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No05. 2002年3月号

2002年2月25日発売

愛車LJ20 カスタム紹介

(後編)



前回に引き続き、我が愛車LJ20の10年間の足跡をご紹介します。
「ジムニーは等身大のオモチャ」とはよく言ったもの。
幌の作成に始まって荷台の蓋、愛犬用のスペースまで、クルマを様々にカスタマイズして楽しんでいます。
いや〜ジムニーってホント、いいですね。


(本文)
エンジンが吹けない!?
ツーリング先でLJギブアップ


 1994年、偶然にもヘッドレストの無い助手席を解体屋で見つけた。LJ20・1型はもともと助手席のヘッドレストがないのだが、私のクルマは入手する前からヘッドレスト付きに改造してあった。オリジナルが欲しくってずっと探していたのだが、まさかこんなカタチで入手できると思わなかった。バネもかなりヘタっていたので、バラして鉄の板を追加して補強、ついでにフレーム・パイプに塗装を施して使用した。
 この年の5月に四国の四万十川を走るツーリング(往復850km)に出かけた。我がジムニーは絶好調!カンペキな走りをしていた。しかし8月、広島県北部の県境を走るツーリングで調子が悪くなった。エンジンの抜けが悪く、力が出たりでなかったりするようになってしまったのだ。プラグを抜いて確認してみても火花は飛んでいたし、キャブレターも問題ない。イグニッションの点火位置をずらしても原因がわからない。かかりつけの車屋さんに電話で尋ねてもハッキリしなかった。とりあえずエンジンがかかるので、仲間に前後をサポートしてもらいながら、ゆっくりと帰った。
 しかし、くだり坂や平地ではそこそこ走るものの、登りになるととたんに、人が歩く程度のスピードに落ちてしまう。水温には問題ないようだが、マフラーからは白い煙がモクモクと出る。2サイクルエンジン特有の青白い煙とも違った。家までは70kmもあったのだが、3時間かけて何とか辿り着いた。
 その後、このトラブルの原因が解明されたプラグコードの内部断線で、エンジンからプラグを外しているときは微妙に接触しており、エンジンに取り付けた状態では断線していたらしい。つまりこのジムニーは車両重量620kg+私の体重+その他の荷物で700kg以上となっていた体を、2気筒あるうちの1気筒(180cc)だけで支えていたことになる・・・。もちろん、プラグコードはすぐに交換した。この時の後遺症もなく、現在まで8年間経っても問題なく働いているのが不思議だ。


突然襲ってきた恐怖の体験
四輪ロックで対向車線へ!!

 翌1995年6月仲間と一緒に組み立て中だったログハウスの作業場に行く途中、私のLJ20が突然前触れもなく四輪ロック!!反対車線を越え絽肩まで横滑りするという事件が起きた。
 愛犬ログ(ビーグル犬)を荷台に載せていたが、私同様、止まった瞬間は全身で震えていた。彼女も身の危険を感じ、危ないと思ったのだろう。何が起きたのか全く解らず、対向車線からクルマが来ていたら・・・、もしくは横転していたら・・・、と思うとゾットする。
 早速いつもの車屋さんで分解。前後のデフを始め、ミッション、トランスファーと分解していくと、トランスファーの中のギヤが折れ、他のギヤにもまわし、グチャグチャな状態になっていた。
 これを期に我がLJを総点検。トランスファーの各ベアリングからシャフト、スプリング、ピンなど45品目80種からのパーツを新品と交換することにした。しかし、パーツリストを見ながらメーカーへ注文してみると、入手できない部品も幾つかあった(ミッション内のサードギヤなど)。仕方がないので、予備で持っていたミッションやトランスファーを使って2個イチ(2台分の部品を合わせて1台を直す)となった。
 古い車を常に走行可能状態にしながら維持するのは大変だ。いろいろと無駄なお金がかかってしまう。それでもまだ、新品の部品を注文して入るものはいい。でも、30年近く前のクルマともなると、もう純正部品が在庫切れとなっているものも多くなる。というわけで、どうしても部品取りのために同じ車が必要になってしまうのだ。
 ただし、私の場合は車体を保管することは止め、車をできるだけバラバラにして、雨や風や陽に当たらないように車庫に保管するようにしている。ボディーだけはどうにもならないが、車の博物館を開くわけでもないのだから、外板が自然に傷んでいくのはある程度諦めて割り切っているつもり。
 古いクルマを所有することを趣味とする人の中には、保管することを目的に全部レストアするタイプと、走ることを目的に、必要な整備だけで行うタイプがいる。愉しみ方は人それぞれだと思うが、私はある程度自分で行う範囲の限度を定め、エンジンをバラスとか車の板金や溶接、塗装等にはあまり手を出さないようにしている。直さなければならない箇所が生まれれば修理に出し、自分で大げさな修理をしない分、自由になる時間で車を走らせ、楽しむようにしたいからだ。


家族の冷たい視線を背中に・・・
でも同じ仲間が待っている


 1996年には2泊3日で中国山地横断(650km)断行した。私が所属している四駆クラブ「たぬき組」のツーリングである。5月の連休に家族を置いて出かける「たぬき」達。出かける時は、家の中であまり波風たてないように静かに出かけるが、たまに冷たい視線を背中に浴びることもある。
 みんな仕事があるので、ロングツーリングともなると、スケジュールを早く決めなければならない。半年前には決めてしまう。そうすると、必然的にゴールデンウィーク等になってしまうのだ。みんな、できるだけその日に合わせて都合をつける。なんらかの理由をつけながら、自分だけで家を出てくるのだ。そんな、毎年の恒例のたぬき組ツーリングも、1997年には本土から離れ、九州の椎葉村を目指しって3泊4日(750km広島から別府まではフェリー)の旅となった。車14台、単車2台、合計21人の団体移動である。
 私は、このツーリングに出かける2週間前に、仕事で左薬指を骨折したが、指にアルミの板を巻き付けて参加。シフトチェンジをする度に、真っ直ぐ伸びた薬指があちらこちらに当たり、変速もなかなか難しかったが、遊びとなると元気の出るもので、運転中はその痛みもどこかかへ行ってしまったことを覚えている。




ツーリングに愛犬を友とする
雌犬ログ専用設計の座席作成


 1998年5月のツーリング(四国・室戸)に合わせてLJ20のドレスアップを図った。幌(屋根と幌ドア2枚と運転座席後部のビニール)一式47000円で、テント屋さんで作ってもらった。屋根はビキニトップとしての役目も果たすように設計。これは、友人(LJ202型をレストアした人)が先にこしらえていたので、それを参考に自分のアイデアを盛り込んで作った。幌の取り付けや取り外しの時間が短く、ドアも脱着可能で、いろんな状況に対応できる。ハーフドアとしても使え、乗り降りの時開閉も簡単。何よりもドアと屋根の間に隙間なく、雨が大降りになっても、天井から水漏れしないことが嬉しい。全部外して荷台に積んでもかさばらず、かなり出来栄えのいい幌である。
 それから、タイヤのトレッド面やサイドウォールにもヒビ割れが多く発生していたので、ことらも交換することにした。チューブ入りだったのでヒビ割れだらでもエアは抜けなかったが、空気を入れる金具が付け根で錆びていてポキンと折れそうだった。タイヤは600・16の4プライのものを選び、チューブと合わせて53000円だった。
 それから、愛犬ログ専用のスペースも作成した。それまでは、ロープを首輪に着けて荷台に乗せていたが、曲がる度に右へ左へと転がっていた。一度などはカーブ曲がった時に、荷台から落としてしまい、首輪とロープで首吊り状態にしてしまったこともあった。
 そこで、専用の座席を設計したのだ。少々の道具や荷台を載せる面積を決め、残りのスペースを使った。私のLJ20には、荷台カバーとして風呂の蓋のように長方形の板を二枚渡してあったのだが、そのうち、前側の板の3分の2のスペースを使って内部に仕切りの箱を作り、開口部に手すりを付けた。この手すりが傑作。最初は板張りの手すりを考えたが、どうも、ログの視野が狭くなりそうに思えたので、サクにしようと思い、ブタ柵ならぬ犬柵を考案。長男が赤ん坊の時に使用していたベッドの手すりをカットして上と下の枠を残してみると、なかなかユニークで笑えるものに仕上がった。この高さにすることで、ログが荷台から落ちることはなくった。日帰り旅行の帰りには、疲れると、箱の中でグッスリ寝るし、上部には透明のビニルシートも作ってやったので、雨振りの日もOK。普段は手すりにあごを乗せて景色を堪能するほどリラックスしている。


アイデアベッドの感想は?
1度キリの経験でお許しを・・・

 1999年のツーリングはとても長い距離のツーリングとなった。紀伊半島の十津川村(3泊4日・フェリーを使用)を目指し750kmを走ったのだ。
 この時はどうにかして足を伸ばして寝たい・・・。たぬき組のツーリングは、原則として野宿をしながら走る。そのほうが当日のコース変更が容易だし、とこまで行こうか考えず好きなペースで走れるからだ。もちろんクルマの中で寝れない者はテントを使う。しかし、テントを張るのはいいが、朝になると中は人間の息や汗で、外は夜露でベッショリとなる。雨でも降ろうものなら最悪。収納のために畳むのもイヤになる。なんとか簡単な宿ができないか・・・。といういわけで、ジムニーをキャンピングカーにするべく計画を練った。
 とは言っても、スペースを考えたら、自らとベッドの場所は決まってくる。助手席を外し、後部荷台までの空間を使うと、私の身長ならなんとか入れる。まず後部荷台の底面を平らにするため板を敷き、助手席を外した場所にも同じ高さの板を渡した。
 そしてツーリング3泊目。夜間に雨が降りそうだったので、使うことにした。幌を張り、荷台を塞ぐ板もそのまま着けた状態で、雨対策として幌の上からブルーシートを被せた。案の定、朝方から雨が降り始めた。最初はいい案配にベッドとして用を足していたが、1時間もすると後部の板の隙間から雨漏りし始めた。寝袋までが濡れ始めてもう大変!でも最大の悩みは寝返りができないことだった。車体の補強の為に運転席と後部荷台の間に横にわたしてある鉄棒が、寝返りをしようとすると腰にあったて痛い!狭い箱の中に動けないように押し込められた感覚で「快眠」にはほど遠かった。2度とここでは寝まい、と誓う。


旧い車に乗りたいのなら
それなりの覚悟はしておこう


 2000年には丹後半島をめざし、往復920km(2泊3日)と、更に長い旅に出た。皆でコンボイする時は高速道路を走らないのはたぬき組の掟。旧い車に合わせるのである。走りのスケジュールも非力なエンジンのスルマに合わせて決める。長旅は体力勝負であり、クルマの限界への挑戦でもある。ツーリングから帰って、あちこち修理して、次も最高の走りができるように整備をするのはオーナーの役割である。
 2001年は、850kmのツーリングで山口県の萩・津和野へ行き、林道を10本ほど走った。その時以来エンジンの力が少し落ちたように感じるようになった。圧縮比が落ちたのだろうか?しかし新品のピストンはもう無いと聞いている。ピストンリングを交換すると少しは力強くはなるという話も聞いている。今後心配なのは、エンジンとミッションとトランスファーあたりかな?これからも、何かと手を入れてやらねばならいないだろう。
 ちなみち、私のLJ20・1型は、アマチュア無線機と物々交換で手に入れた。値段にしたら、4万円くらいなものか。その他部品取りにしたLJ20・2型のうち、1台目は台車を借りて取りに行ったので3万円くらい。2台目は書類付きで3万円くらいだった。仲間の中には、車検付きのジムニーを酒2本だとか、数千円で手にいれた強者もいる。金額だけみると安いと思われるかもしれないが、修理には10万円単位でお金がかかる。安全に走らせるとなるとお金ではかえられない努力(探して、交渉して、取りに行く)が必要となる。もっとも、たぬき組メンバーの中にはそれを遊びのひとつと考えて楽しんでいる者も多いが・・・。
 しかし、普段便利に使えるクルマでもないので1年に5回も乗ればいいほう。遊びと決めて走る時に、自分を変身させて発進させるのだ。まるで、仮面ライダーになったような感覚で・・・。

 そんなわけで近所の人でもLJ20の存在を知らないことがある。私もつい最近、隣の家の人に「エッ?いつ買ったの?」と言われた。さもありなん。私のLJは秘密の場所に隠してあるだ。詳しくは次号「マイ・ガレージはサンダーバードの秘密基地なのだ!」でご紹介しましょう。


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2002/01/03よりカウト