃」できる環境


 1階は平常心から「遊び心」へと変身する場所。サンダーバードさながら、いつでも「出動」できる乗り物がある。入り口はシャッターで開閉し、2台のジムニー(LJ20&JA11)が待機している。他に単車(モンキー、ダックス、バイアルス)があり、コンプレッサーや充電器、フロアジャッキなどを備えている。整備時に必要な工具(スパナやメガネレンチ等)はもちろん、潤滑油やスプレー(サビ止めや耐熱塗料等)も最低限用意してあり、バッテリー液、不凍液等は常時切らさないようにチェックして、なくなると補充するようにしている。
 奥のスチール棚にはLJ20の予備パーツが保管してあり、板バネや燃料タンク、、エアークリーナ等もあり、前後のデフもひと組置いてある。でも、何から何まで全ての部品を揃えているわけではない。私が持っているLJ20が最低限乗り続けられればいいのだ。現在ではJA11のパーツを少しづつ集めるようになったが、まだ部品取り車として安く手に入れるものは少ないので今後の出具合いを楽しみにしている。また、パーツ棚を増やさなきゃならないかな?
 


2階は趣味の宝物を満載
自分の活力と創造力の源となる


 作戦室とも言える2階には、パソコンがある。これは電子メール&インターネット専用機があり、情報収集や遊びのプランニングに役立てている。遊びの計画や資料作りは仕事の合間(主に夜間)に行うため、完成まで数日かかることもしばしば。そのため、机を大きめにいて資料を置いたまま翌日も続けて見ることができるようにしている。
 机から左に目を移すと、天井からぶら下がっている自転車が7台、目に入る。5台はすぐに乗れる状態であり、クルマの屋根に載せるキャリアもある。その気になれば四駆で山へ行き、林道をマウンテンバイクで走るなんてこともできるのだが、体力を鍛え直さなければいけないだろう。ちなみに、2年前には東京から広島までの900kmを、2日と20時間で走破した記録を持っている。免許を持つ前から、旅は大好きだったのだ。あとは最近始めたカメラ機材の防湿庫や撮ったポジを見るライトボックスを備えた別の机があり、富士山や槍ケ岳などを登頂したショイコや登山靴、渓流釣りの竿や道具一式、雑誌なども置いてある。いままでやって来た事が形になって残っているのを見ていると面白いアイデアが自然と沸いて来てファイトも出る。



夢を実現するために
経費削減を徹底した


 この秘密基地は本宅の裏手にある。建設前は、土地が道より数十センチも高く、もとのままでは車も止められない状態だった。そこで、本宅の基礎を造る時にきていた大工さんに無理を言ってユンボと2t車を1週間ほど借り、自分で整地した。ユンボの操作法はクラブのログハウス建設の時に経験していたので分かっていたが、いざ掘り出すと思ったより多くの土を掘りださなければならず、かなり苦労した。土間に鉄筋を入れたり、基礎を造ったりするにもできるだけ職人さんの手伝いをして、経費を節約した。そして張りの木や柱はそのまま剥き出しにして、内張りにはラス板を隙間無く張り合わせた。このラス板はそう高いものでは無い。大工さんには設計と柱の木組みをしてもらい、後は私と友人とで屋根の下地と2階の床板を張った。窓と扉は大工さんにお願いし、周りの壁は大工さんの手伝いをしながら打ち付けた。ただしこの方法は大手ハウスメーカーの大工さんでは無理かもしれない。融通の利く個人商売の大工さんだからできたのだろう。
 窓とドアは以前の住宅に付いていたものを装着。これは査定の時に聞いたら、減税の対象となった。住宅と隣接することで、「住居と倉庫」となり、別の課税率になって金額も安くなった。また、火災保険も分割でき、安く入れた。これらは、ログハウスを建てた時に得たノウハウである。
 秘密基地については、よく「羨ましい」と言われる。その人たちは決まって「欲しいけど、家族からそう言われるか・・・」と言う。ついでに私は「遊び人」と定義されてしまう。そりゃあ、毎日仕事もせずやっていたらその通りだが、これでも休日も休めないくらいに働いている時もある。それに皆さんが楽しんでいる野球やゴルフ、スキーなどにはあまり縁がない。私は、ただ遊び方と、時間の使い方が違うだけだと思っている。とにかく、もう、誰が何を言ってもこの秘密基地は手放せない。

秘密基地のできるまで@ 本邸裏手、ガレージ予定地の整地。経費を浮かせるため、ユンボとダンプを借りて自分で作業した。 秘密基地のできるまでA 道路とツライチになるまで掘り下げた。これは1階のガレージにクルマを入れやすくするための措置。 秘密基地のできるまでB ガレージの基礎を打ち、木製の柱を組み立てたところ。2階建てで、上下とも各31uの広さにした。 秘密基地のできるまでC 完成!!ガレージにはシャッターを取り付け、外気をシャットアウトできるようにした。2階も窓付きとした。 1階のガレージにはクルマやバイクを収納。胴体部がコンテナになったサンダーバード2号よろしく、キャンプ道具を積んだジムニーが待機している。 秘密基地の司令部となる2階の部屋。サンダ-バードでいうなら「多機能宇宙ステーション」。ネットを通じ、あらゆる情報が入手できる。 壁には、予備の燃料タンクやグリル、ラジエター、エアクリナー等も吊ってある。 LJ20のウィンカーやライトなど、バラバラにしたパーツを箱に入れて保管している。 スチール棚を3組並べ、ジムニー(LJ20)の予備エンジン2基、ミッション1基、トランスファー1基などを保管してある。 2階は、私の「趣味の宝物」がある。回転椅子360度回転せば、それらはいつでも手に取ることができる。また、ここは情報を集め、整理し、次の遊びをいかに楽しくするかを作戦する部屋でもある。写真の自転車も、サンダーバードメカのごとくいつでも出動可能なのだ。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11。 最初はリアの荷台に蓋がわりの板を渡し、ボディー同色にカラーリングしていた。 荷台に渡す板は収納時のことを考えて板はこのように2枚に分割可能とした。 分割式とした2枚の板は金具で連結するようになっている。 愛犬ログを乗せるスペースを作った。脱落防止の柵は、長男の使っていたベッドの手すりを加工して作った。ログもなかなか気に入ったようで、手すりにアゴを乗せたりしてリラックスしながら乗っている。 1999年に行った紀伊半島・十津川ツーリングにて。たぬき組の中には古いジムニーを愛する者が多い。 助手席から荷台にかけてベッド板を設置したが、荷台の上にまたがるバーが曲者だった。このバーのおかげで寝返りがうてず難儀した。 助手席を外した場所には荷台と同じ高さになるように木製フレームを設置し、その上に板を渡した。 助手席後ろに取り付けてあったスペアタイヤは、このように荷台に渡した板の上に固定してみた。 LJ20用オリジナル幌・最新バージョン   LJ20に乗る友人が先に作った幌を参考に、自分のアイデアを盛り込んで設計した最新版のオリジナル幌。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着できる。いろんな状況に対応可能で、個人的にかなり気に入っている。製作は近 ミシンを使って自分で縫った初代幌。堀ドアはボロボロだった純正幌を修理したもの。 幌ドアを取り外せばビキニトップ仕様に・・・   新型幌もビキニトップ形状。ドアを取ればかなり爽快だ。 幌側面にも工夫がある・・・   幌側面は純正幌骨に結びつける。幌の横幅に余裕があり、雨滴が進入しづらくなった。 透明フィルムの取り付け・・・   リアの透明フィルムは、このように紐を使って、純正の幌骨にくくり付けるようになっている。 折り畳めばコンパクト・・・   幌も幌ドアも外して折り畳んでしまえばこんなコンパクトになる。収納性は純正の比ではない。 透明ビニールで密閉・・・   雨の日、寒い日は透明なビニールシートで後ろ側の空間を遮断する。 これがテント屋に頼んで新たに造り起こしてもらったオリジナル幌。使い勝手は素晴らしくよくなった。 風通しをよくしたい時は、このようにハーフドア仕様になる。 幌と幌ドアの密閉性が向上し、キャビンは雨漏りしなくなった。 幌ドアはこのようにジャンパーを使って開閉するようにした。乗り降りは多少面倒になったが、全体の密閉性が向上した。 トランスファーギヤが折れ、グチャグチャに・・・   図はLJ20のトランスファーギヤ。走行中に四輪ロックした事故の後にバラしてみると、ギヤが折れ、ギヤボックス内がグチャグチャになっていた。左図中、グレーに着色してあるのがトランスファー周りで交換した部品。オ 写真はトランスミッションのハウジング。ニコイチでパーツを揃えるなどして整備した。 こちらもトランスミッションのシャフトとギヤ。サードギヤまわりでは、新品の純正部品が入手できないものもあった。 標高560mの高台にあるタヌキの城(ログハウス)。手作りのため、完成までに7年かかった。 1992年に水漏れしていたラジエター本体を修理。1993年にはサーモスタットと冷却水まわりのゴムホース、そしてゴムホースを止めるクランプ等を全て交換した。 LJ20−1型はもともとオリジナルは助手席のヘッドレストがない。これを探し続けていたのだが、偶然にも解体屋でお目当てのシートに出会うことができた。 バネがヘッタっていたので、バラして鉄の板を追加、フレームも塗装した。 前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。いや〜ジムニーってホント、いいですね。 岡村博文(広島県)  四駆とカメラ、ツーリングと温泉、そして旬の海鮮モノが大好きなエリアレポーター。愛車はジムニーLJ20とJA11. 写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。


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2002/01/03よりカウト