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No04. 2002年2月号

2001年12月25日発売

愛車LJ20 カスタム紹介

(前編)



前回はジムニーとの馴れ初めをご紹介しましたが、今回は、その後のお話です。「LJ20」を手に入れてから喜び一杯のオープン走行、そして幌や幌ドアのカスタムやエンジンの換装など、LJ20と付き合ってきた10周年の足跡をご報告しましょう。



(本文)
同じジムニーはジムムニーでも
今回は11ではなく20が主役


 今月は、乗り初めて10年目を迎えた愛車ジムニーLJ20のカスタム紹介をさせていただこう。入手してからの経過や、使い勝手をよくするために少しずつ改良してきた部分などを、ご紹介していこと思う。
 趣味のカメラの話題はちょっとお休みさせていただくが、撮影旅行は今でも続行中。夜明け前に起きてはJA11を駆り、「日の出」や「雲海」、「海に立つ霧」など、様々な疑似風景を求めて走っている。いつかは、ジムニーをシルエットに赤々と登る朝陽をお見せしたい。


購入後のテスト走行も上々!
オープン走行は痛快極まれり


 1992年、車検が4か月ほど残っていたLJ20を友人から購入し、自宅へ移動させた。全体的に思ったほどの傷みもなく、ちゃんと走れる状態だった。ちょうど仲間と一緒にログハウスを作り始めた時期でもあり、現場までの行き帰りに使うことになった。
 堂々とドアや幌を外し、公道を走れるのは無茶苦茶痛快!開放感に満ちていて、屋根ばかりか心までオープンになってしまう。風は、フロントウインドウを起こせば思ったより当たらず、少々の雨でも走っていれば濡れない。信号待ちで止まった時には雨傘を差していたこもあった。車体が小さいことも有り難く、細い林道でもあればすぐに入りたくなってしまう。こうして、lジムニーにゾッコンとなっていった。


エンジンの調子はマアマアだが、
幌と幌ドアはボロボロだった


 入手した年の車検の時期までに遠乗りもして、車の調子はある程度分かった。初年登録は1972年と古いクルマだが、それなりに手を入れればしばらくは問題なく走れそう、と判断したので、整備費・部品交換・板金・塗装や車検費・保険費を含め、約30万円を投入した。ただし、板金と言っても、左右のフロアパネルが錆び、穴が開いていたのを切断して張り替えた程度。古い車なら、当たり前の修理だ。
 しかし、純正の幌はボロボロ。とても装着して走れる状態でななく、資金も底をついてしまったので自分で作ることにした。最初の車検は「ある程度形を成している程度」でなんとかクリアしたが、本来ならそう簡単にはいかない。もしこの手の古い幌車を入手したいと思ったら、幌が機能するかどうか確認をしてから購入を決めたほうがいいだろう。その昔、LJ20の純正幌とドアで10万円近くしたらしが、これも、もう新品で取り寄せることはできない。幌骨も必ず必要となるので注意してほしい。


我ながらよくできた?自作幌
ミシンを使って自分で縫ったのだ!


 さて、話を自作幌に戻そう。せっかくオープンで公道を走れるのだから、まわりの風景を遮らないものがいい・・・ということでビキニトップを作成した。これにハーフドアを組み合わせるのだ。ビキニトップの材質は普通のナイロンビニール。2枚の表裏を合わせ、強度を持たせるためにナイロン系の布を破産で層に重ねてミシン縫いした。フロントウインドウに留めるスナップピンは純正パーツとして入手可能。注文するとジープのパーツと同じものが来る。ハーフドアは車の緑色に近いビニールを見つけ、衣類に使うスナップボタンを使い、取り外しがワンタッチでできるようにした。寒い日には座席後部に透明のシートを付け、ドアには純正の幌ドアを取り付けて走った。この幌ドアの痛みも酷く、縫ってある糸を外し、その縫い目に新たに針で糸を通して修復したのだ。
 翌1993年には、2代目のビキニトップを専門業者さんに依頼して作った。また、フロントウインドウ以外高い構造物が何もなく、転倒した時に危険だったのでロールバーも作ってもらったのだ。油圧ベンダーで少しずつ曲げ、原寸で合わせながら手作りしてもらったのだ。格好がいいのか悪いのかはともかく、身を守るための部品と思って付けてはいたのだが、仲間内ではあまり評判は良くなかったみたい・・・。


部品取りに2台のLJ20を入手
エンジンの換装を行った


 同じ1993年に、部品取り用のLJ20を入手した。この頃はまだジムニーについてさほど詳しい知識もなく、友人から買ったLJ20(1972年式)が「1型」であり、次に部品取り車として手に入れた2号車(1974年式)が「2型」であるとは知らなかった。2型はフロントのウインカーとマーカーランプが上下に並ぶ2灯タイプであり、運転席だけではなく、助手席のシートにもヘッドレスが追加されている。さらに1974年11月からナンバープレートが黄色となり、大きくなってバンパーの取り付け位置が変わった。(厳密に言うと、LJ20−1型でも年式によってフロントバンパーの仕様が異なり、前期型は前から見てナンバープレートがバンパーの中に収まり、後期型はバンパー下にハミ出るようになっている。)
 その年の11月に2台目の部品取り車、つまり3号車(1973年式)を入手。これも「1型」ではあるものの最初に手にいれたものと全く同じではなかった。トランスファー内部のパーツやエンジンのシリンダー部、それにラジエターパイプの位置など、少しずつではあるが、違いがあった。後で知ったことだか、同じ1型でも製造時期の違いで、細かく仕様が異なっているという。
 実はこの頃、地元のスズキ整備工場に、「SUZUKIパーツカタログLJ20・最終版」があると聞き、お借りしてコピーさせていただいた。このカタログ内にLJ20の1型〜3型までの車台番号と車型の整合表があり、自分の型がはっきり解ったのだ(別表参照)。
 部品取り用に手に容れた3号車のエンジンがとても力強く感じたので、このエンジンを1号車のシャーシに載せることにした。車の知識は無かったが、素人でも1日でできるほど単純な作業だった。少々の形や大きさが違っても兼用できるのが旧車の面白いところ。狸組(私の所属する4×4クラブ)の間では、LJ20のエンジンが1型から3型まで何も改造せず積み替えできることが確認できている。
 と、今月はLJ20購入からエンジン換装までの流れを追ってみたが、次回は荷台部分のカスタムのご紹介などをさせていただこう。それではまた来月。

【別表説明】

ジムニーLJ20には1型〜3型がある
1型と2型は顔つきの違いで判別できる
1型はグリル横のランプがひとつだけ。普段はマーカーランプとして働き、ウインカーレバーを倒すと点滅していた。これに対し、2型以降はウインカーとマーカーランプが別体となった。この後期型の顔つきはSJ10型初期モデルまで続く。

モデル 製造番号
LJ20-1型 LJ20−100001〜120685
LJ20-2型 LJ20−120686〜130000
LJ20F LJ20−122859〜
LJ20−3型 LJ20−120001〜1326121

LJ20−1型
LJ20(幌・キャンスドア)
LJ20V(バン)
LJ20VM(バン)
LJ20−2型
LJ20−2(幌・キャンパスドア・3人乗り)
LJ20F(幌・キャンパスドア・4人乗り)
LJ20V-2(バン)
LJ20VM−2(バン)
LJ20-3型
LJ20F−3(幌・キャンパスドア)
LJ20V−3(バン)
LJ20VM−3(バン)

ちなみに、私が今乗っているLJ20の車台番号は102026なので1型。3型は結構珍しいのだが、友人が所有している。



ページの補強・・・カラー画像を載せる・・2004年4月19日 

現在(20040419)、エリアレポーター通信も22回。
その中でも、ここ「愛車LJ20 カスタム紹介」が一番人気なのです。
最近ではあるが、それぞれのページを独自にカントしています。なぜか、ここがダントツで見て頂いているのです。
最初の頃のページは、掲載ページと本文だけとなっていて、このページも詳しくなってませんでした。
このぺージは、人気抜群なので、あえて後追いで画像を盛沢山掲載することにしました。
「カスタム」と言いながらも、そう大したことでないのですが・・・。


 幌 その1   (手作り幌)
LJ20の、純正幌はもちろん保管している。
それこそ、ボロボロで付けて走れる状態ではない。そこで、自分で作成することにした。どうせなら、取外しが簡単にできるサントップをつくることにした。
また、足元が寒いので、ハーフドアも作った。



(ハーフドア)
車に留める方法として、服などに使うホックを使った。これが、なかなか便利だ。
このハーフドアは現在の幌を使うときにドアの下に2重に使っている。

(手作りサントップ)
これは、店舗用に使用するテントの生地を使っている。友人からいただいたもので、自分でミシンで縫った。補強と雨漏るり対策で、2枚重ねで縫っている。しかし、失敗は、ミシンの縫い目から雨が漏るのである。目を詰めるため、防水スプレーを吹きつけたり、ろうそくのろうを塗ったりした。横の穴は、後方に透明のビニールで囲いを作ってそれを紐で留める穴。全面のフックは部品で買うことができる。


 幌 その2   (別注サントップ)
(特別注文のサントップ)
最初の手作りサントップも便利良く使ったが、やはり、雨が降り出すと、我慢の限界だった。
また、色が少しアカルすぎてLJの古い車には合わない。そこで、四駆屋さんに依頼して作ったのだ。
ちなみに、ドアは純正のものを持ち歩いていた。雨が降るとつける。知ってとおり、ドアはヒンジに差し込む方法で取外しは簡単。


 幌 その3   (本格的な幌)

(特別注文の幌)
遠乗りが増えると、雨が降ると絶対的に完璧な状態で走りたいと考え、思い切って幌を作りなおした。今回は、船舶用や店舗のテントを手がけている店にお願いした。もちろん、ジープなどの幌も手がけていると聞いた。
ツーリング中に純正のドア2枚は後の荷台に載せるが、とても大きく邪魔だったので、今回は、なにがなんでも幌式のドアも作ることにしたのだ。また、幌の色も今度は格好いいでしょう。


(収納上手な幌)
ドアとなる幌は見ての通り、車体にホックでとまり、その中にファスナーで開け閉めできるようにした。これは、とても便利いいです。また、このファスナーで開けることができるのは5分4ができ、乗り降りがとても簡単にできる。
残り少しだけはホックでとまるドアに付いているのです。ファスナーを半分まであけて、上の透明のビニール部を半分に車の中に折り曲げるとハーフドアにもなるのです。
また、全部を幌で作ったのは、収納の面積が少なくて済むのです。同じ時期に3台のLJ20で作ったので、少しお安くできました。でも4万円は払ったかな?

(幌の骨組)
幌の骨となるポールは純正を加工している。天井になる部分に左右に2本のツッパリ棒(鉄棒)を入れている。前になる、天井の上は、ドア部分の金具に鉄パイプを溶接してつけ、その穴に入る鉄棒を差し込んでいる。これで、フロントガラスより天井を少し高くして傾斜をもたせ、雨が溜まらないようにしている。また、後部にあたる部分は、もとからある穴を利用いして、天井の棒と同じものを差し込んでいる。これは、サントップの屋根が当たる部分でもあり、後部を遮るための透明のビニールシートを紐で留めるものになっている。これで、大雨の中を走ったが完璧だった。
ただ、幌を締め切って走ると、幌がふくらみ走りづらい。

 手作りの後部荷台の屋根   その1 
(荷台の蓋?)
私がLJ20で走る時は、基本的には屋根なしでスッキリした状態を好む。特にLJ20で走る理由はドアや屋根なしで、自然の風をキッテ走りたいのだ。また、後部にデコボコしたものを見せたくなかった。
そこで、考えたのが、分割できる荷台屋根である。前後に半分ずつ取外しができ、荷物の出し入れが簡単にできる。他の理由もあるが・・・。

(分割を固定する)
材料は、コンパネ板である。木は切ったり貼ったりが自分でも簡単にできるので使った。
屋根を半分にすると、車がはねたりすると蓋が飛んでいく恐れがあるので、前後の板を留めるフックをつけている。また、蓋を平らにするために、荷台の3方向にアルミのL型で蓋を載せるようにしている。アルミは金のこを使って切断も簡単である。色は木材用の水生塗料で、緑と黒を混ぜ車体の色に合わせている。

 後部荷台  その2
(ツーリングの友・愛犬ログの特等席)
車庫からLJ20を出そうとすると、愛犬「ログ」が吼え始める。
天気の良い日には、相棒として、ログを荷台に載せて走ることがある。特有のLJ20のエンジン音。ポロポロ・・・で、自分も連れて行ってもらえるとおもうのだろう。最初の頃は、荷台の屋根を外して載せ、クサリで車に留めていが、2度ほど、カーブで首吊り状態をしている。あまりにも危ないし、可愛そうだったので、ログの専用席を作ることにしたのだ。
前後半分の蓋の前部分をもう一つ作り、そこにログの入るスペースを作った。あまり大きくないが一応、中で寝ることができる大きさに作っている。
よく見てもらうと解るが、このサクは、当家の子どもが赤ちゃんの時に使用していた、ベビーベッドのサクである。この状態で走っていると、必ず後に付いた車は、笑っているのだ。ちょうど、ログのアゴがサクの高さに合っていたのだ・・・。ちなみに雨が振り出すと、ちゃんとビニールで作った屋根もある。
しかし、最近は、後では気に入らず、助手席に陣取りだした。途中で走ろうとすると、勝手に助手席に乗り、座って待っている状態だ。それもクサリなし。振り落とされるは知っているのだろうか?
・・・

 究極のベッド
(どうしても車の中で寝たい!)
ツーリングで2〜3泊と続くと、テントを張るのがめんどくさい。特に雨が降っていると、なんとかして車の中で足を伸ばして寝れないかと考える。
そこで、JL20の中で足を伸ばして寝れる方法を真面目に考えた。
予備タイヤをハズシて、助手席も取って、荷台下の凸凹をなくするためにコンパネを引いた。
これで、幌を付けた状態でOK。

寝るときには、積んできた荷物を荷台の半部と運転席に置く。とてもいい考えでしょう。

(もう2度とつかわないベッド)
助手席も荷台と同じ高さに合わせている。こちらが頭側にする。
もちろん、実際にツーリングで使った。ベットの長さ的には、身長が165CmくらいまではOKである。ただ、大問題がある。運転席と荷台の間に補強のバーが入っているが、これは外せない。そうすると、そのバーの間に身体を通して寝ることになるのだ。寝返りがうてない。箱の中に入っているようだった。足は伸ばせたが、この圧迫感はどうにもならなかった。せっかく知恵を絞って作ったベッドだったが、1回の1泊限りだった。
とてもいい考えだったのに・・・。残念!

写真上段:自作幌&ハーフドアを装着した愛車で砂浜を駆ける私。若い!写真下段:ハーフドアはビニール製。このように座席側面のバーにスナップボタンで取り付ける。車体にも同じバタンを付け、バタ付きを防止した。 自作の初代ビキニトップ(左)と外注の二代目ビキニットップ(右)   左が自作幌(ビキニトップ)。ビニールとナイロン布で3層構造にして、ミシンを使って自分で縫った力作だ。ボロボロの純正ドアは、1回糸を抜いて、同じ穴に糸を通して補修した。 安全のために後付けしたロールバー。助手席に座っているのは10歳当時の息子・康弘(現17歳)です。 別表で下記に説明 純正ホックで簡単脱着:自作の幌には純正同様スナップピンを付け、脱着が容易に行えるようにした。ミシン縫いの苦労の跡、見えます? エンジンも換装した:電装パーツ類も少なく、エンジンの積み下ろしから組み立てまで、さほど困ることはなかった。 ミッションの脱着作業は知人の自動車整備業者のピットを借りて行った。 クラッチ板、クラッチカバー、フライホイール等をバラして具合を確認した。 左が古いクラッチ板。磨耗していたので交換した。右が新品のクラッチ板だ。 20年間大切に保存してきたパブリカ 昭和42年(1967年)式トヨタパブリカ・ピックアップUP20。地元の消防車だったのを手に入れたのは1981年。私が売った後に、6月に行われた「名古屋ノスタルジックカーショウ」に出品されていたらしい。 保存状態は良好。リアまでキズひとつない。790ccのピックアップで、小型貨物登録だ。 走行距離は13,903km。メーターは速度計だけのシンプルなもので、140km/hスケールとなっている。メーターの下の「ならし運転の速度制限」というステッカーが時代を感じさせる。 1992年式JA11(手前)と1972年式LJ20(奥)。どちらもそれぞれに素晴らしい魅力があって、甲乙付けがたい。 なぜか買ってしまったSJ30(書類付)。でも、この原稿執筆中に新しいご主人様が決まった。 これがLJ20の部品取り車。半分土に還りかけているように見えるが、私には大切な宝の山なのだ。 本文最後に別記あり 「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」。と言ったら少し大げさかな。でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。


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2002/01/03よりカウト