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No03. 2002年1月号

2001年11月25日発売

LJ20・SJ30・JA11・・・

ジムニーに魅せられたワケ


「今やカメラとジムニーは私のライフワーク」と言ったら少し大げさかな。
でも、それぞれに思い出深い出会いがあるんです。
今回は、私の友人となってくれたカメラ&ジムニーとの馴れ初めを語ってみようと思います。



(本文)
昔からカメラは手にしていたが
本誌掲載を機に、本格的趣味に


 昔からひとり旅が好きで、高校時代だけでも60泊以上外泊をしていた思い出がある。高校2年生も後半ともなれば野宿を始めるようになり、親のカメラを借りたり、高校3年の時に買ったオリンパスのOM-1を持ち歩いて撮影したりしていたものだった。
 でもその頃は撮影技術には全く興味がなく、思い出作りのためのスナップ写真を撮る程度。アングルがどうの、絞りやシャッタースピードがどうのと気にすることなどほとんどなかった。
 それが2年前、4×4マガジン誌のエリアレポーターとして同じ広島県の伊豆田氏とタッグを組み、カメラマン役として自分が撮影した写真が本に載ってびっくり。「恥ずかしい。これじゃあ駄目だ。勉強しよう。どうすれば綺麗に撮れるんだろう。?」本屋さんで、「こうするとうまくなる」「アングルはこう決める」などといったカメラの本を十数冊近く買って勉強し始めた。
 その時思ったのは、記事化を前提に撮影するのは、それ相応のテクニックがいるということ。単に自分がキレイ・・・と思った場所の記録ではいけないのだ。その写真が読者の皆さんに対して説明のつくものであり、行ってみたいなあ〜という気分にさせるものでなければならない・・・。とは言っても私はプロのカメラマンじゃない。あくまでも「四駆乗り」としてページを造るのだから、少しは気が楽なのである。

 走るためだけではなく、写真撮影のために入り込む林道の景色も最高にいい。ファインダーを通して見える世界は裸の目で感じる景色とは、またひと味違う。何気なく入った林道でも、自分の意図でアングルを決め、画角を決めて取ると、全く違う世界に見えて感激することもある。
 シャッターを切る瞬間もいい。その「時間」までも一緒に切り取っているようで、ドキドキと心臓の音する指先に伝わってくる。この緊張感がタマラナイ。こんな気持ちよさがキッカケになって、写真撮影にのめり込んだ。四駆でダートを走り、未知の景色を駆け、カメラを覗く。ファインダーから見えるものは、何ひとつとして同じじゃない。何度経験してもいいものであり、今後も新たな出会いを求めて走りまわりたい、と常に気が新たになる。
 こんな私が撮影旅行の相棒として選んだクルマがジムニーJA11だ・・・ということは先月までにお伝えし、私は他にも何台かジムニーを手に入れる際、やむなく手放した思い出深いクルマもある。今月はこれらのクルマについて、少し触れてみたい。


初めて乗った四駆もジムニー
数年越しの片思いが実った


 そもそもジムニーとの出会いは十数年前。LJ20に乗っている友人がいて、会う度に「売る時は私に譲って」と声をかけていた。そして、数年が経ち、その友人から譲り請けたのが10年前。どうしてもこのオープンカーが欲しかったのだ。このLJ20を長く乗るため、部品取りに同型車を2台、そして何を思ったのかSJ30(バン)を1台揃えた。
 ちょうど。その頃、地元広島の山中に仲間と一緒にログハウスを作る話が本格化し、LJ20はその現場までの行き帰りの足として活躍してくれたものだ。緑の風を浴びながら走ると、素晴らしく気持ちよかった。
 塗装は、ボンネット以外は純正のまま。板金はせず、ある程度のキズは「年代を思わせる風格」として残している。
 360ccというエンジンエンジンは本当に小さい。自分の力で簡単にエンジンの積み替えができてしまうほどだ。ミッションやトランスファーも乗せ換えたが、その時にゴムやパッキング、ベアリングなども新品に交換した。手に入れてから現在に至るまで、かなりの部品を交換し、修理を重ねたおかげでクルマは絶好調。今では、毎年出かける狸組ツーリング(約300〜800Kmを走る)にも十分耐えられるほど整備できている。
 LJ20のオープンに乗ると前方や両サイド、それに後方の開放感がオートバイに近いものに感じられる。ドアを外して野山を走ろうものなら、もう最高に気持ちがいい。暑い時には暑く、寒いときには身にしみる寒さで体感スポーツをやっているようだ。林道を走るとその道の匂いすら感じられる。こうして四駆の面白さにハマッていったのだ。



JA11を手に入れるために
大切なクルマを手放すことに・・・


 そしてJA11の登場。しかしコイツを購入する際に、ある重大な決心をしなけらばならなかった。大切に保管していた昭和43年式のパブリカトラックを売ることにしたのだ。保存状態は良好。知人からは「絶対に売っては駄目!」と言われたりした。でも考えてみると、この20年間乗るキッカケが無かったのも事実。私流に言うなら、乗らないクルマはいくら持っていても意味の無いこと。クルマのためにも乗ってやらなければ可愛そう。まあ。現実にはJA11を買うための資金不足も大きく関係していたのだが・・・。とにかく、パブリカには悪かったが、実際に使う「遊び」のクルマとして「JA11を選ぶ」、というこに迷いはなかった。一応いろんな車種を候補に挙げてはみたが、実はこれしか無いとも思っていた。
 写真撮影の足として、小さく、軽く、小回りが効き、地上高が高く、カメラ機材を守るために屋根があること、そして整備上の問題で、自分にもある程度知識のある車であり、何よりも「荒れた林道でも、安心して走れる四駆であること」が絶対条件だった。もちろん新車に越したことはないが、子供3人妻1人の家族を顧みず、むやみにお金をかけるわけにもいかない。というわけで中古車となった。 
 LJ20&SJ30に続いてJA11の導入。同じ車種にしたことで、周りの人に「何故またジムニーなの?」と聞かれたが、名前で決めたのではなく、あくまで性能で選んだ。LJ20での遠出はツラかったが、コイツなら高速道路も快適に移動できる。行動範囲も広がって、嬉しい限りなのだ。




183ページの写真説明


JA11のクラッチにトラブルが発生
クラッチの遊びが無くなった!

 買った時からクラッチの切れが悪く、調整をしながら騙し騙し乗っていたが、乗り始めたから約3,000kmで調整限界となり、クラッチを交換することにした。工賃をできるだけ安く抑えたかったので知人のクルマ屋さんの工場の一部を間借り。純正のクラッチディスク(5,850円)レリーズベアリング(3,240円)、パイロットベアリング(3,240円)を仕入れてもらい、クラッチカバーも、あまり痛んでいるようなら交換することにした。
 JA11を知るため(安くするためがほんとかな?)自分で交換することにしたが、ミッションを外さなければならず、ある程度はお店の人に手伝ってもらった。クラッチディスクは新品と並べると明らかに磨り減っている。レリーズベアリングは手で回すとシャリシャリ音がしていた。
 クラッチカバーは、レリーズベアリングが当たる部分が磨耗していたが、今後頻繁に長距離走らせる車でもないので、今回は交換しなかった。結局、手伝い賃と場所代と部品交換で26,000円で勘弁してもらった。(お客が値段をつけてどうする)。交換後はペダルの操作が軽くなり、ギヤチェンジも繋ぎが楽になり、スムーズな発進ができるようになった。


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2002/01/03よりカウト